居合のまちに生きる道 / 村山市・西城舟二さん
インタビュー
世界にただひとつというユニークな神社が山形県村山市に存在していることを、ご存知でしょうか。「居合神社」。古くは熊野明神、林崎明神とも呼ばれていたというこの神社には、居合道の始祖とされる林崎甚助重信公が祀られています。
居合とは抜刀の技。室町時代ここ村山市に生まれた林崎甚助重信公は、暗殺された父の仇討ちのために幼い頃から剣法の上達を熊野明神に祈願参籠し修行に励み、神妙秘術の抜刀術を悟り開眼。仇討ちの旅に出てやがて見事本懐を遂げたとのこと。1560年頃のお話です。以来、剣術の道を志す人たちの聖地ともいうべき場所となったのでしょう。サムライの最後の時代であった江戸時代においても、居合・剣術の修行をする者が多くこの神社を訪ねお参りしたのだそうです。
…という今から何百年も昔の物語が、すでに忘れられたり置き去りにされたりすることなく、実はまだ2020年現在のこの地域に脈々と息づいているのが面白いのです。
今も村山市のこの居合神社には、居合を学ぶ剣士たちが全国からお参りに訪れると言います。神社の境内では毎年、居合を中心とした奉納演武が行われています。地域の小学校には全国でただひとつという「居合道クラブ」があり、そこで居合を学ぶ子どもたちは毎年6月には「全国各流居合道さくらんぼ大会」で演武を披露しています。
居合神社すぐとなりの村山居合振武館では、居合の稽古が週2回行われています。地域の人たちだけでなく、近隣の町から、さらには仙台などからも熱心な参加者たちが集います。居合道を中心にした体験型メニューやツーリズムを、村山市では数多く用意しており、国内旅行者や海外からの観光客に対して「サムライ体験」を提供しています。一体この国のどこかに(ということは、この世界のどこかに)、こんなふうに居合を財産として大切にしているまちが他にあるでしょうか。村山市はおそらく全国唯一の「居合のまち」と言えるのではないか、という気がします。
さて、2020年2月に地域おこし協力隊として着任した西城舟二さんは、まさに、こうした居合によるシティプロモーションのために村山市に移住してきたひと。村山市に来る直前までは東京で働き暮らしていたそうです。どんなことをこの居合のまちでやろうとしているのか。この居合のまちに生きることにどんな楽しみを見出しているのか。着任からまだ半年ほどだという西城さんを居合振武館に訪ね、インタビューしました。
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》》 西城さんがこの村山市に暮らしはじめた経緯を教えてください。
私はこのまちの地域おこし協力隊として、2020年2月に着任しました。居合によるまちのPRを盛り上げていく仕事です。そんな私自身も実は元々は、昨年11月に開催された移住体験イベントの参加者として新幹線でこのまちにやって来た東京の人間でした。そして、そのときに、居合道にはじめて触れたのです。
それはまちがプログラムとして用意してくれた「居合道体験」という30分ほどの体験メニュー。そのわずかな時間の体験がとても面白かったんです。刀を持つのも初めてだったし、実際に刀を抜いてそしてまた鞘に収めるというようなことが、なかなかうまくできなくて…。それでかえって「よし、やってやろうじゃないか」と、挑戦欲求を刺激されてしまいまして。
私は剣道5段で、長く竹刀で稽古してきた経験がありましたから、それでなおのことチャレンジしたくなったのかもしれません。どちらも剣術という意味では同じですし。けれどやはり剣道と居合とは違うところが色々ありました。例えば、剣道は最初から立った姿勢で竹刀を交えにらみ合うわけですけど、居合の場合は、座って、剣を抜く前の段階からもう勝負が始まっているんです。相手が剣を抜く気があるのかないのか、鞘のうちの勝負、というのもあるくらいです。
》》では、本当に、居合をやるために東京から村山市に来たわけですか?
大学卒業以来、ここに移住する直前まで、東京暮らしを20年ほど続けていました。長く公務員として働き、様々な現場で実に様々な経験をさせてもらい、ディープな仕事も色々やりました。やがてひょんなことからその仕事を辞めることになり、それからまた別の仕事に就いて生活してきました。そういうような東京の生活をつづけるうちに思うようになったのは「最後に骨を埋めるのは東北の田舎で」ということでした。私は宮城県気仙沼市の出身なのです。
それが昨年、村山市に来て居合を体験したら、楽しいし、近くにはいい温泉があるし、会う人みんな優しいわけです。「いつか、ゆくゆくは、定年退職したら、東北の田舎に」と思っていたことが、「体が動くうちに、早めに田舎に来て生活の基盤を作っておこう」と考えが変わっていったんです。それで、予定より早いタイミングで田舎暮らししようと決心し、村山にやって来たのです。すでにここで暮らしはじめて半年。今では「もっと早く来たらよかった」って思っています。
》》 暮らしの場が東京から村山市へというのは、かなり大きな変化ですね。
東京は東京で楽しかったし、ここはここでとてもいい場所です。このまちは本当にみんな優しくて人がいいんです。ニュースにもなりましたが、山形県って犯罪検挙率で全国1位を争うくらい治安がいい場所です。素直ないい人とともに生きるって一番いいことじゃないですか。いい人間に囲まれて、人間らしく生きていける。すごく素晴らしいことですよね。朝から満員電車に乗ってイライラしたりしなくていいし、イライラした人間同士の喧嘩騒ぎなんかを見なくてすみますし。
昨日の夜なんて、家に帰って来たら、採れたての農作物がポンと家の玄関に置いてあるんです。近隣のおじさんとかおばさんが「食べろ」って意味でなにも言わずに置いてくれたんですね。ぶどうでした。春は菜の花でした。夏場はナスやきゅうりでした。これ、東京だったら考えられないですよね。というか東京だったらむしろ怖いことで、「なにか仕掛けられているんじゃないか」って勘ぐってしまうのではないでしょうか。
東京とは対照的に、ここにはのんびりとしたゆとりがあって。うちの果物食べなよ、野菜採れたてだよって、自分を気にかけてくれる人がいてくれて、おすそ分けしてもらって。ありがたいですよね。行きつけの好きなお店もできました。私の親と同じくらいの年齢のお父さんお母さんがやっている居酒屋です。お通しだけで食べきれないほど出してくれて、びっくりするくらい安くて…。こういう人の近さ、温かさが嬉しいです。
》》 これからの西城さんの目論見を教えてください。
本当なら、居合をみっちり学んで、イベントや演武などを開催して東京の人に居合の面白さを伝えられるようにしたいと思っていたんですけど、残念ながらコロナのこともあって、それは少し先のことになりそうです。でもぜひ、技の交流会とか、稽古会とか東京でやりたいですね。
まちの居合道体験プログラムも、ようやく再開したのでこれから軌道に乗せたいと思います。「軌道に乗せる」と言っても、居合をやっている人だけで頑張るんじゃなくて、まちの人をたくさん巻き込んでみんなでまちおこしするってことが大事だと思うんです。居合という日本文化を世界に広めることは確かに重要だけど、まずは地元の人と一緒になることの方がもっと大事なはずです。まちのお祭りとかお店とかみんなで協力し合いながら、みんなで作りみんなで盛り上げるものにしていきたいです。
「サムライ体験」と銘打たれることもある居合体験ですが、そういう「サムライ」って言葉が抽象的である反面、実際は礼とか正座とか具体的なひとつひとつの所作の積み重ねです。それぞれに意味があり、日本の文化が感じられます。そういう所作を通して、自然に気持ちが整い、腹が座り、開き直りにも似たような境地に至ります。居合体験って、そういう文化理解のきっかけだと思います。そういう日本の文化のことを深く学びたい人にぜひ体験していただきたいですね。
ちなみに私の好きな言葉は「なるようになるさ」。そういう開き直りのような心持ちを私自身、大切にしているんです。
※村山市の居合道体験についてはこちら(https://www.iaidoexperience.com/)
Photo & Text by 那須ミノル