【鹿児島県南九州市】鹿児島に深く根付き、唯一無二の個性を表現していく/Radice Sud 料理人 國﨑耕大さん
インタビュー
鹿児島県南九州市在住の料理人・國﨑耕大さんは、今年9月にオープン予定の『山猫瓶詰研究所』研究員や『Radice Sud』代表としても活動されています。そんな國﨑さんから料理人になった背景や現在の活動に対する想い等を伺いました。
思い描いているものを表現するために
知覧町で小学校から高校まで生まれ育ってきた國﨑さん。
「実家から外を見渡すと茶畑が広がっていて、2キロ先の建物が見えるほどでした。その景色を眺めるたびに学生の頃は「何もないな」と思っていました。」
中学校までは軟式野球部に所属し、県大会で優勝も経験したそうです。
しかし、将来のことを考えたとき、自身の限界を感じ、野球を辞めることを選択します。
「野球部を引退した初日。ベッドの上で今後の人生について考えたんです。特段好きなことはありませんでしたが、「何か表現をしたい」という想いはありました。」
「当時、僕にとって“食べること”が楽しみでもあり、元気の源でもあったんです。だったら、料理人になって自分がそうだったように、色々な人に“食べること”を通して元気を与えられる仕事がしたいと考えました。」
「あと「ちゃんと目標をもって人生を生きていきたい」という想いも強かったです。野球部で実績があったので周りから自分の選択を不思議がられましたが、それでも想いはブレませんでした。」
中学校卒業後は、調理科のある高校へ進学することになります。
高校へ入学し、料理人になるために学んでいるうちに國﨑さんの中である想いが芽生えます。
「イタリアへ行きたい。」
小さい頃からご両親に「広い世界を見なさい」と言われていたこともあり、漠然と海外に行きたい気持ちがあったそうです。
「パスタが好きだったので海外の中でもイタリアがいいなと思いました。パスタの聖地で有名でしたし、パスタから香るニンニクから元気をもらっていましたから。」
それらの理由から高校卒業後はイタリアで料理人として修行をしようと決心します。
「1年生の時点でイタリア行きを決め、残り2年間は語学や文化の勉強等をして卒業後に備えていました。今まで触れることのなかった世界を肌身に感じたい想いがとても強かったです。」
「「行くと決めたら行く」という感じだったので、先生や友人が何と言おうと想いはブレませんでした。」
海外で生活したからこそ感じるようになったもの
高校卒業後、強い想いを胸にイタリアへ。
「イタリアに着いてから、修行したいお店に自分でアポを取って直接面接を受けに行きました。中にはメールを送っても返信がないお店もありましたが、修業先が決まりました。」
何とかスタートラインに立てた國﨑さんでしたが、高校時代に独学であらかじめ語学や文化等について勉強していたとはいえ、戸惑うことばかりだったといいます。
「どうしたらいいんだろう?」
コミュニケーションもですが、料理人としての腕も周りを納得させるレベルには及ばず、國﨑さんにとって苦しい日々が続きました。
「自分の未熟さを本当に痛感しました。1年やそこらの努力で埋めることのできないレベルの差を感じて…。」
「常に暗闇の中にいるような感覚でした。どんなに足掻いても、足掻いても、出てこれないような…。」
「毎日必死に修行を続けていました。でも、やりがいや楽しさは無かったと思います。自分の中で思うような光を見出すことができませんでした。」
そんな日々を送る中でも、國﨑さんにとって、今にも繋がる芯となるモノをイタリアで得ることになります。
イタリアといえば世界中から観光客が多く集まるほど歴史的建造物や景色が溢れています。
しかし、当時の國﨑さんは観光ではなく暮らしの場として滞在していました。
そのため、そのような景色を観ても、滞在しているうちに少しずつ感動の度合いが薄れてきてしまいます。
同時に鹿児島での日常を思い出すようにもなってきました。
「イタリアでは恵みある食べ物や景色が常に溢れていたのに、たまに日本が恋しくなることがあったんです。そのとき「あ、僕は日本人なんだな」と痛感させられました。」
「鹿児島を、日本を離れたからこそ、小さい頃から当たり前に観てきた茶畑の景色の良さがわかってきました。日本じゃないからこそ、既成概念が飛んでいくような感覚がしたんです。」
「正直、料理人としての技術が上がったかというと、自分ではそう思っていないです。どちらかというと、周りの人たちが想像できないものを知れたことや気づけないことに対して気づけるようになったことが一番の収穫だと思っています。それは自分の中での芯の1つになっているのではないかと。」
色々な選択肢を伝えられる場所に
イタリアで2年程修行した後、東京のレストランでも修行を重ねることにしました。
そこでは労働時間が多く、過酷な日々が待っていたといいます。
東京で修行を始めて3年経過したある日のこと。國﨑さんに悲劇が起こります。
精神的にも身体的にも限界を迎え、体調を崩してしまったのです。
「“楽しいから・好きだから”という気持ちで料理人をしている人たちに僕は敵わないなと気づきました。その差は埋められないというか。」
「また、「今、幸せじゃない」ということにも体調を崩して初めて気づきました。自分がその瞬間瞬間を楽しんで、心から好きだと思えないと何もできないと感じたんです。それで鹿児島に戻ることにしました。」
「東京を出るとき「料理人として生きていくことは辞めよう」と思い、職場に荷物を全部置いてきました。まずは、体を休めて、心も体もきちんと治すことを優先しました。」
鹿児島に戻り1ヶ月程経ち、体調も少しずつ回復。
心の余裕も出てきたので、そこから今後の人生について考えるようになります。
「それなりの決意で海外へ行き、相当な時間を料理人として費やしてきたのに簡単に諦めていいのか?」
「俺には俺のいいところがあるんじゃないか?」
次第に前向きな気持ちになり、情報収集しているうちにSNSで気になる記事を見つけます。それは『山猫瓶詰研究所』(以下:山猫)(※1)の求人でした。
事業内容を見て興味をもった國﨑さんは社長にアポを取り、話を聞きに行くことにしました。
「話をしているうちに社長の考え方や想いに魅かれました。そしたら、社長から「1週間後に料理を作ってほしい」と言われたんです。」
「社長の前で料理を作ったとき、心の底から「楽しいな」と思っている自分がいました。「一緒にやろう」と声をかけてもらい、今は一緒に山猫のオープンに向けて動いています。」
山猫に関わるようになってから近隣エリアの生産者や作り手にも出会う機会が増え、
その中でたくさんの想いや、身近にあるモノに対する色々な見方や視点があることを改めて気づかされるようになりました。
「モノを作っている人たちには確固たる信念があります。自分にできることは、その信念に寄り添いながら、強みを掬い上げて表現していくことだと思っています。」
「身近にあるモノで既存とは違った角度で表現したり、そんな働き方をしている僕たちの背中を見せたりすることで、色々な選択肢を掲示できる。山猫はそんな場所になると思います。」
生まれ育った鹿児島で唯一無二のものを
國﨑さんは『Radice Sud』(ラディーチェスッド)としても活動をされています。
その活動にはどんな想いを込められているのでしょうか?
「『Radice Sud』の意味は“南の根っこ”です。鹿児島で深く根付くようなことをイメージしています。僕が表現したいこと・やりたいことを通して何か一石を投じることはできないかなって。」
「メンバーは3人いて、それぞれの視点があるからこそ常にバージョンアップできるし、見えない部分をカバーしていけると思うんです。」
「まずは「鹿児島で生まれたんだ」という自覚を強く思う必要があると思っています。僕にとって鹿児島は唯一無二なんです。」
「鹿児島だから鳥を生で食べたり、キビナゴをお刺身として食べたり等といった文化がありますが、そういう何気ないことから掬い上げていきたい。それを一つのお皿として表現できれば、自分の個性になって、皆が知らなかった何かになると思うんです。」
「僕はまだまだ料理や鹿児島に関する知識は足りません。色々掬い上げていくうちに、絶対唯一の旗印になって、それが誰かにとって、鹿児島へ行く理由になると思っています。」
鹿児島で生まれた強い自覚と
既存の概念と違った視点で物事を見ること。
それらは國﨑さんにとって
山猫の研究員としても『Radice Sud』としても
変わらない芯でもあり、前に突き進む糧のように感じます。
「海外で生活していたからこそ「僕は鹿児島で生まれたんだ」と思えるようになったと思います。」
「まだまだ力不足ですが、地域の中にある些細なモノに気づけるようになりたいです。それは想いのような形がないモノなのかもしれないし、食材のような形あるモノなのかもしれません。」
「自分が表現したモノが時には「ダサい」と言われることもあるかもしれません。でも、時代が変わっていけば世間の目だって変わり、それが良きモノとして扱われる時が必ずくるはずです。」
「これから自分の人生がどうなるかわからないですが、表現する舞台はずっと鹿児島だと思っています。鹿児島のどこに行き着こうが必ず何かしたらの強みはあるはずです。どんなモノだろうが、その地域の個性ということには変わりありません。」
「良い意味で地域の中に流されるように生きていこうと思います。「この地域に何があるのか?」を深く理解し、その地域だからこそできることを鹿児島に根付きながら表現していきたいです。」
日本を離れた遠い土地で生活してきたからこそ感じられるようになったモノ。
それを巡りめぐって生まれ育った鹿児島で表現していくことで
これから多くの人に想像できない可能性や選択肢を掲示していくと感じました。
國﨑さん自身もこれからまだ見ぬ様々な個性に出会っていくと思います。
その度に誰かにとって
その場所や個性が旗印となり
鹿児島が唯一無二な存在になっていくのではないか。
目の前に溢れるモノに対する可能性を改めて感じた時間でした。
※1 『山猫瓶詰研究所』は『株式会社下園薩男商店』が枕崎市の旧金山郵便局をリノベーションし、今年9月(細かい日程は調整中)より地域の食材や歴史をもとにしたショップ・カフェ・工房・宿をオープンする予定の場所です。
※2 料理で使用している器は『Tenoutuwa』を使用しています。
屋号 | Radice Sud |
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URL | |
備考 | ・國﨑さんに関する情報は インスタグラム https://www.instagram.com/koutakunisaki628/ ・山猫瓶詰研究所に関する情報は |