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移住者インタビュー/SOUTO 鈴木裕太郎さん 「自分らしく生きるための身体づくりをサポートしていきたい」

移住者インタビュー

2022.07.21

山形移住者インタビュー。こんかい登場してくださるのは、理学療法士の鈴木裕太郎さん。2021年に山形市東青田にある完全予約制の整体・コンディショニングスタジオ SOUTOを立ち上げました。大阪、仙台を経て、山形に辿り着き、現在へと至るまでの鈴木さんの物語をお聞きします。

移住者インタビュー/SOUTO 鈴木裕太郎さん 「自分らしく生きるための身体づくりをサポートしていきたい」

病気をしてしまうまえに
身体をケアすることこそが大切

これまで理学療法士として、大阪、仙台、そして山形で働いてきました。理学療法士というのは病院などでリハビリを提供する、身体と動きの専門職。その人がその人らしく生きていくために、医学や社会的な側面からサポートする仕事です。

病院で働いていた頃、患者さんたちから「病気をするまえにその情報を知りたかった」「手術を受けることになるまえから、しっかりと身体のことを考えてケアすればよかった」「自分の健康にもっと関心をもてばよかった」という声をいただきました。

病気や手術になるまえの段階でこそ、適切な情報やケアが必要であることをあらためて強く感じ、外来で来られる方たちに対してパンフレットをお渡しするなどして、ケアの必要性をお伝えしてきました。けれども、結局、医療保険におけるリハビリは時間も量も必要最低限のレベルに制限されるケースが多く、病院において身体全体をトータルでケアすることは非常に困難なのだ、と限界を感じることになりました。

それなら、身体のメンテナンスができる場所、そしてまた健康のための取り組みができる場所というものをじぶんでつくってしまおうと立ち上げたのが、SOUTOというスタジオなのです。

移住者インタビュー/SOUTO 鈴木裕太郎さん 「自分らしく生きるための身体づくりをサポートしていきたい」

移住者インタビュー/SOUTO 鈴木裕太郎さん 「自分らしく生きるための身体づくりをサポートしていきたい」

大阪時代に身体に刻んだ
理学療法士としての原点

もともとわたしは、若くして病を患った父を自宅で介護するという経験をしたことから、ひとの身体に興味を持ち、身体を科学的に学びたくて理学療法士を志すようになりました。そして学生時代、臨床実習で担当した患者さんがなかなか良くならず、「もっと、この人にとって最善の治療がほかにあるのではないか」という想いを抱いたことから「日本でいちばんのリハビリテーションを学びたい」という気持ちが芽生えました。臨床実習でお世話になった先生から病院を紹介してもらったり、じぶんで調べたりして、全国各地の著名なリハビリテーションの病院を夏休みを利用して見学して回りました。

大阪の千里リハビリテーション病院は、そのときに見学した病院のひとつです。理学療法士でありながら医学博士でもあり、また死体解剖資格認定も持ち、当時、神経理学療法研究会(注:日本神経理学療法学会の前身)の代表でもあった吉尾雅春先生が副院長をされていました。わたしはその吉尾先生に病院見学の案内をしていただくという幸運に恵まれました。当時のわたしは吉尾先生が著名な方だとはまったく知らないまま、なんだかすごく話がわかりやすくて面白そうだなひとだな、いままで出会ったことのない凄みがある理学療法士だな、人間的な魅力のあるひとだなと感じ、魅了されていました。

養成校を卒業し、わたしが理学療法士として最初に入職したのは、その千里リハビリテーション病院でした。大阪での生活のはじまりです。この病院には、近畿圏はもちろん、東京や横浜などの関東圏、さらには四国、中国地方からもリハビリを希望するひとたちが集まってきていました。さらに、吉尾先生を慕う理学療法士たちがそれこそ北は北海道から南は沖縄まで全国各地から集結していました。患者さん中心に考えられたコンセプトやシステム、院内スタッフの熱量などどれも素晴らしく、この病院で働けることにとても感激しました。

活気あるその病院での業務は激務でしたが、自宅に帰る時間さえ惜しいと思うほど充実していました。夜は院内外の研修会、休日は全国で開催される学会や研修会にも参加し、機能解剖学や運動学、脳科学などリハビリテーションの医学を学ぶことに没頭しました。科学的根拠を大切にし、ときには常識を疑い、患者さん中心に物事を考えることがなによりも大切だという、現在のわたしの核になるコンセプトを身体で覚えることができた素晴らしい期間でした。

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仙台で臨床・研究・講師の日々
倒れたことをきっかけに山形へUターン

千里リハビリテーション病院を退職し、拠点を大阪から仙台へ移しました。理学療法士として臨床を続けつつ、身体のメカニズムへの好奇心から東北大学大学院医学系研究科へ進学しました。さらにまた、理学療法士養成校の講師として理学療法士の育成にも携わるようになりました。養成校で講師として授業し、病院で理学療法士として臨床に立ち、大学院で研究を行うという日々。日中は仕事し、夜は大学で研究し、朝方に帰宅してわずかの時間だけ寝て、また仕事に行くという生活スタイルでした。そんな日々を送るうち、気づけば体重は20kg以上増え、鏡に映ったじぶんの顔はまるで別人のようでした。やがて胸痛で倒れてしまい、「このままの生活では状態はどんどん悪くなる」と医師から忠告を受けたことが、生活を見直すきっかけになりました。

じぶんでは充実していると思いこんでいましたが、いつのまにか心も体も疲れきっていました。「患者さんを良くしたい」という一心ではじめたはずの仕事なのに、次第にどんどん苦しくなり、いつのまにかじぶんの知識欲のためだけの仕事になっていたのかもしれません。そんなときに、山形の理学療法士の方から「一緒に働かないか」と声をかけていただきました。尊敬する方からの嬉しいお誘いでした。じぶん中心だった仕事を見つめ直し、原点に戻って患者さんと向き合う仕事がしたい。そう思い、山形で働くことを決めました。

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家族と自然とともにある
山形での暮らし

ということで、山形の病院に勤務したのが2018年のことです。住まいは仙台のまま、山形通いをしばらくしました。暮らしの拠点を山形に移したのは2020年3月になってからです。長女の小学校への進学を契機に、家族で移住してきました。山形にUターンした当時はコロナウィルス流行中で、家族でいる時間が自然と増えました。それまで子どもたちと一緒に遊ぶ時間が少なかったので、罪滅ぼしみたいな感じで、公園や誰もいない学校の校庭などで泥まみれになって一緒に遊びました。

大阪時代、同い年の作業療法士の女性が「じぶんが元気でいたり、楽しく暮らしていなければ、患者さんを元気になんてできない。だから世界一周してくる!」と言い残してひとり世界一周の旅に出たのですが、いまになってその気持ちがすごくよくわかります。仕事と研究でじぶんのことが精一杯だったときは、周りに気を使えず、じぶんのパフォーマンスも健康状態も最悪でした。それが山形に引っ越してきて、家族で過ごしたり、子どもたちと遊んだり、山などの大自然のなかに身をおいて過ごすうちに、健康状態が改善され、他者への関わりかたも変わり、生きかたも前向きになり、すべてが好転しはじめました。家族や自然、山形のひとたちが与えてくれた心の余裕のおかげで、患者さんたちの声に耳を傾けることができ、結果的にSOUTOの立ち上げにもつながったのかもしれません。

いま、わたしたちのまわりには、新しい再生医療や薬の話題が多い一方で、古代から先人たちが現代にまで伝えてくれた「自然と共により良く生きる術」というものがあります。ながく受け継がれてきたその素晴らしい知恵は、最先端のテクノロジーによって科学的にも解明されてきています。医学の進歩はめざましく、身体における科学的な解明も加速的に進んでいます。最先端の知見や技術をこれからも学びつづけながら、故きをたずねて新しきを知ることも大切にしていきたいです。

一人ひとりに適したコンディショニングや情報発信などをこれからも丁寧に積み重ねて、「自分らしくより良く生きる」ためのサポートを、必要としている方に届けたいと思っています。

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<プロフィール>
鈴木 裕太郎(すずき・ゆうたろう)
1982年生まれ。理学療法士。東北大学大学院医学系研究科博士課程前期修了。山形の高校を卒業
後アメリカの大学に留学。大学を中退し帰国後、理学療法士の道へ。大阪、仙台の病院などで勤
務し、2018年から山形の病院で勤務。2020年に家族で山形へ移住し、2021年に整体・コンディ
ショニングスタジオSOUTOを立ち上げる。
SOUTOホームページ:https://souto-conditioning.studio.site/

 

Photo: 那須ミノル