【名古屋市緑区有松】「少し先の未来」を見据え、持続可能なまちづくりに取り組むデザインリサーチャー・浅野翔さん
インタビュー
名古屋市内にありながら伝統的な町並みを残している緑区有松エリアで、「少し先の産地の未来」像を見据えて「ありまつ中心家守会社」を設立した浅野翔さんにインタビューさせてもらいました!
名古屋市の南端、緑区有松。
江戸時代から続く伝統工芸「有松鳴海絞り」で知られ、歴史が薫る町並みや絞りの技、祭りなど、ものづくりの伝統と文化的、歴史的な価値が長く大切に守り続けられています。
2014年からフリーランスのデザインリサーチャーとして、まちと人をつなぐコミュニケーションや幅広いサービスのデザインを手がける浅野さん。2018年には「少し先の産地の未来」を考え、持続可能なまちづくりに取り組もうと2人の共同代表とともに「ありまつ中心家守会社」を設立しました。
有松に隣接する、同じく東海道沿いの宿場町・鳴海で育った浅野さん。生まれは兵庫県の西宮市で名古屋市には3歳の頃に家族とともに転居してきたのだそう。
阪神タイガースの三輪車に乗りながらサッカーは名古屋グランパスエイトのファン。そんな少年時代を笑って振り返る浅野さんですが、西宮市と名古屋市、二つのまちにルーツを持つ生い立ちが自身の働き方や生き方にも影響を与えたといいます。
「8歳の時に起きた阪神淡路大震災はかなり衝撃的でしたね。すでに名古屋に住んでいましたが、被災地はまさに自分の生まれた場所。1ヶ月ほど経って母と様子を見に行くと、祖父母が暮らしていた長屋は傾いて住めなくなっていたし、祖父母の家に行くたびに遊んでいた運動場には仮設住宅が建ち並んでいた。これほどたくさんの人たちが暮らしていた建物がみんな壊れてしまったのかと、大きなショックを受けたのを覚えています。」
そのことがひとつのきっかけとなり建築の道を志した浅野さん。その後、京都の大学に進学します。
「どうしても関西に行きたい思いが強かったんです。建築を学ぶからには建築家を目指したい気持ちもあったのですが、2010年頃はコミュニティデザインとかまちづくりという言葉が注目されていた時代だったこともあり、建物を作ることよりも、なぜまちに建物が必要なのかみたいなことを考えるほうへ少しずつ興味が移っていきました。」
仲間とともに卒業制作に打ち込んだ浅野さんでしたが、合同展示を終えていよいよ打ち上げというまさにその日に東日本大震災が発生。
「夢を持って勉強してきた建築やまちが、災害で一瞬にして消えてしまう脆弱なものだと思い知らされました。打ち上げの日というタイミングで、こんなことをしていていいのかという気持ちにもなりました。震災からひと月ほど過ぎて被災地を訪れてみると、広い範囲にわたって建物も何もかもがなくなっていた。津波の被害は想像していた以上でしたね。」
そんな中、感銘を受けたのは1日も早く生活を立て直そうと前向きに頑張る現地の人々と、それを懸命にサポートする人たち。絶望的な状況にあっても自分らしい生き方を探る被災者たちの強い姿に深く感じるものがあったといいます。
「人間のたくましさを目の当たりにして、僕がやりたいことは一人一人が持つ創造性や可能性、力強さを引き出し、それを形にしていける環境やツールを作ることだろうと思ったんです。」
その後、大学院在学中に交換留学でフィンランドへ。さまざまな国から集まる学生と交流する中でそれまで触れたことのなかった価値観や概念に出会い、自らの考え方、目指す方向にさらに大きな刺激や影響を受けました。
「日本と違い、学歴よりも職歴や社会経験を重んじるフィンランドでは、一度社会に出た人や子育てが一段落したお母さんなどが改めて大学で学び直すということが珍しくなく、同級生たちは年齢もバックグラウンドもバラバラなんです。そのおかげで自分だってきっとどんなことも、何歳からでもできるだろうって楽観的に考えられるようになった気がします。」
大学院を修了して名古屋へ戻り、一度は就職活動を始めた浅野さん。一方で、実家にほど近い有松のまちではその後の働き方を決定づけるようないくつもの出会いがありました。
「名古屋に戻ってほんのひと月ほどの間にたくさんの人とつながりました。そこで建築家の友人からの紹介で出会ったのが染色加工を代々受け継いできた久野染色工場の久野浩彬専務でした。当時は、100年も続いてきた企業として地域に貢献もしたいし、職人としての技術も磨かなければならない。社長になれば経営のことも考えなければいけない。それらを一人で担うのは大変だけど誰かが一緒に取り組んでくれればなんとかできる。そんな思いを聞かされました。僕は経営工学も学んでいたし、まちづくりのことなら役に立てるかもしれないと感じて、就職せずフリーランスのデザインリサーチャーとして活動する道を選びました。」
まちの課題を解決するにはどんな仕組みやインターフェイスをデザインする必要があるのか。浅野さんはデザインリサーチャーとして、伝統工芸の絞りを中心に有松というまちが持つ特徴を活かした取り組みを探っていきました。
「絞りというのはその工程のほとんどが今でも手作業。だからこそ関わりしろがいくつもあるんです。例えば染めの体験など、何度も参加したくなる体験や、アパレルなどの専門家と適切なコミュニケーションをとるために久野染工で何ができるだろうと話を繰り返し、実験的な試みを進めてきました。僕らデザインリサーチャーは作り手とユーザーとの緩衝材や通訳のような役割を果たし、そのプロセスの中でさまざまなコミュニケーションをデザインしていきますが、有松というローカルエリアでのまちづくりをそのひとつのモデルとして、やがては外に向けて発信できたらという狙いもありました。」
有松で活動をするなかで名古屋市の職員を退職して大好きな有松のまちのためにできることを探しているということで出会ったのが、後に共同代表として会社を運営することになる武馬淑恵さんと、地元で長く続く山上商店三代目、「cucuri」代表の山上正晃さんでした。
「山上さん、武馬さんと出会うなかで、地域の方や市役所職員の方などとともにまちにはどんな人がいて何をしているのか、そしてどんな課題があるのかなどを知ろうと自主的な勉強会を始めました。月一ペースで続けているうちに、こうして集まって話してばかりいても何も始まらないよねってことになって、とにかく自分たちでできることから動いてみようということで会社を立ち上げました。」
「有松で長く商売をされていて地域での信頼も厚い山上さんがコミュニティマネージャー。武馬さんはまちの中と外をつなぐコミュニケーションマネージャー。僕は企画やインターフェイスのデザインを考えるブランディングマネージャー。それぞれの個性や立場でバランスよく役割が分かれている感じですね。」
家守会社の主な目的はまちの空き家対策。歴史あるまちであるが故、他所の人がいきなり飛び込むにはハードルが高いという有松で、外から来た人を自然にまちとつなげることができる仕掛けとして定期的に開くマルシェイベント「アリマツーケット」も主催。
さらに30年先の有松を考えるワークショップ「プレー!アリマツ」や、実際にある空き家を対象に、活用案を考え提案するまち歩き型のフィールドワークなども行ってきました。
「実際に起こりうるかもしれない少し先のまちの未来をみんなで考えることと、そこから見えてくる課題をすくい上げ、解決を目指して取り組むこと。そこが僕自身にとってまちづくりとデザインリサーチとの融合点だと思うんです。」
今後は、会社がまちへ貢献できることとして、空き家対策から浮き上がってくるさまざまな課題を行政に対してフィードバックするようなこともやっていけたら、とも。
そして家守会社が目指すもう一つの目的は「地域振興」。安易に観光地化を図るのではなく、若い世代が主役となって地域に関わっていける仕組みづくりこそが、持続可能なまちづくりには必要不可欠だという浅野さん。
「Uターンでも移住でもきっかけは何だっていい。シンプルに〝このまちが好き!〟という想い、そして自分自身が〝一番楽しむ人〟であることが重要なんじゃないでしょうか。そんな気持ちで向き合えばまちとの関わりしろは自然に見つかると思うんです。それはきっと有松に限らずどこでも同じ。これからの有松に関していえば、若い人たちに魅力を伝えていくことが僕らの大きなミッションだと思っています。」
有松が今夏、3年に一度の芸術の祭典、国際芸術祭「あいち2022」の会場にも選ばれたことで、これまでとは違う若い世代の人たちから注目される契機になると期待。
さらに浅野さんは、今年6月、3年ぶりに開催される「第38回有松絞りまつり」の広報部長を務めています。これまで有松を訪れたことのない若い世代や、往年の有松絞りファンが家族や友人と参加したいなと思えるような情報発信を始めているそう。
「空き家見学ツアーも企画中で、それを機に実際にまちで何かを始めてくれる人が集まったり、応援してくれる地元の人が出てくればいいなと。人とまちとのコミュニケーションをつくり続ける、そういう地道な取り組みの積み重ねがまちづくりの基本だと思うんです。
コロナで2年中止になっていた有松絞りまつりも今年は開催します。ぜひ有松に遊びに来てください!」
屋号 | 合同会社ありまつ中心家守会社 |
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URL | ありまつ中心家守会社:https://yamori.armt.jp |
住所 | 愛知県名古屋市緑区有松1060 冨田ビル205 |