【北九州】大人の社会科見学/オフィスビルの一角で生まれる「小倉織」の製造現場に潜入
インタビュー
前回に引き続き、ファクトリーブランド「KOKURA DENIM」の製造現場をレポートします。
新たな小倉織として誕生したKOKURA DENIMは、北九州市小倉北区の中心部に近いオフィスビルの中にある工場で作られています。
まずは小倉織の歴史から
江戸時代から豊前小倉藩で作られていた「小倉織」は、丈夫でしなやかな木綿の織物として全国で親しまれていました。
徳川家康が鷹狩りの際の羽織として愛用していた記録が残っていたり、夏目漱石や井原西鶴など、文豪の作品の中でも描かれたことからも、小倉織の人気が伺われます。
しかし350年以上続いた小倉織は、戦時下の昭和初期に一度途絶えてしまいます。それから時を経て、染織家の築城則子氏が偶然出会った小さな布片をもとに試行錯誤し、1984年に復元・再生、現代の小倉織として蘇りました。
その後、小倉織の“丈夫で美しいたて縞”という特長を活かした機械織による現代版の小倉織ブランド「小倉 縞縞」が誕生し、さまざまな製品が販売されています。
たて糸を張る「MOTHER」と、よこ糸担当の子どもたち
製造工場というよりはLABOという言葉が似合いそうな空間には、機械の音がリズムよく響いていました。そこでひときわ目を引いたのが、天井ギリギリ、梁と梁の間にぴったりと収まった青い大きなマシン。
「MOTHER」と名付けられたこの機械は「整経(せいけい)機」という、経(たて)糸を並べる機械です。
布地を織る手順は、まずたて糸を並べ、そこによこ糸を織り込んでいきます。
小倉織の特長は、たて糸の本数が多いこと。一般的な織物が、たて:よこ=1:1なのに対し、小倉織はおよそ2:1と、たて糸の密度が高いので、たて糸のみが布地のデザインに現れるように見えます。代表的な小倉織がたて縞模様なのはそのためです。
見学時は無地に近い「霜降(しもふり)」という生地の整経中でしたが、さまざまな色糸が張られる縞模様の織物の整経時には、この段階で完成時のストライプのデザインが見えるそうです。
「約8,000本以上ものたて糸を狂いなく並べるのは大変な作業ですが、整経機『MOTHER』は、手作業なら手間暇かかる複雑なデザインでも短時間で正確に仕上げてくれます」と話してくれたのは、小倉織物製造株式会社代表の築城さん。
「縞割(しまわり)表」と呼ばれるデザインのデータを入力して糸をセットすると、高速で糸を張っていきます。
整経後は「筬(おさ)通し」という、織る前の下準備の作業が待っています(この日は作業をしていませんでした)。
リード、ヘルド、ドロッパーと呼ばれる3か所に、たて糸を1本1本、手作業で通していきます。8,000本を超える糸を手作業で小さな穴に通していくなんて、考えるだけで気が遠くなりそうです。
いよいよ織りの作業へ。
たて糸によこ糸を組み合わせていく「織機(しょっき)」と呼ばれるマシンは全部で4台。それぞれ「TARO」「JIRO」「HANAKO」「MOMOKO」と名前が付けられています。たて糸を並べるのが「MOTHER」で、それを織っていくのが子どもたち。機械に名前をつけているところからも、愛情を持って小倉織に向き合っていることが感じられます。
機械が動くたび、少しずつ織り上がっていきます。極細の糸なので、時には糸飛びや糸切れがおきることも。そのたびに、人の手で糸をつなぐ作業が繰り返されます。
「機械織りといっても、作業の半分は人の手が入っています」と築城さん。これほどの手間と時間がかかるから、ほかにはない価値を持つ織物ができるのだと感じました。
織りあがった生地は最後に1枚1枚丁寧に検反され、ようやく完成。仕上げのため、整理加工工場へと出荷されます。
こんなに繊細な織物を、400年以上前は人の手で織っていたこと。そして、これほど手間のかかる織物を現在に復活させたこと。それができたのは、昔も今も、つくり手の熱い思いがあったからこそだと思いました。
技術と伝統を受け継ぎ、新たなチャレンジも続けるこの場所が、これからもまちのクリエーションを支える存在であって欲しいと思います。
長い歴史の中で愛され続ける小倉織が、今後どんなふうに育っていくのか見守っていきたいです。
(取材/文:岩井紀子 写真:清原裕也)
名称 | 小倉織物製造株式会社 |
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URL | |
TEL | 093-953-8388 |
営業時間 | 平日9:00 〜 18:00(土日祝は休業) |
備考 |