【鹿児島県長島町】素直・真面目・謙虚な姿勢で生き、まちの財産を継承していく/山上農園 山上博樹さん
インタビュー
鹿児島県最北端の長島町にて50年以上前から柑橘栽培を行ってきた『山上農園』。「鹿児島の長島から農業を通して笑顔を育む」のビジョンのもと、樹と日々向き合っている代表・山上博樹さんから継業するまでの背景や長島町への想い等を伺いました。
地道に動き続けた先に見える景色
実家が温州みかん等の柑橘栽培や養鶏の家業をしていたため、小さい頃から学校以外の時間は手伝いがほとんどだった山上さん。
「遊ぶ時間も無かったので、作文のテーマはいつも家業のことばかりでした。」
「常に動き続けているのは今も昔も変わりません。ノンストップな状態が当たり前だったので、休むことを知らないのですが、動き続けている方が楽なんです。」
高校卒業後は福岡の大学へ。
大学3年生の時に出会った学習関連企業のアルバイトが大きく人生を変えることになります。
気がつけば正社員の話になり、卒業前には1つの拠点を任されるほどの立場になっていました。
「当時の社長が「自分たちが向かっている先に何があるかわからない、山登りと一緒で登ってみないと見えない景色があるんだ」という言葉が印象的でした。」
「登った後に次はどんな景色が見えるのだろうか、この人と一緒に登って景色を見てみたい。社長の素直な言葉を聞いて、そう思ったんです。それで入社を決めました。」
山上農園 山上博樹さん
入社後は退職するまで全国飛び回る日々。
仕事も順調にいき、20代真ん中で上の役職に就けたといいます。
しかし、人生そうは思うようにいきません。
スランプに陥り、仕事で結果が出せない日々が続いてしまったのです。
「せっかく出世したのに役職も下がってしまい、ドン底でした。それでも気持ちは前向きでした。そんな時こそ力をつけるチャンスだと思い、本をたくさん読んだんです。」
「ドン底に落ちたことで本当に自分が見えてきました。プライドはズタズタでしたし、現実を受け止めることは辛かったです。でも、その状況を耐え忍びながら地道に努力をしたからこそ這い上がることができました。」
「上の役職になっても現場に出るようにしていました。直接コミュニケーションをとり、声を聞くことで、現場の感覚を忘れないようにしていたんです。」
手の届く範囲の世界でできることを
30代後半になると家業のことを考え始めた山上さん。
実家の状況や子育てのことも考え、40歳で長島町へUターンし、家業の手伝いをすることになります。
「一人で柑橘を作れるようになるまで少なくとも10年はかかると見積もっていました。だから、実家に戻るなら早い段階がいいと思ったんです。」
「僕は小さい頃から父の作業している背中を通して色々なことを学びました。その学びは社会人になってからとても役に立ったんです。子育てをするなら、自分の働く姿が子供たちから見える環境が良いと思いました。」
しかし、高校まで家業の手伝いをしていたとはいえ、知識や技術はほぼ皆無。さらに昔に比べ体力も落ち、生活リズムは会社員としての習慣が身についていたので、1つ1つが大変だったといいます。
それでも少しずつ足元を固めながら農家としての経験を積み、地域とも信頼関係を築いていきました。
山上さんが戻ってきた当初、栽培した柑橘は全てJAへ出荷していました。
ある時、帳簿を確認すると利益が非常に低いことに気づきます。
「このままだと生活ができないと思い、すぐに山上農園のホームページとECサイトを作りました。」
「それまでの販売形式だと色々な生産者の品が混ざり、誰が作ったのかわからなくなります。どれだけ努力しても、どれだけ良いものを作っても、作り手の顔が見えなかったら無責任になると感じたんです。」
「顔が見える形で販売することで少しずつお客様の層を広げていきました。ECサイトを作った年から毎年ずっと購入してくださる方もいるんです。本当にありがたいですよね。」
柑橘の選別や箱詰めは全部山上さん自身で行っています。
さらに光センサー選果を導入し、サイズや見た目のチェックの他に、糖度やコクの有無を確認し、おいしい柑橘を自信を持って届けているのです。
「自分が手の届く範囲でできることをしようと決めています。そうすることでお客様に安心して山上農園の柑橘を贈答用や家庭用として選んでいただけるような品質管理に繋がっているんです。」
素直に、真面目に、謙虚に
5年程前から商品開発にも力を入れています。
人気商品の1つが「シラヌイドライフルーツ完熟五味」。
熟成段階の違いにより、5種類の味が楽しめる逸品です。
「不知火を食べた月によって明らかに味が違ったんです。甘みや酸味が変化していっていて。だったら、それを食べ比べできるような商品にしたら面白いなと思ったんです。」
写真提供 山上農園 シラヌイドライフルーツ完熟五味
「3年前に『かごしまの新特産品コンクール』に声がかかり出品させていただいたのですが、まさかの入賞を果たしてしまったんです。周りの仲間たちもびっくりしていました。」
「入賞を機に、大手百貨店やオシャレなお店に商品を置かせてもらうようになりました。購入してくださるお客様の層も幅広くなりましたし、「山上農園」と聞いただけでパッとイメージしてくださる方も出てきたのでブランド力も上がったと思います。」
そこには
「「山上農園の商品を買いたい」とお客様に思ってもらうためにどうしたらいいのか?」といった逆算がありました。
それが功を奏し、商品開発は山上農園のブランド力や知名度を上げる大きな役割を果たしたのです。
「僕は仕事を続けていく上で大事なのは3つだと思っています。それは、素直さ・真面目さ・謙虚さ。この中の1つでも欠けてはいけない。」
「地味なことでも地道にコツコツ努力できる人ほど心を込めて仕事ができると思います。その姿勢から「その道で生きていこう」といった気持ちが伝わってくるんです。」
「会社員時代に急にドン底に落ちることを経験してきたので、少しずつ積み重ねることの大切さを痛感しています。気がついたら遠くまで来たという感覚でいいと思っています。」
想いの継承
山上さんは今年の4月から『日本マンダリンセンター』(以下:マンダリンセンター)の指定管理者となり、長島町の未来について日々模索しています。
昨年、行政からマンダリンセンターの今後について相談を受け、現場へ足を運ぶと抱えている問題が多く、ショックを隠せなかったそうです。
「現状を見て、まずは自分やまちの人がマンダリンセンターに対して無関心でいられなくすることが最初の一歩だと思いました。そのために、情報発信をしたり、気になったことを様々な専門家に相談をしたり。」
「そうすることで1人から2人、2人から3人のように関心を持つ人が増えると思うんです。仲間が増え始めたら物事で少しずつ動き始めますよね。」
「この建物で話し声や笑い声が聞こえるだけでも雰囲気が変わります。皆でワイワイしていたら明るい兆しが見えてくる気がするんです。」
今後は周りの人と相談をしながら、ワークショップ等のイベントの開催や売店の設置等をしていけたらと考えているといいます。
最後に山上さんなりに想い描く、長島町の未来について尋ねました。
「僕が生きている間じゃなくても、長い目で見ながら、地元の人がまちの財産に対して誇りを持てるようにしていきたいです。」
「20~30代の世代が色々動けるようにバックアップをするのが僕ら40~50代の役割です。そして、その20~30代が次の世代に対して同じようにバックアップしていけば、良い循環が生まれ、想いは継承されていくと思っています。」
「想いの継承をしていくことは簡単なことではありません。どれだけ時間がかかっても、恐れず粛々と地道に積み上げていくことが大事です。それができるのは、素直さ・真面目さ・謙虚さの3つを持つ人なのではないかと思います。」
常に現場見ながら
遠い未来を見据える背中からは
まちや次の世代を想う
山上さんの覚悟が伝わってきました。
想いを引き継ぐことは簡単じゃないかもしれない。
それでも
素直に、真面目に、謙虚に動き続ければ
無関心が関心に変わり
少しずつ明るい兆しが見えてくるのではないか。
そんな未来が垣間見られる時間でした。
屋号 | 山上農園 |
---|---|
URL | |
住所 | 鹿児島県出水郡長島町浦底3842-1 |