愛知・豊橋から世界へ!伝統の技が生きる日本の仕事着「MAEKAKE」
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日本の伝統的な仕事着「帆前掛け」がいま、国内はもとより海外からも熱い注目を浴びている。産地は愛知県の豊橋市のみ。長くこの地で守られてきた職人技を若き担い手たちが継承し、その価値と魅力を世界に向け発信する「前掛け専門店 エニシング」。
社長の西村和弘さんにお話をお聞きするため、令和元年に新設された豊橋工場を訪ねた。
世界から注目を集める「帆前掛け」
ルーツは江戸時代とも言われる「帆前掛け」。100年あまり前から昭和50年代まで、一時期は盛んに生産されたが時代とともに需要は減少。人々のライフスタイルの変化などの理由で徐々に衰退し、工場のほとんどが姿を消していった。
ところがいまやSNSで#maekakeと検索すれば、世界中の愛用者たちが日本生まれの帆前掛けを身につけポーズを決めた写真がずらり。我々にとっては商売をする人の仕事着というイメージだが、世界では〝so cool!〟なファッションアイテムとして人気を呼んでいる。
広島に生まれ、日本の価値を世界に発信する仕事を志す
「エニシング」を立ち上げた西村さんは昭和48年、広島市生まれ。海外からの観光客も多い平和公園の近くで育ち、自然とグローバルな感覚を身につけた。
世界に向けて日本の良さを伝える仕事を志し、大学卒業後、大手食品メーカーに5年間勤務したのち、27歳で独立。東京を拠点に新しい事業をスタート。
「漢字でメッセージをプリントしたTシャツを国内外に向けて販売していました。日本の価値をどうやって海外に伝えようかと模索する中で思いついたアイデアで、商売の勉強にもなるかなという気持ちで始めたビジネスでした。」
帆前掛けとの出会い
ある日、Tシャツの仕入れで馬喰町の問屋を訪れると、近くの店の軒先に掛かっていた紺地の前掛けがふと目に留まった。
「3枚ほど買って帰り、同じように漢字をプリントしてネットで販売してみたら、みるみるうちに全部売れちゃったんです。こんなものにニーズがあるのかとちょっと驚きました。」
その後も注文に応じてその都度仕入れ、細々と販売を続けていたところ、ある時、一度に200枚もの注文が舞い込む。
「問屋さんに在庫があるだろうと気軽に注文を受けたら、そんな数はないと言われてしまって。慌てて何軒もの問屋さんをまわりました。なんとか調達できたものの、長さも形もバラバラ。値引きして無事納めましたが、こんなことでは今後、商売として成り立たないと痛感しました。」
製造元や産地がわかれば直接取り寄せられるだろうと、全国の織物産地に軒並み電話をかけ、時には現地に赴きひたすら情報を求めて奔走するが…。
「作っているところを見たいと思っても、作られている所を誰も知らないんですよ。そんなことを半年くらい続けていたら、染め物職人の友人が、染めの勉強会で出会った人が豊橋の前掛け職人さんだったと知らせてくれたんです。」
名刺に書かれていた「芳賀織布工場」へさっそく電話。その週のうちに豊橋へ向かった。
「僕らが販売していた前掛けを持って行くと、芳賀さんはそれをじっくり見て、ああ、これは俺が織ったやつだ、と。探し続けた職人さんにやっと出会えた瞬間でした。」
産地で知った帆前掛けづくりの厳しい実情
しかし当時すでに帆前掛けの生産は風前のともしび状態。ピーク時には市内に100軒ほどあったという工場もほとんどが廃業し、職人はみな高齢で後継者もなく、揃って前掛けづくりをやめようという話まで出ていたという。
「職人さん達から、前掛けにはもう需要がなくなる。Tシャツを続けた方がいいと言われました。でも僕は逆にチャンスだと感じたんです。産地は豊橋だけ、オーダーしているのもほぼ自分たちしかいない。だったらいつかは僕らが技術を含めて引き継ぎたいと思ったんです。」
心を決め、名刺を「漢字Tシャツ」から「前掛け専門」に変更。勉強を兼ねリサーチした情報をブログで発信し始めると、テレビ番組に取り上げられ、その日のうちに注文が殺到する。
「嬉しいというより落ち着かなかった。一時の反響では意味がないし、もっと地道に取り組みたいと思いました。やはり目指すは海外展開。売上金を元手にニューヨークの人気レストラン15軒分のロゴをプリントした前掛けを作り、宣伝のために現地まで配りに行きました。」
アメリカでの反響が世界に広がる契機に
ニューヨークでは、レストランのオーナーらが珍しい帆前掛けに興味を示し、他の店を紹介してくれるなど反応は上々。日本人コミュニティ向けの新聞社からも6枚の注文をもらい、幅広い業種の人の目に触れることになっていく。
「海外の人は先入観もなく、機能的でかっこいい!と言ってくれます。2013年にはイギリスの展示会でも発表し、ヨーロッパ各国に広がって大英博物館やMoMAでも扱っていただきました。一方で、海外での注目が高まってきたちょうどその頃、豊橋の芳賀さんから、工場を畳みたいと相談を受けたんです。」
いよいよ訪れた「その時」。
昭和21年に建てられた自宅横の工場は老朽化し、いずれはと覚悟していたその時がやってきた。しかし出会いから8年、幾度となく互いに思いを語り合い関係を築いてきた西村さんと芳賀さんとの間には、すでに信頼関係がしっかりと結ばれていた。
「迷わず、後は僕らが引き継ぎますと言いました。いつかはやってくるこの時に、安心して後を任せていただきたかった。それで数年前から志のある若手の社員を採用し、手伝いと修行を兼ねて芳賀さんのもとで働かせてもらっていたんです。」
そして2019年、土地探しから5年をかけ新工場が完成。芳賀さんのもとで働き続けた重厚な織機たちが運び込まれた。
工場の一角にはトヨタの創業者、豊田佐吉氏が100年以上前に作った「豊田製シャトル織機」の姿も。
「後に工場長になる影山が『トヨタ産業技術記念館』に勉強に通っていたことがあり、当時の副館長さんが広報誌にエニシングのことを書いてくださいました。徐々に交流が生まれ、記念館のみなさんを工場に招待したこともあります。そういう積み重ねの中で僕らの活動が認められ、貴重な機械を寄贈していただきました。」
本物の良さを次世代に。伝統文化継承の理想のかたち
「伝統を守ると言ってもノスタルジーや熱意だけでは成り立たないし、将来性がなければサスティナブルにはなり得ません。でも僕自身、振り返れば結果的にそうなっていたというか、たくさんの運や出会いに恵まれたからこそ貢献できているのだと思います。大事なのはやはり〝縁〟なんです。」
長く愛されるものが持つ、変わることのない価値に、新しい魅力を見出し発信。販路を広げつつ、伝統の技とものづくりの精神を若い世代へ丁寧に引き継ぐ。西村さんが実践する取り組みはまさに伝統文化の継承の理想型だ。
名称 | 前掛け専門店 エニシング |
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URL | HP:http://www.anything.ne.jp/index.html |
住所 | 豊橋工場:愛知県豊橋市大岩町西郷内167―2 東京オフィス:東京都港区元赤坂1-7-10 |