【三重県桑名市】アートと工芸に囲まれた、 一棟貸しホテル
宿泊施設
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東海道42番目の宿場町とした賑わった桑名。唯一の海上路から降り立つその場所に、昨年オープンしたのがMARUYO HOTELです。パリと京都を拠点に活動するオーナーの佐藤さんに、生まれ育った故郷・桑名でのこれからについて話を聞いてきました。
意外と知られていない、桑名の昔。
名古屋の熱田から舟で七里(約28km)であることから名付けられた「七里の渡し」は、宮宿(名古屋市熱田)と桑名宿を結ぶ東海道唯一の海上路。その昔、旅人たちは難所を越えた安堵と、お伊勢さんを目前にした歓喜の中で、海から桑名の地に降り立ったことでしょう。
それだけでなく、桑名は木曽三川が合流する地の利から水運の拠点として栄え、七里の渡しがある船馬町は、木材や米が集積する場所として多くの豪商が本家と蔵をかまえていたのだとか。米相場や木曽ひのきで大金を手にした人たちが宴席を囲む御座敷も多くあったと言います。
最盛期には120を超える旅籠があったとされ、今に伝わる老舗料亭が他のエリアに比べて多いことからも、往時の繁栄ぶりがうかがえます。
ここで、ゆっくりしてほしい。
そんな桑名で美味を堪能するならと、聞けば必ず出てくるお店が、蛤料理の「日の出」や、肉料理の「柿安」です。そうした老舗の味に舌鼓を打った後は、その余韻に浸りながら近くの宿で眠りにつきたいもの。
ところが、それにふさわしい宿が桑名にはない。かと言って名古屋にあるわけでもない。
美食を求めて桑名を訪れた現代の旅人たちの多くは、ここでゆっくりする間もなく、京都の宿へと向かってしまう。それが残念でならない、もったいないと佐藤さんは言います。
せっかくなら、ご飯を食べた後に場所を移動することなく、近くの宿でゆっくりと寛いでほしい。そんな想いもあって、MARUYO HOTEL は誕生しました。ホテルはどちらのお店からも歩いて5分ほど。もちろん、この界隈には他にも名店が揃います。
材木商の家屋をリノベーション。
MARUYO HOTELは、材木商だった「丸与木材」の家屋でした。
その末裔にあたる佐藤さんは、空き家になっていた家屋を取り壊すことになりそうだと叔父からの相談を受け、すでに京都の山奥で始めていた一棟貸しの宿と同じようなことができないか、それも少し趣向を変えてやってみたらどうかと考えたそうです。
「丸与木材はもうありませんが、名前や屋号紋だけでも残したくてMARUYO HOTELにしました。建物は築70年以上。材木商というだけあって、今ではとても手に入らない木材を多用しています。そして造りも素晴らしい。これは絶対に残すべきだと思いました。
ギャラリストの妻と一緒に建物の改修を進めていく中で、塗装を漆喰に変更したり、予定していなかったお風呂を庭に置くことにしたり。現場を見ながら少しずつ手を入れ、職人の方たちと作り上げていきました。」
空間より先に、アートと工芸と建具。
ホテル内のアートや工芸品はすべて、ギャラリストである奥様の正木なおさんによるもの。この土地や建物が持っている歴史や文化を、感覚的に味わえることを意識してセレクトされたそうです。
こうしたアートありきで空間がデザインされていることも、このホテルの大きな特徴に。例えば、1階廊下の突き当たりはアンティークの花掛けだけのために設えた空間となり、2階ダイニングの工芸棚は何よりも先にここに置かれることが決まっていたり。一つずつ丁寧に選び取られたアートや工芸品と一体化する空間づくりが徹底されています。
そしてアートと同じくらいに目を引くのが、建具の存在。江戸時代の蔵の引き戸や網代の扉など、建具の寸法に合わせて開口部をデザインし、建具を傷めない工法で仕上げられています。また欄間がクローゼットの扉になっていたり、土蔵の漆喰窓が額縁のように壁に掛けられていたり、建具がアートと化してインテリアと融合していることにも驚かされます。このホテルが美しいと感じるのは、デザインだけにない表現の深みがあるからなのでしょう。
「これらの建具やアンティークは、効率を最優先する現代の考え方では決して作れないものです。今では手に入らないものを、きちんと残していくことにもこだわりたいと思っていて。それだけの時間をかけたものというのは、他では到底得られない味わいがあります。堆積された時間や人の想いなどが伝わってくるから、より美しいのだと思います。」
美食と語らいの夜から朝へ。
MARUYO HOTELは一日一組限定の一棟貸しホテルで、4名までが宿泊できます。1階にはラウンジと2部屋のツインルーム、お庭には檜の露天風呂。2階は揖斐川と住吉神社を望むダイニングルームやライブラリー、そして料理人用のキッチンも備えています。
ここへシェフが来て料理をもてなす、シェフズテーブルのようなこともやっていく予定で、すでに定例開催しているお寿司会が好評だとか。気心の知れた友人たちと会食を楽しむ、プライベートサロンのような趣です。
朝食には、焼きたてのクロワッサンやパン・オ・ショコラ、挽きたての珈琲に、みかんジュースも搾りたてです。それに豆乳ヨーグルトやグラノーラ、蜂蜜など、すべてが地元桑名の良いものから選び取られ、目覚めの朝に嬉しいシンプルな美味しさを存分に楽しむことができます。
桑名の歴史や文脈をつなげていきたい。
もともと人や商品・サービスのプロデュースやブランディングを仕事にしてきた佐藤さん。
見せ方や伝え方で、人々がどう受け止めるのかを分かっているからこそ、まだ地元の人すら気づいていないかも知れない、桑名の「いいところ」をきちんと形にして、届けていきたいのだと言います。
「桑名には、収穫がゼロの年もあるという幻の海苔“アサクサノリ”や、年間40本だけの“みかんジュース”、他にもお茶や蜂蜜や安永餅など、良い素材がいっぱいあります。このホテルをきっかけに桑名のことが見え始め、ここがいかに栄えていたかが分かりました。100年以上も続く会社が100社ほどあって、国内屈指の老舗が多い町だそうです。歴史や文化の深い町だと改めて感じました。
ここでは新しいことをやる必要はなくて、すでにある「いいもの」を掘り下げて、その背景にある歴史や文脈をつなげていくということをしていきたいですね。」