【三重県菰野町】萬古焼産地の生き残りをかけて立ち上がる地域ブランド。
インタビュー
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三重県菰野町の田畑にぽつんと佇む「かもしか道具店」。2017年7月のオープン以来、週末ともなれば県外から足を運ぶファンも少なくありません。萬古焼の窯元、山口陶器が立ち上げた自社ブランド「かもしか道具店」に込めた想いを、主宰の山口さんに伺いました。
あえてこの場所に来てほしい。
“あえて”という表現にふさわしい場所に、かもしか道具店はありました。山口陶器さんの工場のすぐ近くです。もちろんここでなくとも、東京でも大阪でも買えるけれど、全アイテムが揃うここに来たいと思ってもらいたい。そしてこの地域のことも知ってもらいたい。そんな願いも込められています。
「東京出店の話もありますが、まずはここに来てほしい。こういった場所で作られていることを知ってほしい。そのほうが大事で、それがここにある意味だと思っています。だから、あえてここに店をつくり、あえてここに来てほしいんです。」
萬古焼に限らず、当たり前に遠隔でモノが手に入るようになった今の時代も、消費地と製造地が違うことに少なからず違和感を持っていたという山口さん。地元に根付いてこその地場産業であり、萬古焼の産地として、まずはしっかりと足元を固めることに意識が向いているようです。
地域ブランドにこだわる。
最初は自分たちでブランドデビューさせるはずのアイテムは、ひょんなことから、あの中川政七商店でのお披露目となりました。たまたま視察で菰野町を訪れていた当時の社長 中川政七氏と知り合ったことで、自分たちが考えているモノづくりのプレゼンをしたところ、共感を得て中川政七商店主催の展示会に出展することになったのだとか。
「すごい巡り合わせだなと。それでいきなり中川さんの店舗で取り扱いをしていただき、デビューすることになったんです。中川さんの絶大な発信力をお借りしながら、地域ブランドとして全国にアピールしていきたいと思いました。」
自社ブランドである前に、地域ブランドだと宣言する「かもしか道具店」。それを象徴するものに、協力窯元という存在があります。全てのアイテムを自社だけでつくって儲けることよりも、萬古焼の産地が元気になることが最優先。
こうした取り組みに、問屋さんや同業の人たちからは冷やかな目で見られることもあったとか。それでも、産地を存続させるためだから気にならなかったとだといいます。
「食卓から幸せを届ける」という、ブレない想い。
「かもしか道具店」のある菰野町は、鈴鹿山脈が連なる「鈴鹿セブンマウンテン」の中でも一番大きな山である御在所岳の麓にあり、天然記念物に指定されている「ニホンカモシカ」が生息することでも有名。三重県の県獣でもあるそのニホンカモシカがそのままロゴマークにもなっています。
土鍋をはじめとする耐熱陶器や、急須などの茶器を得意としながら多種多様な焼き物がある萬古焼で、「かもしか道具店」では現在200アイテムほどをラインナップしています。そしてどのアイテムにも通じるのが、「家庭での会話がないといわれる時代に、家族が食卓を囲むことで会話が増え、食卓に幸せを届けられるように」という、ブレない想いです。
「中川政七商店さんの力添えがあったとはいえ、ブランド立ち上げの1年目は大赤字でした。自分の貯金も給料も全てはたいて一銭も失くなったけれど、それでも自分の中にブレない目標とビジョンがあったから踏ん張ることができました。なんとかなるではなく、なんとかする。そう自分にいい聞かせて必死でしたね。」
このブレないビジョンこそが強みなのでしょう。ブランディングを勉強したわけではないけれど、常にアンテナを高く、そして情報を早くキャッチすることを心がけていたといいます。インプットしたものは、自分たちの業界やプロダクトではどうかと置き換えながら、自分なりに噛み砕いてアウトプットする。そんなブランディングとマーケティングのバランス感覚は山口さんならではのもの。その中で、デザインが果たす重要性を実感し、こものデザイン研究所の代表としても活動されています。
「デザインを会社に取り入れることで会社がとてもよくなった経験から、町にも取り入れることで町が元気になるんじゃないかと思いました。この町にデザイン会社がないのなら、自分たちでつくろうという感じです。」
デザインとは、ただ絵を描くことや形をつくることだけじゃなく、道筋をつくっていくことだと山口さんはいいます。
地元に恩返しするために。
サラリーマンだった山口さんが、家業である山口陶器に入社したのは2003年頃のこと。
「父親からは“アホなこというな”と反対されました。サラリーマンのほうが楽やろと。そういわせてしまう家業や萬古焼の現状そのものが嫌でしたね。だって、僕はこの仕事で飯を食わせてもらい、育ったわけだから。そこに誇りを持ちたいと思ったのが正直なところでした。家業として地元で商売させてもらってきたのを見てきたからこそ、地元への恩返しをしたい。地域のためにあった地場産業の新しいカタチをつくっていかなければと。そのために自分がここでできることを精一杯やって、次世代にも菰野は楽しい町だといってもらえるような、好きになって自慢できるような町にしたいんですよね。」
他の地域の人たちからも「菰野はイベントが多いよね」といわれるほど、様々な取り組みがあるのも事実。例えば、菰野にいながら菰野をあまり知らない人にもこの町を知ってもらおうと2016年頃からスタートした「こもガク」、最近では地域の人のためのコミュニティスペースとなる「かもしかビレッジ」をはじめたところ。ビレッジの森の中では、子どもたちにアートを通して町を好きになってもらう「かもしかアート」などのワークショップやトークショーなどのイベントが開催されたり、古民家でのカフェやショップなどもオープン予定。カフェの店長は菰野コンシェルジュでもあり、このビレッジがコミュニティの拠点になっていくのが理想なのだとか。
こうして山口さんを中心に様々な取り組みが生まれていくのは、山口さんの周りに人が集まるからでしょう。それは、町の人たちのことが大好きで、オープンマインドに“素”で生きている人柄を感じてのこと。
「ずっとスポーツをやってきて、キャプテンも勤めていた経験が今に活きているように思います。“飯食いに行こう!”から始まって、どの地域にも知り合いができていって、それでチームになれる。みんなが交わる点をつくりながら人をつなげていくこと。ようやく周辺地域との交流も活発になり、様々な業界の人たちとの取り組みも始まっています。この点をつなげて線に、そして面にしていくのが目指すところです。」
お茶の産地、菰野として。
3月には、かもしか道具店から新ブランド「茶時間」が登場。そもそもここ三重県の北勢地域はお茶の産地でもあり、茶葉の生産も盛んです。もちろん萬古焼の急須もある。陶器屋だから急須を作って終わりではなく、茶器・茶葉・茶菓子と3つ揃ってこそ生まれる至福の時間を提案し、日本に古くから伝わる「お茶の時間を楽しむ文化」を残していきたいのだといいます。
●新ブランド「茶時間」の記事はこちら●
【三重県菰野町】お茶一服の時間で、日本のお茶文化と地場産業を紡ぎなおす、新ブランド“茶時間”
これも、菰野の町を楽しく元気にしたいという想いがいちばんで、まずは地元に根付くこと。そして、地域のためにあることが、人を呼ぶ魅力にもなっていく。そんな流れを理想としています。
休日に訪れる県外の方々にとってのいちばんの目的が「かもしか道具店」だったとしても、それだけでは帰らないでしょう。ここまで来たなら、と、「ご飯はどこで食べようか」「他によさそうなスポットはあるかな」「温泉もあるから泊まっていく?」と、菰野の町をいろいろ調べるはず。ここにあることが、地域のためになる。それこそが、地域ブランドのあるべき姿なのかもしれません。