山形移住者インタビュー/発酵と暮らしの里山をつくる「古民家ライフ」高木孝治さん
移住者の声
耳を澄ますと水のせせらぎが聞こえてくる。裏にある森を覗き込むと、そこには川が流れていた。馬見ヶ崎川の分流で、奥羽山系から流れ出ている山水だ。山形市の中心市街地から車を約15分走らせると、こんな景色に出会うことができる。
訪ねて来たのは、山形市新山にある工務店「古民家ライフ」。そこの代表をつとめるのが 高木孝治さんだ。
高木さんは2000年に山形へ移住し、古くから残るモノや暮らしの知恵を大切にしながら家をつくり、古民家の改修も行ってきた。2年前からは「発酵住宅」という概念を掲げて家づくりをしている。
そのかたわら、加工場がある敷地内では糀カフェ「晴間」を営み、2021年5月末には「発酵素材」/暮らしの道具店をオープンさせた。隣地も購入し、いずれは宿泊やキャンプのアクティビティなど新しい事業を立ち上げ、この場所で里山暮らしを創造していきたいという。
発酵と住宅との関係とは? 高木さんが描く里山暮らしとは? それらを解き明かしていくインタビュー。高木さんは終始生き生きした表情で語り、そのビジョンは躍動感に溢れていた。
おそらく高木さん自身も発酵して、体内が活性化し、日々アイディアが湧き出ているに違いない。会話を通じて見えてきたのは、工務店の社長を超えた、暮らしのプロデューサーの顔であった。
大工修行から始まった山形ライフ
高木さんの出身は福島県伊達市。高校卒業後、大学進学を目指す浪人中に父親を亡くした。ご実家は工務店を営んでいたが倒産し、家も土地も家財一式を失い、夜逃げ同然で福島を出て、仙台の親戚の家に身を寄せていた。
そんな中、人生のターニングポイントが訪れる。古民家との出会いだ。19歳のある日、雑誌に掲載されていた古民家を見て、無性に惹きつけられた。
「『これしかない』と強く思ったんですよね。昔から環境保護の仕事がしたいと思っていたので、家業だった工務店の仕事と自分の思いがバチっと結びついたんだと思います」
仙台の設計事務所で働きながら、東京の「神楽坂建築塾」に通い始め、建築や古民家について学んでいた。すると、昔ながらの日本の住宅をつくる職人の数は年々減り、消滅の危機にあることを耳にした。
近年、木材は大規模工場でプレカットが行われ、現場で組み立てるだけの住宅が増え、木材を手で加工してつくる家は希少になりつつある。「これは自分がやるしかない」と大工になる決意をした。設計事務所を辞めて、建築塾の先生から紹介を受けた山形の匠の門を叩いた。2000年、24歳のときだった。
その後山形で結婚し、20年以上経った現在も山形に拠点を置いて活動している。仕事以外の面でも、山形ライフは高木さんの波長に心地よくフィットしたそうだ。
「最初に山形に来たとき、龍山や馬見ケ崎川がすごくいいなぁと思いました。子育てする環境としても大きな魅力がありましたね。子どもには自然を感じながら育ってほしいと思っていたところ『たつのこ保育園』と出会いました。
五感を使って遊ぶことを大切にしている保育園で、食べ物は加工品を使用しない手作りのものを提供し、土でどろんこになったり、日常的に山に遊びに行ったり、自然と一緒に遊んで育っていきました。暮らすうえでも山形はすごくいい環境です」
発酵住宅をつくる
2006年に独立して「古民家ライフ」を立ち上げた。独立後も一人親方の元を渡り歩いて大工修行を重ね、技術を叩き込んでいった20代と30代。40代になり現在の場所と出会い、本格的に拠点を構えた。
「発酵住宅」の概念が生まれたのは2019年頃。開業以降、新築住宅のほか、古民家の改修、空き家になった古民家と使いたい人とのマッチングサイトの運営を行ってきたところ、ある日ふと高木さんの頭に「発酵住宅」という言葉が舞い降りた。
発酵住宅とは、自然素材を使い、完全手刻み工法で昔ながらの技術を守りながらつくる家。「家は生態系の一部であり、生き物だ」と高木さんは言う。
「人間は、菌や微生物と共存共栄しながら生きてきました。納豆、しょうゆ、ヨーグルト、チーズなどは発酵によって生まれたもの。一握りの土には1億個の菌がいて、人間のお腹の中にも100兆個の腸内細菌が活躍していると言われています。
人間が生きるうえで菌や微生物の存在は必要不可欠であり、それは家も同じ。自然素材で、時間が経つほど味わいが生まれる、人間も菌や微生物も住みやすい家づくり。それが『発酵住宅』です」
発酵住宅は、下地にも合板(薄い木の板と接着剤を多層に貼り合わせたもの)は使わず全て無垢材で、できる限り化学物質を排除しながらつくられる。高度経済成長期以降、日本の住宅では安価な合板が多用されているが、湿気の調整がうまくできず、時間が経過するとボロボロになっていく。つまり家がうまく呼吸できずに劣化してしまうのだ。
木材は山形県周辺のものが使われており、着工の前には「森林伐採ツアー」を行う。お施主さんと一緒に森へ行き、家族のみなさんで大黒柱として使う木を選んで伐採するそうだ。お施主さんは生きた木を自ら伐採することで、愛着がわき、家族の中で語り継がれていくのだろう。こうして想いも発酵させていく。
発酵住宅には、古民家の改修で学んできたノウハウがふんだんに詰まっている。つまり、発酵住宅と古民家の考え方は同じであり、現代版の古民家だと言える。
「この数年、20〜30代前半の大工を志す若い人が働きたいと希望してきてくれて、それがすごく嬉しいんです。というのも、日本全国で日に日に古民家が取り壊され、昔ながらの技術がなくなっていますが、その技術を自分たちにインストールしておけば途絶えさせることなく伝えていける。それこそが自分が大工を志した理由でした。即戦力になる大工は常時募集していますが、できる限り若いスタッフも歓迎していきたいと思っています」
食べる、住む、働く、遊ぶが一体化した「里山暮らし」
古民家に魅せられた19歳の当時から温めていた思いがあった。自然環境を保全しながら暮らしをつくること。人間の暮らしと自然環境がうまく共存していたのは、かつての「里山生活」だったという。高木さんが思い描くのは、衣食住が地域の中で循環し、みんなで暮らしを営んでいくライフスタイルだ。
山形に移住してから約20年が経過した。独立後は材木屋さんの片隅に間借りした加工場からスタート。2015年からは「ゆたくらがっこう(豊暮楽幸)」として、みんなでものづくりしたり、いちから火を起こしてみたり、山菜を取りに行ったり、暮らしにまつわる活動を続けてきた。
2017年4月には、加工場の隣に奥さんが糀カフェ「晴間」をオープンさせ、2021年5月末には、敷地内に「発酵素材」/暮らしの道具店をオープンした。2020年には、隣接する耕作放棄地だった1500坪の土地を購入している。今後は畑をつくりながら、井戸を掘り、タイニーハウスをいくつか建てて、宿泊できるようにするそうだ。
裏にある河原には、小さなキャンプ場を整備する予定だ。テントサイル(ハンモックのような空中テント)を張り、夏には川で水遊びやバーベキューができる。川の水を使って水力発電にも挑戦し、オフグリッド(電力会社に頼らない状態)の暮らしも視野に入れているという。
「裏の川で水遊びをして、お腹が空いたら畑で野菜を収穫して、調理して食べる。自分で井戸水を汲み、五右衛門風呂を沸かして入浴する。当たり前になんでもお金で解決できる時代だからこそ、いろんな人がここを訪れて、身近な暮らしを見直すきっかけになればいいなと思います」
日本人は「肚(はら)」の文化だと言われている。肚の虫が騒ぐ、肚が座る、肚を決める。直感力と肚とは密接な繋がりがあると高木さんは言う。肚、厳密に言うと腸。腸は第二の脳と言われ、腸が元気だと発想も豊かになる。菌や微生物と共存しながら、日本人の直感力を取り戻していくことも、発酵住宅のテーマのひとつだ。
「古民家ライフでは、『嬉しい、楽しい、気持ちいい、面白い』がモットーです。自分が直感的に『楽しい!』と思えることを最大限にやっていけば、それが仕事になるはず。そしてきっと楽しいところに人は集まってくると思うんです。あまり固く考えず、これからも遊び心を大切にやっていきたいと思います」
オープンしたばかりの道具店「発酵素材」に続き、着実に新しい事業へと進んでいる。今後の古民家ライフの活動に目が離せない。
写真:伊藤美香子
取材・文:中島彩
備考 | 古民家ライフ 発酵住宅 |
---|