名古屋最古の「円頓寺商店街」 起死回生の立役者たちの心意気!
ローカル気になる人
近年、目覚しい開発で話題の名駅エリア。名古屋駅から徒歩10分ほどの場所に、建ち並ぶ高層ビル群とは対照的な昔ながらの下町情緒を残す円頓寺商店街があります。時代の流れで一時は衰退したものの、再び活気を取り戻し、市民や観光客から人気を集める魅力的なまちへと生まれ変わりました。
一時は、日曜日でもほとんど人通りがないほどに廃れてしまった円頓寺商店街。そんな様子に危惧を抱いた人たちが、2007年「那古野下町衆」(通称:那古衆(なごしゅう))を発足。それぞれの専門性と実行力、まちへの思いが結集し、円頓寺は再び息を吹き返します。
まち再生の立役者となった那古衆のメンバーで、2018年に「株式会社ナゴノダナバンク」を立ち上げた藤田まやさん、市原正人さん、齋藤正吉さんにお話をうかがいました。
――「那古野下町衆」とはどんな組織ですか。
藤田:商店街にはもともと組合がありますが、通りに面していないと加盟できなかったり、商店街とそれ以外とで取組を一緒にはやりづらかったり。まちづくりは筋や通りも含めたエリア全体を“面”として考えていかなければいけませんし、地元以外の人も加わって企画、実施することも大切。そのための受け皿として発足した組織で、市原さんや齋藤さんのような建築家、大学の先生やコンサルタントなど、さまざまなメンバーで構成されています。
――もともと円頓寺で生まれ育った藤田さんも発足時から参加されていたのですか。
藤田:はい。発足の少し前、私が学生の頃から、見たことのないような大人たちがこのまちに出没しだしたのを見て、「狙いは何だ?」と警戒してました(笑)。いまでこそオープンでお酒を飲めるバルやカフェは円頓寺の人気店ですが、あの頃、外で昼間からワインを飲んで話し合ってる人なんていなかったし、地元の子は当たり前に手伝わなくてはいけなかったまちのお祭りにも、外から来た大人たちが率先して参加して楽しんでいる。全然意味が分かりませんでした。ステテコ姿のおじさんがいたり、近所のお店でおしゃべりしたり、遊んだり、そんな下町情緒こそが円頓寺らしさだと思っていましたから、当時はただただ怪しい存在に見えました。
――そんな藤田さんが、やがて那古衆の一員に。まちのために奔走するようになったのは?
藤田:商売をやめる人が増え、お店が次々に無くなっていくのを目の当たりにして、このままではまちも商店街も無くなってしまう!と衝撃を受けたんです。まちに育てられた私としてはとても寂しかった。その思いがこうしてまちづくりに関わるきっかけになっています。
――市原さん、齋藤さんが円頓寺のまちづくりに携わったきっかけは?
市原:初めは特に明確な目的はなく、建築家仲間を中心にいろいろな人がこのエリアの魅力やポテンシャルに気づき始めていたなかで、とりあえず集まって話し合うようなことを重ねていました。
齋藤:僕も当時、市原さんに声をかけてもらったのですが、那古衆として、まちあるきや防災、イベントなど、いくつかやりたいことが挙がりました。その中で空き家対策という課題も出ていたんじゃないかな。
――それが「ナゴノダナバンク」の始まりですね。
市原:たまたま我々が「空き家・空き店舗対策チーム」になりました。しかし那古衆の定例会は月に一度。決定させたい事項に時間がかかりすぎる。僕らが会議で空き家の活用を考えているなんてまちの人たちも所有者さんもまったく知らないし、そうこうしているうちに空き家は壊されてしまう。まさに不動産は生ものだと感じました。それで、2009年、那古衆とは少し離れたポジションに「ナゴノダナバンク」を作り、不動産に関することだけでも独自で動ける仕組みにしました。
――建築家であるお二人と、宅建を取得した藤田さんの3人なら空き物件対策の体制も万全ですね。
市原:そうなんですが、実際ここは地権関係が複雑で大変なことの方が多くて。土地、建物それぞれの所有者が一人じゃないとか、所在すら不明とか…。
藤田:不動産の先輩に相談しても、やめておいた方がいいって言われちゃう(笑)。
市原:まあ、おかげで昔ながらの町並みが残っているとも言えますね。
――そんな中、藤田さんがこだわった物件があるとか?
藤田:お住まいになっていたご高齢の持ち主さんが亡くなり、お子さんから相談があって。当初、サブリースを提案し、借り手の候補もいたのですがコロナで事情も変わってしまいました。でも、借りてくれれば誰でもいいとはどうしても思えなくて、私たちで全体の運営管理もしようと。
市原:まちの人がまちのことを考えて、気持ちだけでなく、実践したというのは非常に意義のある決断だと思いますよ。
――また最近では活動が他のエリアにも広がっているそうですね。
藤田:名古屋市が円頓寺の成功事例を目に留めてくださり、市内の他の商店街でもリノベーションによる活性化を目指す「ナゴヤ商店街オープン」という市の事業をお手伝いしています。
齋藤:同じ手法をそのまま当てはめてもうまくいくわけではないですが、共通している部分はありますね。
市原:やはり「人」。まちの成り立ちや雰囲気はそれぞれ違っても、そこに暮らす人たちがキーになってまちを変えていくというのはどこも同じですね。
藤田:一生懸命なおじさんやこつこつ努力している人たちが愛おしくて。思いに巻き込まれるような感じで楽しんでいます。求められているのは私が宅建を持っているとかそんなことではなくシンプルに人としての関わり。コミュニケーションが大事なんだって実感します。
市原:一度顔出すと最低でも1時間は帰って来られないもんね(笑)。
藤田:忙しい時は正直辛い…でも、やっぱりそこが一番楽しいんですよね!