real local 郡山【福島/ゲストハウスオーナーからのお便り 1】福島で迎える “震災後10年”  - reallocal|移住やローカルまちづくりに興味がある人のためのサイト【宿・拠点】

【福島/ゲストハウスオーナーからのお便り 1】福島で迎える “震災後10年” 

福島の連載

2021.03.11

3月、啓蟄。guesthouse Nafshaのある福島県須賀川市でもウグイスが鳴きはじめ、ゆっくりと春を迎えようとしています。4月のグランドオープンに向けて、私たちの準備も大詰めといったところです。

前回の投稿では「私たちのやりたいことって、本当にゲストハウスなのかな?」という問いを残したままでしたが、この6か月を経て、分かったことがあります。
“分かった” 、というよりも、 “思い出した” と言った方が的確かもしれません。
それは私たちがこの10年、何を思って、なぜこの道を選んだのか、ということと同義だからです。

帰る場所を失い、より良い暮らしを探し続けた、10年

10年 ―― この時期にこの数字を見て、ピンとくる方は多いかもしれません。
東日本大震災から10年が経とうとしています。

この時間を長かったと捉えるかあっという間だったと感じるかは、きっと人それぞれでしょう。私たち夫婦にとっての10年は、“より良い暮らしをつくる” に想いをかけた10年だったように思います。

震災当時は夫も私も20代前半。20代というある意味で多感な時期の傍らには、常に「震災」と「復興」という言葉がありました。それは、言葉や行動に移している時だけでなく、たった一人、静かに夜を迎えている時でさえ無意識のうちにやってきて、私たちの生活の中に確実に根付いていったのです。

【福島/ゲストハウスオーナーからのお便り 1】福島で迎える “震災後10年” (2015年4月の南相馬市小高区。『除染作業中』の旗とフレコンバックが目にとまる。撮影:筆者)

福島県南相馬市小高区が地元である私にとっては、故郷がまさか帰れなくなる場所になろうとは、露ほども思っていませんでした。故郷というのはいつでもそこにあって、帰りたいと思った時にいつでも帰れる、そんな、 “親” と同じ存在だと信じ込んでいたのです。

だけれど福島第一原発から20km圏内に入ってしまった我が家は、一瞬のうちに立ち入れない場所となり¹、家族は県外へ移り住み、もはや元居た場所に帰る理由も失ってしまったのです。

“故郷” という存在がこれほどまでに自分の中で大きなものであったことを思い知らされたと同時に、「なぜ?」「どうして?」という疑問が次々と湧き出てきました。

「どうして私たちじゃなきゃいけなかったの?」「なぜ原発は事故を起こしてしまったの?」「安心安全未来のエネルギーじゃなかったの?」「どこかで変えられなかったの?」「どこで間違ってしまったの?」「何がそうさせたの?」「これから私たちはどう生きていけばいいの?」…。

私の “より良い暮らしをつくる” という長い旅路と闘いは、この時からはじまったように思います。


  ¹ 2016年7月12日に南相馬市の居住制限区域および避難指示解除準備区域が解除されている。

【福島/ゲストハウスオーナーからのお便り 1】福島で迎える “震災後10年” (2014年8月の小高区の実家。当時、日中のみ出入りが許可される『避難指示解除準備区域』だった。撮影:筆者)

 “人の力” を合わせて、 持続可能なゲストハウスづくりを

幸運なことにguesthouse Nafshaをつくるにあたって、私たち夫婦は素晴らしい出会いに恵まれてきました。お金を出せば業者に任せきりでも出来てしまうリフォームではなく、きちんと一つ一つ自分たちで考えてつくるリノベーションをしたい。そう思っていた矢先、地元で木工作家として活動をするyashuさんと出会い、大工仕事に関わる多くのことを彼にお願いすることができました。素材選びから都度相談をして家づくりに取り組む中で学べたことが多くあり、幸せな経験となりました。

【福島/ゲストハウスオーナーからのお便り 1】福島で迎える “震災後10年” (yashuさんに施工していただいた無垢材の床。仕上げも米油でナチュラルに。撮影:太田亜津沙

また、地元の布物作家である山野辺愛子さんと知り合うこともできました。 “端切れ” や “古布” が愛子さんの技術と感性によって美しくよみがえり、暖簾やカーテンなどとしてNafshaの空間に色を添えてくれています。特にダイニングチェアの座面には、「擦り切れても美しい」という、経年変化を楽しめる仕掛けを施して下さり、「新品が一番キレイ」という概念をやさしく変えてくれています。

【福島/ゲストハウスオーナーからのお便り 1】福島で迎える “震災後10年” (山野辺愛子さんの座面は、擦り切れても可愛い仕掛けがされている。撮影:筆者)

ガラス作家の三保谷泰輔さんも忘れてはいけません。以前、real local郡山でも紹介されていた「伏見屋ガラス店」の店主です。 “あるものを活かし、新しい命を吹き込む” というポリシーでステンドグラス作家としても活動をはじめた泰輔さんに、Nafshaの顔となるリビングの窓ガラスの制作をお願いしました。泰輔さんの捉える空間のイメージと私たちの希望とを上手くつなぎ合わせ、唯一無二のステンドグラス窓が出来上がっています。

(本来であれば、リビングの照明づくりにも取り掛かっていただく時期なのですが、伏見屋ガラス店さんが先月2月13日の地震より大きな影響を受け、一旦ストップしています)

【福島/ゲストハウスオーナーからのお便り 1】福島で迎える “震災後10年” (三保谷泰輔さんのステンドグラスは、光の加減で表情豊かに見える。撮影:筆者)

共に考え続ける ーー そのためのゲストハウスでありたい

「どんなゲストハウスにしたいですか?」という問いに対して、今私はこう答えます。

「これから先10年の、 より良い暮らしをつくるための “場” にしたい」と。

自分たちで暮らしたいと思う場所に住み、心地良いと思う家をつくり、地元の新鮮な野菜や米を食べ、健やかに働き、大切にしたいものを堂々と大切にできる…そんな暮らしをつくることは、奇しくもこのコロナ禍にあって、多くの人の関心を引いているように思います。

「世の中なんてそんな簡単に変わらないよ」と思う方もいるかもしれません。ですがそんな小さな選択をを馬鹿にせず重ねることこそが、何より大きな変化をもたらし得るということを、私は3.11から学んだように思います。

だからぜひ、ここへはみなさん自身の暮らしのヒントを見つけるような、そんな気分で来ていただきたいのです。もしかすると、「これだ!」という明確な答えはすぐには見つからないかもしれません。でもきっと、考えるための “種” は持ち帰ってもらえるのではと思っています。そして可能であれば、一緒に考えて欲しい。「今より少しでも暮らしを良くするには、何ができるかな?」とか、「働き方の選択肢を増やすにはどうしたらいいかな?」とか。そのちょっとした疑問や発想で食い止められる悪循環があり、住みやすい社会をつくれる可能性が開けると思うからです。

闘い続けたこれまでの10年。今から先の10年は「あの時みんなで一緒に考えて、やってきて良かった」と思える未来であって欲しいと心から思います。私たちのゲストハウスがそのために少しでも役立てれば、これほど嬉しいことはないのです。

【福島/ゲストハウスオーナーからのお便り 1】福島で迎える “震災後10年” (リノベーション後のNafshaのキッチン。撮影:太田亜津沙

ゲストハウスのご予約は “お手紙”で

4月1日のグランドオープンに向けて、guesthouse Nafhsaでは、現在宿泊予約を受付け中です。予約方法はなんと「お手紙」。ネットですぐにアクセスできる世の中にあって、なんとも面倒なこの方法をとることに決めたのは、この宿を簡単に消費できる「商品」にしたくない、と考えたためです。ちょっと、というかだいぶ面倒ですね、すみません(苦笑)。

ですが、ご予約を検討されている皆さまには、ぜひ須賀川にちょっとした文通相手ができたような気分で、お手紙をしたためていただけますと幸いです。

心を込めて、返信いたします。

皆さまにお会いできる春が、待ち遠しい日々です。

(real local 郡山では今後、『guesthouse Nafsha お便り』を連載いたします。

須賀川からのお便りを、これからもどうぞお楽しみに)

 

URL

 

公式HPはこちら

note:nafsha_guesthouse

Instagram:guesthouse_nafsha

屋号

guesthouse Nafsha

住所

福島県須賀川市矢沢八幡山45-24