【郡山/連載】「音楽のまちで、」vol.1 / 歌を通して、誰かの居場所をつくりたい。甲斐大河さん
ローカル気になる人
郡山市は、音楽のまち「楽都郡山」として知られています。
さかのぼること、70年前。表現の自由が謳われ美術や演劇、音楽などの団体が結成される中、オーケストラの演奏会が大成功を収めました。
そのことをきっかけに、器楽や合唱、学校音楽が盛んになり、音楽のまちとしての基盤が形成されました。
また、1974年にはオノヨーコさんや沢田研二さんら当時人気を博していた豪華ロックミュージシャンが出演した、日本初の野外フェス「ワンステップフェスティバル」が市民の手で開催され、様々な音楽が親しまれる街になったのです。
今回は、サンボマスターやスガシカオも出演した「風とロック芋煮会2019 イモニー村祭り」で歌った経験もある、20歳のシンガーソングライター・甲斐大河(かい たいが)さんに話を伺いました。
上手い下手ではなく、心に響く音楽を。
甲斐大河さんは、郡山生まれ郡山育ち。
ギター1本の弾き語りスタイルで、現在はライブハウスを中心に活動。
ストレートな歌詞と、優しさと力強さを併せ持つ声で、人の心に寄り添う歌を届けています。
音楽との出会いは、小学生のときでした。
「合唱団に入ってはいましたが、そこまで音楽に興味はありませんでした。そんな中、東日本大震災に遭って。ふと流れていた中島みゆきの『ファイト!』が、元気をくれたんです。そこから、尾崎豊を聞いたり、玉置浩二を聞いたり。竹原ピストルさんもリスペクトしていますね。上手い下手ではなく、シンプルに心に響く。僕がいちばん大事にしていることですね。」
温かく受け入れてくれる”居場所”
高校では、軽音楽部に所属します。しかし、顧問の先生とうまくいかず、学校もサボり気味に。
荒んだ生活を送っている中、他校の先輩にライブハウスに誘われました。
「衝撃を受けましたね。自由に音楽をやっている同年代の姿を間近で見て、求めていたのはこれだ!と。学校には、ライブハウスは行っちゃダメって言われてたんですけど(笑)」
一緒にバンドやろうと温かく受け入れる人がいて、ありのままの自分でいられる”居場所”になっていきました。
「福島のアーティストは、音楽経験が様々。だから、懐が広いし、熱量や技術も凄いんです。」
感染症流行前に行われたイベント
「風とロック」が、大きな転機に
大学生になると、周りの後押しもあり本格的に弾き語りに転身。めきめきと頭角を表します。
「風とロック」への出場権を賭けた大会に出場し、見事優勝を果たしました。
「自分らしさが最大限出ている曲が書けたのですが、まさか優勝するとは思いませんでした(笑)。でも、憧れのアーティストと共演して、たくさんのお客さんの前で歌うことができたのは、大きな自信になりました。」
活動の幅も広がり、ライブに呼ばれるだけでなく、ラジオ出演や、楽曲提供も依頼されたのだとか。
「風とロック芋煮会2019 イモニー村祭り」来場者数2万を超える大イベントでのパフォーマンスは、いまでも鮮明に覚えていると言います。
新型コロナ禍では・・・
とんとん拍子に事が進んでいると思いきや、突如感染症が猛威を奮いました。
「ツアーやライブへの参加など色々と動こうと思ってたんですけど、全部白紙になってしまいました。ただ、自分を見直す良い機会にはなったと思います。ライブを見返して技術を磨き、いままでつくったことのないようなテイストの曲もつくりました。」
また、大打撃を受けたライブハウスという場にもアクションを起こします。
「お世話になった場所。どうやったら恩が返せるのかと、ずっと考えていました。細々とライブはやっていたのですが、YouTubeでのライブ配信や一部売上を寄付するというイベントも企画にも参加しました。」
PEAK ACTION(ライブハウス/郡山市中町)で行われた、YouTubeライブ
歌を通して、誰かの居場所をつくりたい
最後に、今後について伺いました。
「周りには本当に恵まれましたし、これからも郡山を拠点として活動していきたいとは思います。ただ、一度上京してみたいという気持ちもあって。どこにせよ、いままで自分を温かく受け入れてくれた場所があったように、今度は僕が誰かの”居場所”をつくっていければいいですね。」
地元でずっと頑張りたい!と言うのではなく、迷っていると素直に言ってしまうのも、彼の真っ直ぐな性格が出ていると感じました。
等身大の自分を発信し続ける、甲斐大河さん。要チェックです!!
以前は郡山のアーケードや駅前広場など、様々な場所で歌っていました。ちなみに、私と甲斐さんの出会いも、深夜私が公園でキャンプをしていたとき、甲斐さんが歌いにやってきたことがきっかけでした。
プロフィール 甲斐大河(かい たいが)
2001年1月1日生まれの20歳。
震災のとき、ふと耳にした中島みゆきの「ファイト!」に衝撃を受け、音楽にのめり込むように。
高校生になると、本格的に弾き語りに転身。わずか2年ほどで、風とロックに出場。
現在は、ライブハウスを中心に活動している。