【鹿児島県鹿児島市】小さな声を拾い上げ、利用者の望むケアへ/主任ケアマネジャー 中村百合子さん
インタビュー
鹿児島県鹿児島市の社会福祉法人で主任ケアマネジャー(以下:ケアマネ※)として従事されている中村百合子さん。そんな中村さんから介護の世界に足を踏み入れた背景やケアマネとして大切にされていること等を伺いました。
※ケアマネジャーとは、介護を必要とする人が介護保険サービスを受けられるように、ケアプラン(サービス計画書)の作成やサービス事業者との調整や利用者・家族との相談業務を行う、介護保険に関するスペシャリストのこと。
程よい距離感で見守られたから
高校時代、音楽が好きで吹奏楽部へ入部した中村さん。
演奏は得意ではなかったといいますが、音楽に対する気持ちは3年間ずっと変わりませんでした。
部員が部活動以外でバンドを組んでいたことがきっかけで、そのバンドのメンバーとも交流が始まり、楽しい日々を送っていました。
しかし、そんな中村さんに突如悲劇が襲います。
通学途中に交通事故に遭い、意識不明の状態になってしまうのです。
何とか一命を取り留め、2ヶ月間の入院生活を送ります。
ただ、そこから学校へ行くことを一時期躊躇するようになってしまいました。
「長期で入院していたので、勉強についていけるかどうか、クラスや部活に以前のように溶け込めるかどうかといった不安がありました。」
「そんな不安に寄り添ってくれたのは吹奏楽部や仲良くしていたバンドのメンバーたちでした。「教室に居づらくても部活だけ顔出せばいいじゃん」「学校にずっと来てなかったとしても、別にいいじゃない」と軽いノリで声をかけてくれたんです。」
「緩やかな声かけがあったからこそ、無理しなくてもいい、考え込まなくてもいい。そう思えるようになりました。先生も親も含め、皆が程よい距離感で見守ってくれたから事故前のように学校へ行くことができたと思います。」
小さな声を拾い上げ、利用者が望むケアに結びつける
社会人になり、いくつかの仕事を経験した後、求人で介護職員の仕事を発見します。
どんな職種があるのか、どんな仕事があるのか全くわからず、何となく踏み込んだ介護の世界。
オムツの交換や車いすの移乗等、1つ1つのことが新鮮で、介護に対する好奇心が強くなっていきました。
ある介護施設で働いていた時のこと。
当時一緒に働いていたケアマネと過ごした時間が忘れられないといいます。
「病気が末期で、食事もあまり喉を通らない県外出身の利用者さんがいました。そのケアマネは「利用者さんが希望したことがあれば小さなことでも報告してほしい」と周りの職員に声かけをしていたんです。」
「ある日、私が夜勤でその利用者さんと接していると「漬物を食べたい、それと、ムツゴロウを食べたい」と話をしてくれました。それをケアマネに伝えたところ、親族に連絡をとってくれて。そしたら、親族からムツゴロウの佃煮が送られてきたんです。ケアマネが動いてくれたおかげで利用者さんの希望は叶い、ムツゴロウの佃煮を食べることができました。」
「それまで食事があまり喉を通らなかったのに、ムツゴロウの佃煮はパクパクと食べてくれて…。もしかしたら、故郷が恋しかったのかもしれません。その時、小さな声でも拾い上げ、利用者さんの想いを形にするケアマネの役割の大きさを知りました。」
その後、中村さんは実務経験を積み、ケアマネ試験にも合格。
そこからケアマネとして新しい道を歩むことになります。
少しずつ、少しずつ、距離を縮めながら、自然に
介護サービスといっても、利用者の症状や家庭環境、人間関係等が違えば、コミュニケーションのとり方や信頼関係の積み上げ方はそれぞれです。
だから、マニュアルや正解なんて無い世界。
そんな介護の世界でケアマネとして日々従事する中村さんはどのように利用者や家族と向き合っているのでしょうか。
「「これが正解です、正しいです」とは絶対言いません。利用者さんやご家族が少しずつ、利用者さんの希望に沿ったサービスに向けて自分たちの意思で考えていただけるように向き合っています。」
「中にはご家族が望んでも利用者さんがそのサービスを望まないケースもあります。その時は、少し時間と距離を置いて、しばらく様子を見てからサービスの提案をしています。」
「感情に流されず冷静さを保つことも大事にしています。冷静さを欠いてしまうと、利用者さんやご家族だけでなく、サービスを提供する介護事業者さんにも迷惑をかけてしまいますから。」
それでも、自身が追い求めるケアマネ像には程遠いと話す中村さん。
「めげずに、諦めずに、少しずつ、少しずつ距離を縮めていくしかないと思います。その先に、利用者さんが望むケアへ自然に結びつけられたら、それほど嬉しいことはありません。」
皆で一人一人を支えている
ケアマネとして様々なケースの現場へ足を運んできた中村さんですが、自身の視野の狭さや無力感を感じることが度々あるといいます。
「一人一人に対して色々な支援が必要ですが、介護分野だけの知識だけでは利用者さんの想いを汲み取ることができないのではと思うようになりました。それで、就業後の時間や休日を利用して、介護とは違う分野のイベントや学びの場に参加したりしているんです。」
「少しでも見聞を深めて、自分の見える世界が広がることで、拾い上げられる声も変わってくると思うんです。介護保険制度に支えられている人は多いですが、制度でも手が届かない人たちに対して何かできることはないかと考えています。」
「色々な場に出てわかったことは、分野が違っても、全てが繋がっているんだなって思いました。私は介護保険利用者の生活を支える専門職ですが、例えば、利用者さんの住居を建築関係の人が作り、毎日食べているご飯の材料を生産者が作ってくれている。一人じゃなく、皆で一人一人やまちを支えているんだなと思えるようになりました。」
最近は新しい挑戦として社会福祉士の資格を取得したいと考えているそうです。そこには「時間をかけて、思い描いているケアマネに近づきたい」と願う中村さんの想いが込められていました。
介護保険の利用者が増え続けるこれからの時代。
自身を高めながら、利用者と向き合い続ける中村さんの姿からは
介護+αといった単なる介護とは違う何かを感じられました。
その「何か」とは利用者によって答えはそれぞれ。
でも、答えは違えど
程よい距離で向き合いながら
利用者の意思で自身の望む未来への選択へ自然に導く流れは
変わらないと感じました。
いつかは誰もが直面するかもしれない介護サービスに対して
見えないところで多くのことと向き合っているケアマネの存在とありがたみを改めて再認識することができたと思います。