【湘南・家を守るストーリー】建築家山田初江設計の実家を次世代へ
古いけれど思い入れがある家、建築家が建てた価値ある家、広い庭が自慢の家。そんな素敵なお宅が多い鎌倉・湘南エリアにおいて、どのように大切な家を守っていくことができるのか。そこにはどんな想いや人々の関わりがあるのか。家を守ることにまつわるストーリーを紐解きます。
今回の舞台は藤沢市の南部の住宅街。古くから別荘地として栄えたまちです。広い敷地を有する邸宅が多く残るまちですが、近年では建物の老朽化や相続の問題などから、建物を取り壊し土地を分割して売却するケースも少なくありません。
そんな湘南エリアにある、一戸建てのお宅を高齢のお母様から託されたOさん。この家はOさんの実家でもあります。この家は、鎌倉・湘南エリアの建築、そして女流建築家の草分けとされる山田初江氏による初期の作品で、大学の先輩後輩という関係であったOさんのお母様が新婚当時に山田初江氏に設計を依頼した家なのです。
広い前庭と湘南らしいエッセンスが盛り込まれた建物、日本の従来の建築技術とこの時代の西洋建築のモダニズムの融合を感じさせる、とても気持ちのよい建築です。社交的なOさんのご両親のもとを訪ねてくる友人たちが集い、とても賑やかな家だったとOさんは振り返ります。現在の吹き抜けの間の位置に新築時には玄関があり、いまは玄関の位置を変更していますが、その頃の玄関へのアプローチにあたる庭からの階段は、幼い孫たちの遊び場にもなっています。庭には樹齢60年といわれる桜の木があり、毎年道行く人々の目を和ませてきました。桜以外にも庭木が多く四季折々の表情も豊かです。
高齢のお母様がずっと住んでいたのですが、マンションに住み替えることが決まり、今後の家の管理を任されたOさん。この建物と土地をどうしたものかと思案していました。そのころ、Oさんはご主人の仕事の都合で海外で生活しており、自分たち家族やすでに独立している子供たちが住むということは選択肢としてはなかったそうです。
敷地が広く、建物も古くなっていたので、更地にして売るということも検討しましたが、やはり思い入れのある実家を取り壊すのは忍びない。そう思っていた矢先、海外で出会った友人夫婦が「ならば私たちが帰国してから住みます」と声をかけてくれたのです。
友人夫婦が住むとなり、それならばとOさんは老朽化した建物の改修を試みることにしました。
ここで声をかけたのが、この家の設計者である山田初江氏の弟子にあたる森博氏でした。森氏は、まず増築部分を減築し、建築当時の姿にできる限り近づけること。そして築60年を超える木造建築なので今後も人が安全に住めるように耐震補強の工事を行うことを提案しました。
工事は屋根の葺き替えから給排水管の交換に至るまで、新建材は使わず昭和の趣を残し、なるべくオリジナルの姿に近づける仕上がりを目指して、1年がかりで行われました。
工事が完了したときには、Oさんのお母様、山田初江氏、森博氏とその関係者などが集まり、盛大なお披露目会となったそうです。Oさんは、この時にこの工事に関係してくれたすべての人たちに感謝し、建物を残すという選択をしてよかったと、心から思ったそうです。
増築された部分を取り除く工事の中でも、特に建築当時の意匠にこだわった部分として、アウトドアリビングと名付けられたキッチンとつながるスペースがあります。
このスペースには隣接した広いピロティがあり、大きくとられた窓からは庭の緑を望みます。工事前は増築によりピロティ部分まで居室とされていましたが、居室となっていた部分を丁寧に減築し、ピロティに戻しました。
実際ここにいると、思わず外に出たくなる解放感と庭とのつながりを感じ、ピロティに出れば南から吹いてくる湘南の海風に癒される。そんな空間としてよみがえっています。近年ではアウトドアブームもあり、また湘南エリアへの移住検討者の多くが庭のある暮らしを求める中で、外と内をゆるくつなぐ、このピロティの役割というのは時代を先どったものだったのかもしれません。
その他、洋室へ向かう階段の横にも増築された子供部屋がありましたが、その部分も撤去し、水まわりの設備はユニットバスなどは入れずに洋室はあえて昭和テイストのタイル貼りを残し、キッチンも今では手に入らないヨーロッパのメーカーのものだったので、ガスコンロ部分のみを交換し、木戸は補修をするにとどめました。キッチンの補修などの細かな調整を担当したのは、Oさんの娘婿の友人でリフォーム工事も行う職人さん。今後の小規模修繕も任せられる頼もしい助っ人です。こうした出会いにも感謝しかない、とOさんは話します。
こうして息を吹き返したこの家に、まずはOさんの友人夫婦が住み、そのあと半年間だけ住み替えのために知人家族が住み、現在は3組目の入居者が住んでいます。
Oさんは、現在の住み手を含め、これまでにこの家に関わってくれた人々は、チームというかファミリーというか…みんなで知恵とアイデアを出し合って、話し合いながら進めた改修工事と、そして次の住み手を募集するまで。その過程をともにした人々はすべて家族のような存在です、と話します。
家は、お金だけかければ残せるというものではない。もちろん、改修工事にはお金も労力も根気も必要です。ですが、それだけでなく、そのあとにきちんと住んでくれる人がいなければ、家は呼吸をすることができず苦しくなって、またダメになってしまう。日々の換気や清掃、なにより人が暮らしているという気配。そういったことが家を守って維持していくことには、とても大切なことなのです。家もそれをわかっているから、いい人が住んでくれると喜ぶんだな、ということも改めて感じました。と笑顔で語ってくれました。
これからも、現在住んでいる方がいる間に、小さな修繕や工事が必要になってくる時期もあると思いますし、冬はすきま風や底冷えだってする昔ながらの家ですが、古い家にはそういうことはつきものだ、ということをちゃんと理解して暮らしてくださる方に巡り合えたので、ほっとしています。とOさん。
現在の借り手は、このような歴史のある建築物に住める機会なんてめったにないことだから、自分たちが住んで維持していくことに少しでも協力できれば。そして、いつかはこの家に仲間が集まれるような、そんな場にしていきたい。と言ってくれたそうです。
Oさんの挑戦はまだ始まったばかり。これから目指すのはOさんのお嬢さんの代やその先まで、100年この家を守ることだと言います。