移住者インタビュー/山田耕右さん「山形は山と関わる文化が濃い。それがおもしろい」
インタビュー
山形市の青春通り沿いに店を構えるアウトドアショップ「DECEMBER」。オリジナル商品やレトロな道具を扱っていることから、アウトドア好きのみならず人気の店になっています。そこで4月末まで縫製の仕事をされていたのが、今回の移住者・山田耕右さん。2019年1月に山形市に移住をし、DECEMBERに入社されました。2020年からは、その経験をもとに自身の登山用具ブランド「yamada packs」をスタートしています。山田さんが東北と出会ったのは、東日本大震災の被災地派遣がきっかけです。そこからなぜ山形市に移住することになったのか、山田さんの趣味「山歩き」をしながらお伺いしました。
被災地派遣に行った地で東北の自然と人の良さに圧倒される
群馬県出身の山田耕右さんは高校卒業後、大学進学とともに上京。卒業後は区の区役所職員として勤務していた。公務員を目指したのは「社会貢献」という気持ちから。仕事をしなくちゃいけないのなら「役に立てるもの」がいいと探した結果、選んだのがこの道だったそう。
「入庁3年目の異動希望の際に、東日本大震災の被災地派遣に希望を出しました。一番の動機は、自分のしたいことに挑戦したかったのといろいろな仕事を経験したいという思いからです。また、前任で派遣されていた職員の話をきいて、自分も役に立てそうと感じ、背中を押されました」
公務員の「被災地派遣」とは人手の足りていない役場で、職員として働くのが仕事だ。通常の業務に加え、復興業務が増えたことから人員不足になっている部分を補填する。全国の各自治体から定期的に人員を派遣することになっていたそうで、2014年から1年間、山田さんは宮城県南三陸町で働くことになった。
「実際に被災地派遣の仕事について、とても張り合いをもって業務に取り組めたと思います。もとから人員不足の状況だったため、人から頼られる機会も多く、やりがいも感じられました」
週末になると見知らぬ土地に単身で来た山田さんを気遣って、地元の職員たちから遊びに誘ってもらう機会も多かったという。
「南三陸町に行って驚いたのは、人との繋がりです。私は群馬県でも田舎のほうの出身なんですが、それでも特殊だなって思うぐらい人との関わりが濃いんですね。例えば小学生とすれ違ったら絶対に挨拶をしてくれることとか、そういうのも経験したことなくて。職場で仲良くなった人たちとは卓球大会に出たり、スノーボードに行ったりもしました。東京の職場ではありえない人の繋がりができて、居心地もいい。だから希望を出してもう1年延長し、2年間勤務させてもらいました」
慣れてきた頃にはひとりで山登りに出かけ、東北の自然にも触れた。北アルプスや東京の奥多摩で登った山とは異なる静かな雰囲気や、どこか動物の気配を感じる自然の奥深さにどんどん魅了されていく。
「24歳から山登りをしていましたが、東北に住むようになって完全にハマりました。東北の山ってほとんど人がいない。だから怖いんですよ。メジャーな山に行けばいいですが、私が行くのはあまり人がいないところなので登山道もそんなに整備されていません。まだまだ山登りは素人ですし、そんな環境にちょっと危険を感じるんですけど、逆にスパイスになってドハマリしちゃいました(笑)。北アルプスなどは完璧に整備されていて歩きやすいんですが、それよりも看板がクマにかじられてわかりにくかったりする東北の山のほうが、より自然を感じられて、おもしろいなぁって思ったんですね。派遣2年目にはテンカラ釣りも始めて、ますます東北の魅力を感じていました」
2年の被災地派遣を終えて再び東京の職場で働くが「やりたいことに挑戦したい」と感じた気持ちはずっと残っていた。週末になると、東北の山に出かけ「いつかここに住めたら」と思うようにもなっていたそう。そして2018年、新たな道に歩むことを決める。
「公務員を辞めるなんてバカなことしたなって思います(笑)。本当に親不孝。それでもチャレンジしたかったんだと思います。自分がやりたいことの可能性がある場所に行きたいって思ったんです」
自作のバックパックを背負って約5か月間ロングトレイルを歩く
退職後、山田さんがまずチャレンジしたのはアメリカのロングトレイルを歩くこと。歩いたのは「パシフィック・クレスト・トレイル(通称PCT)」。アメリカ三大ロングトレイルのひとつで、メキシコとアメリカの国境からカリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州を経て、カナダの国境に至る約4300kmのコースだ。90%の人がメキシコ側からスタートするが、山田さんは「申請が取りやすい」との理由でカナダの国境からメキシコに向かう逆ルートを歩くことに決めた。退職してから3か月の準備期間を経て、7月初旬から約5か月をかけてひとりで歩き切った。そのときに自分でバックパックを作ったことが今の仕事へと繋がる。
「山を始める前から道具が好きで、ウェアのカッティングやバックパックの構造などを気にしていたんですね。パタゴニアやアークテリクスといったアウトドアメーカーのギアはどれも素晴らしい。でも『このバックパックのコレがなければ、もっと最高なのに』と思うことも多くて。自分の中で理想の形はあるのに、どこのメーカーも作らないんですよ。だったら自分で作ろうって思ったんです。アメリカのハイキングカルチャーの中に、MYOG(Make Your Own Gearの略)の文化があって、ハイカーの中には道具を自作する人も多い。だから自分もPCTを歩くのに自作のバックパックで行こうって決めました。それで新宿の高島屋に入っている手芸店で職業ミシンを買って、ネットで生地を購入。ミシンは7万ぐらいするし、生地も特殊だから1mで5000円ぐらいするんですよ。バックパックをひとつ作るのにすでに10万円ぐらいかかっていて、もはや買ったほうが安い! しかもそこから型紙をおこして、生地を切って縫い合わせると、自分がまったく欲しいと思えないバックパックが完成したんです(笑)。それをほどいてもう一度作り直すという作業を繰り返して、気がついたら1か月ぐらい家に籠もってバックパックを作っていましたね」
なんとか完成した40Lのバックパックを背負って約5か月歩き切った頃には、バックパックはボロボロ。でもそこから「何が悪かったのか」がわかり、改善点を発見することができたとも話す。
「PCTから帰ってきて最初に思ったのが、自分のブランドを作って仕事にするのは雲をつかむような話だなってこと。それでも今のバックパックの欠点を直して完璧なものを人に届けることができたら、おもしろいよなとも思いました。1か月間バックパックを作っていると、ひとつのバックパックの原価が30万円ぐらいかかっちゃうんです(笑)。それではとても売れない。まずは、売れる価格帯にするためにどうしたらいいのかを学ばなくちゃいけないと思いました。それで道具の製作ができる求人を探したんです」
そうは思ったものの初心者で未経験の山田さんを受け入れてくれる職場は少ない。奇跡的に見つけたのが山形市にある「DECEMBER」だったのだ。
「漠然と東北に住めたらいいなぁとは思っていたし、しかも募集しているのは自分が求めている職種。ラッキーでしたね。DECEMBERではオーダーのタープや布ものの小物を作っていて、それの縫製の仕事をしていました」
山菜採りを知って新しい山の扉が開けた
道具製作をすべて手作業で行なうDECEMBERには3年間勤務した。そこで「同じものを大量に作る方法」、「売れる値段にするにはどうするのか」を学んだ。縫製の仕事をやり始めて1年以上が経った頃に自身の登山用具ブランド「yamada pakcs」をスタートさせる。もちろんすべて山田さんの手作りで、型紙から生地選びまでひとりで行なっている。そして2022年に独立を決意。山形にはDECEMBERに働くための移住ではあったが、これからも住み続けたいと話す。
「3年間暮らしてみて、本当に山形に来てよかったと思っています。南三陸町にいた頃は山形の山に行く機会が少なかったのですが、移住してから山形の山にはほとんど登りました。山で出会ったおじさんにイワナ釣りに誘われて“秘密の場所”に連れて行ってもらったり、山形も人の繋がりが濃くておもしろい。気の合う友人もできて、自然遊びを満喫できています。一番は山菜の文化を知ったことですね。友人のお父さんにタケノコ採りに連れて行っていただいたのですが、それがもうすごく楽しくて! 去年はキノコ採りも始めて、マイタケを採りました。これまで山菜を食べる機会もなかったから『山菜採り』なんて文化があることが新鮮で仕方ありません。しかも山形の方って、若い人も山菜を食べますよね。山と関わる文化が濃いんだなぁと思います。より山と繋がれているようで、山菜を知ってから新しい山の扉が開けた感じがしています」
現在「yamada pakcs」では、バックパックとウエストポーチを販売している。今後もギアを中心に種類を増やしていく予定だ。
「45Lのパックパックは、荷物を適当に詰めてもOKな設計にしています。山菜採りに行ったときは、タケノコを入れて帰って来ました。バックパックなのに荷物が入らないとか、軽量なのはいいけれど生地が薄すぎて雑に使えないというのが嫌なんですよ。外付けして容量を増やせるモデルもありますが、通常は荷重がかからない部分に取り付けるからバランスが悪い。なので、私のバックパックは、とにかくドカドカと荷物を詰め込める構造になっています。それでいて軽量にも仕上げていますよ。実店舗を作る予定はなくて、通販を中心にアウトドアショップなどでポップアップの受注会ができたらいいですね。まだまだこれからですが、続けて行けるように頑張りたいです」
yamada pakcs
https://ymdpacks.com/
写真:伊藤美香子
取材・文・中山夏美