山形県村山市・麿 恵美さん/農業を学び、理想の暮らしをつくっていく
移住者の声
他の街から山形に移住した人々の声を聞くシリーズです。
2019年11月、農業を志し、地域おこし協力隊として横浜市から山形県村山市に移住した麿 恵美(まろ めぐみ)さん。農家としての独立を目指して日々奮闘しつつ、プライベートでは空き家を自ら改修しながらペットと暮らすなど、自らの手でコツコツと理想の暮らしをつくりあげています。
今回は麿さんが栽培技術を取得中だという啓翁桜の作業小屋を訪ね、村山市での暮らしや、農業への挑戦についてお話しを伺いました。
心身のケアに農業を
麿さん:移住のきっかけは、農業に興味を持ったことでした。生まれも育ちも横浜市。以前は東京のIT企業で働き、その後は映像機器のレンタル会社でカスタマーサポートを担当していました。ところが、24時間のシフト制で日勤と夜勤が入り混じり、自律神経失調症を患ってしまい、会社を辞めることに。
休養中に本を読んでいたら、自律神経失調症には農業がいいことを知りました。自然の中で働き、土や緑に触れたり日光を浴びて季節を感じることは、精神衛生上とてもいい。農業は個人の裁量が高い仕事で人と一定の距離感が保てるので、人間関係に疲れた人にもいいと、その書籍には書いてありました。
もうひとつ農業に興味を持ったきっかけが、動物です。ちょうどその頃にインコを飼い始めて、インコの餌になる粟(あわ)を自分でつくってみたくなりました。プランター栽培に失敗し、どうしたらうまくつくれるのかと、農業に興味を持つようになりました。
そこで東京から横浜の実家に戻り、神奈川県の農業アカデミーの研修を受けたところ、すっかり農業にハマってしまって。その後に横浜市主催の2年間の農業研修があり、そこでブドウ農家さんと仲良くさせていただいたり、農業関係のボランティアをしたりしていました。
こうして2013年あたりから農業に携わり、これからは本格的に農業をやっていこうと決意したのですが、神奈川にはいい農地があまり残っておらず、農業に力を入れている県に移住しようと検討を始めました。
大粒のシャインマスカットに魅せられて
村山市との出会いは、東京で開催された「新・農業人フェア」でした。新規就農したい人と受け入れたい自治体とをマッチングするためのイベントです。新参者ではなかなか農地がもらえず、農業するには人との繋がりが大切になると聞いていたので、地域おこし協力隊(※)は地元の方々との繋がりを持つのにいい制度だなと思っていました。
※地域おこし協力隊とは、人口減少や高齢化が進行する地方において、地域外の人材を積極的に受け入れる制度。地域協力活動を行ってもらい、その定住・定着を図り、地域での生活や地域社会貢献に意欲のある都市住民のニーズに応えながら、地域力の維持・強化を図ることを目的としている。
そこで地域おこし協力隊の制度がある自治体を探していたところ、村山市が就農・農地継承をミッションに協力隊を募集しており、「村山市に一度来てみませんか?」とお誘いいただき、行ってみることにしました。
村山市にはお試し移住の制度があり、交通費は実費ですが、滞在中の費用は市が負担してくれることも行きやすい理由でした。2019年9月、一泊二日で初めて村山市を訪ねたところ、市役所の方がとても丁寧に対応してくださり、農家さんをご紹介いただいたり、村山市の名所を案内していただきました。その担当の方がとても地域に詳しく、農家のみなさんとしっかりコミュニケーションされている印象があり、ここなら自分も安心して農業ができそうだと思いました。
もうひとつ決め手になったのが、シャインマスカット。農家になったらブドウをつくりたいと思っていたのですが、村山市のブドウ農家さんをお訪ねしたところ、そこのシャインマスカットが大粒で本当においしくて。こんなおいしいブドウがつくれるこの村山市はきっといい所なんだろうと思い、移住を決めました。
すぐに協力隊の面接を受けて採用していただき、翌月の10月末には村山市に移住しました。
農業の現場に飛び込む
地域おこし協力隊の任期は3年で、それ以降は市からの補助がなくなります。だけど、農業は地に足をつけた仕事。独り立ちするのに3年では間に合いません。土地の特徴を肌身でよく理解しないといけないし、周りの方との関係づくりも必要なので、初年度から急ぎ足でやっていきました。
市の農林課やJAみちのく村山のみなさんから様々な農家さんをご紹介いただき、お手伝いしながら村山市ではどんな作物ができるかを学び、その中で自分に合うものを見つけようと取り組んできました。
初年度は「アグリランドむらやま」という市の事業で仙台からの観光客の野菜収穫体験のサポートをしたり、リンゴやラフランスの箱詰め作業、タラの芽のハウス栽培、またプライベートの時間でさくらんぼ収穫のお手伝いに行くなど、村山市でできる農業を大まかに一通り体験させていただきました。4月に入ってからは市民農園を借りて、みなさんから習ったことを自分でも実践している最中です。
空き家を取得して、DIYリノベーション
村山市に移住して、約1年半。ここでの暮らしにもだいぶ慣れてきました。
だけど、最初は言葉がわからず苦労しましたね。JAの地元のお母さんたちと積極的に会話して聞く耳を養い、いまはだいたい理解できるようになりました。
道を覚えて運転にも慣れてきましたし、体調もすっかり良くなりました。満員電車もなく、自然に恵まれて、人との適度な距離感が私にとってはいいですね。村山市に来て楽しい人生が歩めているなと感じています。
2020年10月には空き家を取得し、DIYで改修しながら暮らしています。農業のお手伝いに山沿いのエリアに行く機会が多く、周辺にほとんど人が住んでいない静かな環境が気に入ったので、地元の方に「空き家があったら教えてください」とお願いして見つけていただきました。
10年以上空き家になっていたという一軒家。決め手は裏に広い農地があったこと。なるべく畑の近くに住みたいと思っていたので、ここに決めました。
しっかりした造りの家ですが、古いのでトイレは汲み取り式だし、お風呂もボイラー式。改修の見積もりを出したら高額だったので、水回り一式は業者の方にお願いして、フローリング貼り、漆喰塗り、押入れの棚を壊して収納をつくったりと、残りは自分で直すことにしました。知識はなかったのですが、YouTubeで調べるとたくさんやり方が出てくるんですよ。
都心にいた頃は、部屋が狭くて家賃も高く、隣近所との距離も近く、家を取得するハードルはすごく高い。ここでは無理なく家を取得することができました。
家を買うことには責任が伴いますが、広いスペースを自分の好きなようにアレンジして暮らせるのはすごく心地いいですよ。ペットのインコのYouTubeを配信したり、楽しく暮らしています。屋根のペンキ塗りをしたり、農業の作業小屋をつくったりと、家の改修もまだまだやることがいっぱいです。
東京オリンピックで村山産の啓翁桜を咲かせる
村山市の農家のみなさんは本当に働き者で、季節ごとに作物を変えて年中働いていらっしゃいます。雪深い冬の時期はタラの芽と啓翁桜が村山市の主力の生産物で、いまは啓翁桜の栽培方法を学んでいる最中です。
啓翁桜とは、加温や保温によって開花時期を調整した「冬に咲く桜」のこと。秋の冷え込みが早い山形の気候を利用して栽培します。村山市ではJAみちのく村山の共同ハウスがあり、個別に暖房器具やハウスを持たず、当番制で助け合って栽培できるのが特徴です。
JAみちのく村山では啓翁桜の生産部があり、幸運なことに部会長さんである鈴木久雄さんの元で学ばせていただいています。
現在、村山市では東京オリンピックで村山市産の啓翁桜を咲かせるプロジェクトに取り組んでいます。啓翁桜は冬に咲かせる桜ですが、冬眠期間を調整することで、オリンピックに合わせて夏に桜を咲かせようという試みです。
あいにく私は作業のお手伝いができなかったのですが、収穫した枝は、夏に花を咲かせるため、いま800本の啓翁桜が市の雪室施設の中で保管されているとのことです(2021年3月時点)。東京オリンピックに桜が映るのを今から楽しみにしています。
3本の柱を持った農業スタイル
家の裏に5反の畑があり、今年からは自分自身の畑として借りられる予定になっています。
最初から5反は広すぎるので、まずは半分から。ここから数年は引き続きいろんなところへお手伝いに行き学びながら、少しづつ自分の畑の収穫を充実させていけたらと思います。
作物はひとつに絞り込むのではなく、春にさくらんぼ、秋に里芋、冬に啓翁桜と、まずはこの3種を安定的につくることを目標にやっていきたいです。
鈴木さんからはこんな言葉をいただきました。
「農業を生業にしていくのは、ハードルが高いこと。ひとつの作物に頼ることなく、三本の柱を持てば倒れない。万が一なにかひとつダメでも、バランスをとって生き延びていける。その中のひとつとして、啓翁桜を選んでもらったのがよかったと思う」
気候変動が激しいですし、ニーズを見て、柔軟に変化していける農家を目指したいと思います。
最終的にはブドウをつくりたいのですが、苗を植えて収穫するまでに3〜4年かかるので、もう少し時間が必要。当面はさくらんぼ、里芋、啓翁桜の3種で足掛かりをつくっていきたいと思います。
この土地で農業を続ける上で、地域の農家の方々とのコミュニケーションは大切。初年度からたくさん教えていただいた恩返しもしていきたいと思っています。協力隊としての活動は2021年12月末まで。少しでも早く独り立ちできるように、積極的に学んでいきたいと思います。
取材・文:中島彩
撮影:伊藤美香子