【岐阜県瑞浪市】タイルひとつひとつに物語があるTILE made代表・玉川幸枝さんインタビュー前編
インタビュー
岐阜県瑞浪市の地場産業である窯業を再び盛り上げようと精力的に活躍する合同会社プロトビ・「TILE made」代表・玉川幸枝さんへのインタビューを、前後編にわたって紹介します!
【real local名古屋では名古屋/愛知をはじめとする東海地方を盛り上げている人やプロジェクトについて積極的に取材しています。】
玉川さんは家業と夢とのはざまで揺れながら、社会にインパクトを与えられるような価値創造がしたいと、学びを求めて東京へ。そこで培ったプロジェクトマネージャーとしてのスキルを生かし、地元・瑞浪市にUターンしました。
岐阜県東濃地域を代表する焼き物、美濃焼。その中心的な産地である瑞浪市で釉薬製造の工場を営む家の三女として育った玉川幸枝さんは、持ち前のバイテリティを武器に、学生時代から名古屋や東京などでさまざまな社会活動に携わってきました。
衰退していく地場産業に向き合うことができなかった過去
――家業である釉薬製造の工場はお父様が始められたのですか。
「職人だった父が平成3年に始めました。いまは姉が釉薬の職人として事業を手伝いながら、父も現役で頑張っています。父が始めた当時は地場産業である焼き物業界全体の消費が右肩下がりとなって売り上げも減り、経営は大変厳しかったと聞いています。」
――厳しい時期に立ち上げた事業がこれまで地元の窯業を支えてきたんですね。焼き物の産地を取材することはありますが、釉薬の工場を見せていただくのは初めてです。
「釉薬って見た通り写真映えしないし、めちゃくちゃ地味でしょう?窯で焼くといくらでも美しい色が出るのに。うちみたいな釉薬工場も昔は地元にたくさんあったんですが、徐々に減って今では数えるほどになってしまいました。厳しい世界だなという印象が強く、なんとなく楽しそうに感じられなくて子供の頃から私も姉も家業にはまったく興味を持てなかったんですよ。」
――そんな玉川さんがこの仕事に関わるようになったのはなぜ?
「名古屋の大学に通っていた二十歳の時、母の具合が悪くなって、家の仕事が大変になるから帰って来て手伝ってくれと父に言われて仕方なく。当時、姉も関西の大学に通っていて、私は2年、姉は3年で中退して戻ってきました。帰ってはきたものの当時は、なんでこんな仕事しなくちゃいけないんだって逃げ回っていて。まわりでは廃業する人も多く、業界内の話はどれもみんな暗い。まるでやる気が出なかったんです。一方で、会社外ではNGO組織を立ち上げ、ボランティア活動を行いながら〝世界を変える!〟とか〝可能性は無限大だ!〟なんて言っていろんなところで楽しく活動していたんですけどね。」
自らに課すミッションは「社会の価値創造」
――仕事以外にはどんな活動を?
「家業に入ってからも世界への憧れは消えることはなく、大学で専攻していた英語を学び続けたり、国際交流NGOピースボートで世界一周の旅に行ったりと、社外での活動を続けていました。世界一周から戻ってからも、名古屋で戦隊ヒーローのコスプレでゴミを拾う〝ゴミ拾いレンジャー〟という活動を始めたり、NPO法人グリーンバードに共感して、名古屋でもやりたい!と、長谷部健さん(現:渋谷区長)に直接会いに行き、それを機に名古屋チームを立ち上げたり。仲間もたくさんできて充実していました。でも、いま思うと仕事に向き合っていない自分に対し、どこか違和感のようなものは感じていたように思います。」
――タイルづくりの会社を立ち上げられたのはそういう思いがあったから?
「いえいえ、その前にまだまだいろいろと紆余曲折がありまして…。その後、姉の夫である義兄が父の会社に入ってくれたんです。それで私はもう一度勉強しなおそうと思い、東京へ出ました。26歳の時です。NPOのスタッフやベンチャー企業、議員秘書などいろいろな仕事を経験し、修行のつもりでとにかくたくさんの人に会い、4年ほど経った頃に一念発起。慶應大学の大学院で社会システムを学んでいた友達と会社(プロトビ)を立ち上げました。」
――最初の拠点は?
「東京です。社会の価値創造をキーワードに事業を立ち上げたり、ものづくりの現場を見学するツアーを行う〝オープンファクトリー〟などの活動を取材しました。そんななかで私自身が本当に興味をもって取り組める仕事はものづくりやまちづくりの支援だと気づいて。さらにやりたいことをブラッシュアップしていくと、結局、窯業のことや地元・瑞浪のまちのことだったんです。」
オーダーメイドタイルの魅力と可能性を伝えたい
――いよいよ家業に向き合う時がきたということですね。
「その頃、家業を継いで頑張ろうとしてくれていた義兄が、古くから続くこの業界に馴染めず辞めてしまったんです。義兄や姉だけに任せて、私が家業を放っておくことはできないなという思いもあって戻ってきました。そのタイミングで釉薬での色出しの技術を活用したオーダーメイドタイルの企画開発を会社の主な事業にしていこうと決心しました。」
――美濃焼といえば、和洋食器や美術品など製品の幅が広いことでも知られていますが、中でもオーダーメイドのタイルを手がけようと思ったのはなぜ?
「一番の目的は、釉薬の可能性とその美しさを生かすシーンを広げてその魅力を多くの人に伝えることです。お客様からの要望や注文を受けて、注文ごとに技術を持つ産地の方々に相談し、製造工程を考えます。釉薬はその都度開発し、自社のもので色をつけるのですが、これまで小さな注文に応じるメーカーはあまりありませんでした。そこを担うことで地元の産業全体を盛り上げていけたらと思って。」
――オーダーメイドタイルの良さはどんなところですか。
「例えば、あるご夫婦がデンマークに旅行した時に撮った夕日の写真を見せてくださって、この色をキッチンのタイルで表現できないかという相談をお受けしたことがあります。また、長野県の方が品種ごとに違うりんごの微妙な色をタイルで表現したいというオーダーをくださったり。保育園からの注文では、園の裏山に生えているクロモジの木の葉っぱをかたどったタイルを作りました。虫食いの跡や色の違いも表現できて、園児たちも違いを見つけるのを楽しんでくれているそうです。」
――オーダーメイドタイルをきっかけに素敵なエピソードが生まれていますね。
「タイルって工業製品のイメージが強くて、無機質なものと思う方が多いんですが、私たちはタイル一枚一枚に物語があると思っています。画一的で綺麗に揃っていることを求める方だけでなく、実は手作りならではの色むらがかえって味わいがあっていいとおっしゃる方も多いんです。思い出の風景など、情緒的な依頼にもオーダーメイドタイルだからこそお応えできるんですよね。そんなふうにちょっと変わったタイルの企画ができる会社があってもいいんじゃないかなって。」
――オーダーされたお客様の反応は?
「提案から仕上げまでオーダーメイドなので、すごく感動してもらえます。作っているこちらも嬉しいし、ご要望に応えようとあれこれ工夫するのは本当に楽しい。これまでは釉薬工場の次にタイルメーカーがいて、さらに商社、工務店を経てお客様、というようにすごく距離があって、お客さんの喜ぶ顔や感動の声を直接見たり聞いたりすることはありませんでした。でも直接販売することにより、メイド・フォー・ユーのものづくりができる。喜んでもらえる実感があり、私たちの何よりの大きな喜びになっているんです。さらにそれが地場産業である美濃焼の魅力を発信することにつながればと思って頑張っています。」
家業である釉薬製造の技術と地場産業の窯業を盛り上げるため、日々奔走する玉川さん。ますます多忙になる家業と両立しながら、地元のまちの活性化にも力を注いでいるとのこと。後編ではまちづくりへの取り組みについてうかがいます。
●玉川幸枝さんの後編記事はこちら●
「【岐阜県瑞浪市】 宿命のタイルづくりと使命のまちづくり 玉川幸枝さんインタビュー後編」
URL | 合同会社プロトビ:https://www.protob.com |
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屋号 | 合同会社プロトビ・TILE made |
住所 | 岐阜県瑞浪市土岐町986-95 |