ザ・ソーシャルが目指すまちの未来図
インタビュー
名古屋テレビ塔を中心とした久屋大通公園で毎年開かれる「ソーシャルタワーマーケット」は、いまや秋の恒例となった人気イベント。9回目となる今年は、久屋大通公園の改装にともない会場を最北エリアの「ケヤキヒロバ」と「シバフヒロバ」に移し、ゆったりとした雰囲気の中で3週にわたり開催されました。本記事でご紹介するのは、このプロジェクトを率いてきた青木奈美さんと、スタート時は名古屋市の職員として、またその後はボランティアリーダーとしてイベントを支えて来た長崎正幸さん。今年からプロジェクトの運営を担う「株式会社ザ・ソーシャル」を立ち上げ、二人揃って代表を務めることになりました。
名古屋テレビ塔は戦後、復興のシンボルとして1954年に建てられました。2011年には地デジ放送への移行を機に電波塔としての役目を終え、一時は存続が危ぶまれたことも。そんな中、市民らが声を上げ「名古屋テレビ塔のあるまちに新しいカタチの社交場を」をコンセプトとした「ソーシャルタワープロジェクト」が誕生。「ソーシャルタワーマーケット」はそのメインコンテンツとして毎年開催されてきました。
ーー今年で9回目となったソーシャルタワーマーケット、場所も一新していろいろな面で新しい試みとなりましたが、終えてみて感想はいかがですか?
青木:毎週末3回も続けてやるのは初めてで、大変だろうと思っていたんですけど、想定よりは余裕があったと思います。9年目にして初めて、私たちスタッフもゆったりとマーケットを楽しめたような気がします。
ーーお馴染みのお店から新しいショップ、作家さんまで、出店者さんの幅も広がってきましたね。
青木:各週ごとに約70店舗、3週合わせると200店舗を超える方々が出店してくださいました。
当初はお店や作家さん達を一軒一軒回り、直接イベントの趣旨を説明しながら出店のお願いをしていました。大変でしたけど、振り返ると懐かしいです。馴染みの出店者さんも増えてきた一方で、出店枠の空きがなくなり、新規の出店希望の方を受け入れるのが難しくなっていたんです。今年は開催を3週に分けたことで、待ってくださっていた方にも参加いただくことができました。
ーー青木さんは初回からリーダーとしてマーケットを運営されてきましたが、長崎さんはスタート時、今とは違う立場で関わられていたそうですね。
長崎:私はその頃、名古屋市の職員だったんですよ。イベントの最初の年は、このプロジェクトは名古屋市の事業でしたので発注者の立場でした。
ーー市の担当者として、立ち上げ時には今とは違う大変さもいろいろあったのではないですか。
長崎:当時、観光推進室のテレビ塔担当で、電波塔としての役目を終えたテレビ塔のこれからを考えるにあたり、市民の皆さんとテレビ塔の未来を考えるイベント「Thinkテレビ塔」に携わりました。そこで出た「テレビ塔が生まれ変わる!」、「公園を社交場に!」みたいな意見は新鮮でした。
「それなら有効なデータを取りたい!」
実験的な意味でも、有意義で市民の社交場となるようなイベントを実現できたらいいなと思ったんです。けれど公共の公園内でこのようなイベントをやるとなると、公園の管理者などから懸念の声もありました。駐車場をライブステージにするなど、前例のないことをやろうとしていた為に、その対応や調整が大変だということで。
ーーそこで現場の担当者として運営スタッフと公園管理者との調整に尽力されたんですね。その後は職員としてではなく個人でボランティアリーダーとしても活躍され、ついに職員を辞めてプロジェクトの代表になられました。大胆な転身ですね(笑)。
長崎:その理由についてはこの半年くらいの間に何十人もの人たちに訊かれました。おかげで自分の気持ちをだんだん明確に話せるようになった気がします(笑)。
僕自身、役所に入ったときから、公務員で終わろうとは思っていませんでした。転職し、違う何かでもう一度頑張れる年齢の限界は、漠然とですが50歳前頃だろうと。ソーシャルタワーに関わり始めたのがちょうどそういう時期に差し掛かっていたというのもありますね。
そんな時、観光推進室から別部署に異動になったんです。すると、3年間一緒にやってきた仲間達から「お疲れさまでした!」なんて言われて、僕一人だけ送り出される雰囲気に…。なんだか「あれ?」みたいな気持ちになっちゃったんですよ。
ーー異動がきっかけで関わりがなくなるのが寂しいと感じてしまった?
長崎:そうですね。大変なこともたくさんあったけど、やっぱり単純に楽しかったんですよね。
ーー青木さんはこの9年間に、気持ちの変化はありましたか?
青木:私はそもそも“地域貢献”とか“まちづくり”とかに特別興味があった訳ではなくて。ただ、同じようにまちのことを他人事だと思っている人はきっと沢山いて、そんな人達が「面白い!」って思える何かを仕掛けられたら自分も楽しいだろうし、周りの友達も一緒にまちを愛せるようになるだろうと感じていました。
視点を変えて「私にできることをやってみよう!」と考えたとき、「まちが自分たちの遊び場だ!」と思えたら、自然と好きになれるだろうなと。
ーーついに会社組織を立ち上げ、トラックも誕生。今後はどんな展開を目指していきますか?
青木:公園でイベントをやるためには法人化していないとできないというのもありましたし、今後はもっと別の場所や違うスタイルにも挑戦し、展開を広げられたらと思い、体制を会社にしました。
ーー具体的な計画や予定は?
青木:具体的なことを始めるのはまだまだこれからです。でも、プロジェクトのスローガンは「テレビ塔のあるまちに新しいカタチの社交場を!」なので、これまで年に一回だけのイベントだったマーケットを、日常にできたらと思っています。規模は小さくてもいいので、マーケットを凝縮したこのトラックを拠点に、久屋大通以外にも小さな社交場をあちこちに作れたらいいなと思っています。