リミットが可能性になる。/ダンスアーティスト・なかむらくるみさん
インタビュー 地域のひと
金沢で生きるアーティストたちのリアルな“今の姿”をご紹介します。
「日常生活を送りながら、かつダンスも使いながら。それによって生活がより味わい深くなるという体験を、私は繰り返しています」。
なかむらくるみさんの踊りは、いわゆる劇場で鑑賞するような“コンテンポラリーダンス”のイメージからは離れているけれど、日常にスーッと染み込んでくるような浸透圧がある。
海外で活躍する選択肢もありながら、金沢でダンスアーティストとして生きることを決意したなかむらさん。現在は「ダンス・ウェル」という、パーキンソン病と共に生きる人々を含めた市民のための開かれたダンス活動も石川で展開。“身体性”が置き去りにされがちな今だからこそ「ダンスを使ってほしい」というなかむらさんにお話をうかがってきました。
3歳から始めたバレエ。好きだったけど、志はなく。
私は金沢出身です。父は陶芸家で、4人兄弟の長女。3歳の頃からモダンバレエをしていました。中学生のとき、高校を選ぶ際に「もっとダンスを続けたいなら、一回外出んとだめや」と母に言われて、途中で辞めることを公言してデザイン科がある地元高校に入学しました。
2年生の夏休みに高校を退学して、イギリスの「Rambert School of Ballet and Contemporary Dance」に留学します。私はバレエで食べていこうという固い決心があったわけでもなかったし、ビジョンのようなものも持ち合わせていなかったのすが、踊ることは好きだったので「いいの?やったー」みたいな感じで(笑)。
海外に行く他の子は「〇〇カンパニーに入りたい」とか、相当な志を持って行くのに。変わった子どもだったのかもしれません。
多数派に入れない自分って何なんだろう。
イギリスでは、国柄やカルチャーがどうこうというよりも、ずっと踊っていられる、好きなことに没頭できるという環境が嬉しくって。ホームシックもありませんでした。3年制の学校でしたが、飛び級させてもらえたので私は2年で卒業しました。全く英語をしゃべれないままイギリスに来ているので、飛び級していることも後から友人から説明してもらったくらい(笑)。
もともとあった足の怪我が、ダンス三昧の日々で簡単に悪化してしまって、卒業後は治療のために日本に戻ることにしました。「オーディションを受けられなくて悔しい」とか「ヨーロッパでプロのダンサーとして研鑽を積めないのは悲しい」といった気持ち半分、明確な目標を持てていないのだから一旦帰国すべきかな、という冷静な気持ち半分、という心情だった気がします。
そもそも在学中から「なんでみんなオーディション受けるんだろう」って思っていたし、もっと遡れば3歳から始めたモダンバレエの教室でも、みんなはバレエの先生になることを夢見ているのに、私だけ美容師だったり花屋だったり、その都度変わっていて。
こんなにも踊り漬けの毎日なのに「私には才能がないのか、本当は踊りが好きじゃないのか」と考えたり、多数派に入れない自分って何なんだろうと。
ダンスは日常を豊かにする“ツール”であり“知恵”。
日本に帰って来てからは、病院に通いながらもアルバイトを掛け持ちしたりしてました。手術をしたらヨーロッパに戻るつもりでいたし、向こうの友人たちにもそう言って帰国していました。けれど2010年ちょうど20歳のときに、ある出会いをきっかけに“戻らない”と決意します。
父親が、障害者の方が通所する施設で定期的に陶芸教室を開催していたのですが、その施設から「ダンスを使って何かやってくれないか」と依頼を受けて訪ねたときに、衝撃を受けたんです。
人々がキラキラと輝いていて。ただ作業しているだけなのに。“この抜きん出た魅力は何なんだ!”って。別に誰も私のことを責めていないんですけど、すっごく恥ずかしい気持ちになってきて。「なんか私って取り繕ってカッコつけたことばっかり言ってるけど、本当はこの人たちみたいに素直に、こんな風でいたいんだよなぁ」と。
その衝撃的な出会いから色々考えて。当時は怪我のリハビリ中だったので、松葉杖で生活していたんですけど、幸い他の部分は動くし、もっと言えば息もできてるし思考もできる。別に踊れないわけじゃないなと。そのときに「自分は踊りをひとつのツールとして、日常生活を送っているいろんな人に伝えたい・使ってもらいたいんだなぁ」と気づいたんですね。
プロになって自分一人が舞台で踊れればいいわけじゃない。もちろん、本当に長けた人は“見せる”ことに徹すればいいけれど、自分はそうじゃない。怪我をして、そして様々な障害のある方々に出会って、ダンスは生活を豊かにするツールであり、知恵であることに気づけた。だから私はそれを細く長く、続けていきたいと思ったんです。
“日常を生きる人たちの体”に魅了されて。
福祉施設で踊るのとはまた別に、2010年に相方から声をかけてもらって「いまるまる」というダンスユニットの活動もしています。そのときは「コンテンポラリーダンス」というワードが金沢では全然浸透していなくて、シンプルにわかりやすく、コンテンポラリーダンスを提示していこうと。そしてそれをすることで県内で活動している別ジャンルのアーティストたちともタッグが組めたらいいなぁというのが始まりでした。
けれど私の方が、“日常を生きる人たちの体”にどんどん魅了されて、目が離せなくなって。そっちばっかりにひっぱられるというか。そしたら去年「今はくるみちゃんが想うことをやらなきゃいけないときだから、パフォーマンスはお休みにして、そっちをやった方がいい」と相方が言ってくれて。当時は「あ、嫌われてしまったかもしれない」とショックだったんですけど、今はその意味がじわじわ分かってきました。きっと言い出すのにすごく勇気が必要だったはずで、もし逆の立場でも私は言い出せないかもしれない。長年、私のことを近くで見てくれていて、一緒に活動を重ねてきた相方の心からの言葉に、日々感謝しています。
自分も他人も“評価”せずに、向きあう。
「ダンス・ウェル(※)」との出会いは、Dance Well石川実行委員会共同代表として現在一緒に活動をしている黒田さんに誘っていただいて、イタリアに講師養成コースを受けにいったことがきっかけです。
10年以上、 “福祉施設”というある意味で閉じた環境でダンスを続けてきて「ハンディのあるなしに限らず、一般の人にもダンスのベネフィットを知ってもらうにはどうしたらいいだろう」とちょうど考えていた時期だったので、何か確実なヒントやきっかけが得られるんじゃないかと感じました。
(※)2013年からイタリア・ベネト州バッサーノ・デル・グラッパ市で始まったパーキンソン病と共に生きる人に向けたダンス活動。治療法としてではなく芸術活動としてダンスを捉える。一定期間のクラスを行った後、ダンス公演なども開催。
ダンス・ウェルでは、「比較して、正しいか間違っているかを決めつけたり、評価をしたりしない」ということを大切にしています。最初は全く自分が出来なくて。今は少しずつ感覚が分かってきたような感じがあり、1年以上継続して活動を重ねてきたことで得た、私にとっての大きな収穫です。
それは思考訓練でも何でもなくて、いろんな立場の人たちと踊る場を共有させてもらっているからにすぎません。“ミックス・グループ”と私たちは呼んでいるんですけど、様々な人が混ざり合うことで「こうだ」という概念が取っぱらわれていく。自分のことも他人のことも評価せずに、その場ででてくる表現を味わう・向き合うということができるようになる、それはダンスアーティストとして一番の授かりものだと思っています。
発信元は、常に自分の内側であること。
私がダンスを生み出しているのは家です。鏡もないし、みなさんが想像する“ダンスで食べている人”の踊りのつくり方とは違います。私はないものを体で見せるパフォーマーじゃなくって、まわりや自分の生活につねに感覚のアンテナを立てて、それをダンスというツールを使ってみせているだけ。そういう意味では、子どもと接するのも、ダンスを踊ることも変わらない。とってつけたようなやり方ではなく、発信元は常に自分の内側だぞってことは、ここ10年でどんどん腑に落ちていってます。
子どもを産んだことも、金沢に住んでいることも、ハンディと言われればそうかもしれません。確かに参加できないクリエーションや、誘われても断らざる得ない仕事も時にはあります。けれど確実に、「ここでできること」はたくさんある。
母親というロール(役割)があることでつながれるコミュニティもあるし、出産したからこそ体の変化も経験できたわけで。「リミットが可能性になる」ということはダンス・ウェルに携わっていて、より強く感じるようになったことです。
自分の心身の軸の上にいられるように。
「ヨーロッパに戻らない」と決めた時も、東京や大阪といった都会に行く発想はなかったです。
金沢は息がしやすくて空気が肌にあう。あとは“余白”があるというか。同じリズムで何かを生み出すということは、余白がないとできません。静かに自分をチャージする、静けさで満たす、ということが都会では難しいから。自宅もそういうことを意識して建てました。
だから“外へ外へ”というよりも、ちゃんとここに足をつけていきたい。金沢に生まれた身として、この地で少しでもさせていただけることがあるのではないかと考えています。
今、コロナをひとつのきっかけに、自分も含め周りがデジタルデバイス漬けになっているのを感じます。そこに自分を投影して、それなしでは生きられなくなっている。
けれど、コロナやインフルエンザにかかって、それと向き合うのは自分の体ひとつなわけで。だから私は私のやり方で、どこまでいっても体と向き合いたい。自分から出てくるものをまずその人自身が知って受け止めて、またその人自身がそれを表に出して、というダンスを使ったやり方で。身体性にみなさんが立ち帰って、自分の心身の軸の上にいられる時間を提供していかなきゃいけないと思っています。
【profile】
なかむらくるみ
石川県金沢市生まれ。ダンスアーティスト。2007年文化庁新進芸術家海外留学派遣研修員として英国Rambert School of Ballet and Contemporary DanceにてDiploma取得。県内複数の障がい者福祉サービス事業所等にて、呼吸、こころ、からだを丁寧に感じ、大切にする時間を様々な人と共有する「だんす教室」を継続的に開催している。2018年8月イタリア・ベネト州バッサーノ・デル・グラッパ市にて、パーキンソン病と共に生きる方々を含む市民のために開かれたダンスの場「ダンス・ウェル」の指導者コースを修了。同年12月「Dance Well石川実行委員会」を立ち上げ、現在、県内の様々なアート空間でダンス・ウェルを実施している。
photo:Ryo Noda
(1-5枚/8枚目)
URL | ソコニダンス by KURUMI NAKAMURA |
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