【鹿児島県湧水町】誰もが違いを認め合う世界を、この場所から / 放課後等デイサービス Kids House陽のひかり 上野友加里さん
インタビュー
鹿児島県湧水町にて『放課後等デイサービスKids House陽のひかり』(以下:陽のひかり)を今年4月から運営されている上野友加里さん。そんな上野さんから『陽のひかり』を運営されるに至った背景や想いを伺いました。
色々な特性をもつ人が入り混じる世界
小学3年生から湧水町で生まれ育った上野さん。
高校は隣町まで通い、部活に夢中になる日々でした。
そんな中、イギリスへ短期留学する機会が巡ってきました。
短期間でしたが、そこで目にした光景が今でも忘れられないといいます。
「留学先で体調を悪くし、数日間入院してしまったことがありました。入院先の病院では車椅子の人が普通に働いていて、私に「寂しくないか?」と声をかけてくれたんです。」
「病室から外を覗くと、体に特性が有る無し関係なく、色々な人が楽しそうに過ごしている光景が広がっていて、心が温かくなりました。」
「留学先の学校でも特性があるかどうかでクラスを分けず、クラスメイトが友人の車椅子を押す姿がありました。イギリスでの時間を通して、誰でも分け隔てなく“個性や違いを認め合って助け合う”文化がとても素晴らしく映ったんです。」
高校卒業後は就職。そこでのハードなワークの末に体調を崩し、さらに片目を一時的に失明してしまい働くことができない状態が続きました。
その後、2年の闘病の後、少しずつ視力や体調も回復しました。今後の生き方について考え出した上野さんの背中を押してくれたのはお母さんの一声でした。
「赤ちゃんが好きだったので産婦人科で働こうと思いました。しかし、学力への不安や数年勉強をすることに抵抗もあって、専門学校へ通うかどうか迷っていたんです。」
「そんな時、母が「受ける前から結果なんてわからないから、まずは受けてみれば?」と言葉をかけてくれたんです。勇気を振り絞って受験し、合格することができました。」
その後、県内の看護学校へ入学。
仲間にも恵まれ1年が経過しました。
しかし、再び、そんな上野さんに再び病魔が襲うことになるのです。
行動する前から未来を決めつけない
病名は円錐角膜といい、主治医からは失明の可能性と「助産師の道は厳しいのでは?」と告げられてしまいました。
「闘病を乗り越えて、やっとここまでこれたのに…。もう、どうしようもない。頑張って勉強して資格をとっても、いつまで働けるか分からないのに頑張る意味があるのかな。」
「どこかへ逃げ出したい」気持ちでいっぱいになり
自暴自棄になってしまったといいます。
そんな上野さんの背中を押してくれたのは、またもやお母さんでした。
「母は看護学校を“辞める”のではなく“休学する”選択肢を提案してくれました。「病気が必ずしも悪化するわけではないし、先は誰にも分からない、未来を決めつけずに、前へ進んでみよう」と。」
「1年間休学し、その後、悩んだ末、復学することにしました。新しいクラスの仲間にも恵まれ、支えてもらいながら楽しい看護学校生活をおくることができました。実習では色々な患者さんにも出会い、看護学校や病気を通して、人に寄り添える看護の道っていいなと思いました。」
看護学校卒業後は、助産師になるために1年間熊本へ。
そこでも仲間に恵まれ、今のパートナーにも出逢い、無事に助産師の資格を得ることができました。
夢にまでみた助産師としての現場。
生命の誕生といった感動的な場面に立ち会える喜びがありました。
でも、その反面、のしかかる責任も大きく、現場の動きに自身の精神力が追いつかないこともあったそうです。
「常に頭の中で多くのことを考え、集中力を長い時間保ち続けないといけなかったので、大変な仕事でした。」
「それでも助産師の仕事はやりがいもあり、赤ちゃんが好きなことに変わりありませんでした。あの大変な時間を乗り越えてきたから、どんなに辛いことがあっても「まだやれる、頑張れる」と思えるようになりました。」
「生命が誕生する現場を目にするたびに、その先にある子供たちが持つ役割や才能を開花できるお手伝いをしたいと思うようになりました。その気持ちが『陽のひかり』の誕生に繋がっていると思います。」
それぞれの違いを認め合いながら
助産師として勤務後、子育てのこと等を考え、湧水町へ家族でUターンすることにしました。
「長男が翌年に小学校へ入学するのに、湧水町では学童や放課後等デイサービスの空きが無い状態でした。」
「ちょうど祖父母の家が空き家となっていて、施設として広さは十分だったので、この場所を活用して放課後等デイサービスを始めることにしました。」
「夫は隣町に研修生として別の施設で学び、私は施設の開所に必要な資格をとり、発達障害について学びました。少しずつ準備を進めてきましたが、それでも、私たちだけの力では1つ1つの壁ををクリアしていくには限界があったんです。」
特に問題だったのが空き家の改修。
上野さん夫妻は大工仕事の経験や建築の知識も無かったため
素人レベルで少しずつ手直ししていこうと考えていたといいます。
「たまたま採用面接で来てくれて、今働いてくれているスタッフが古民家改修に精通した大工さんを紹介してくれたんです。そこから、想像もしていなかったことが起きていくことになります。」
改修現場ではコミュニティ大工を筆頭に
様々な能力がある人たちが集まってきました。
ご飯を作れる人がいれば、音楽で雰囲気を和ます人
子供たちの面倒を看てくれる人、DIYが得意な人…。
町内外問わず、多くの人が足を運び
『陽のひかり』の空間を一緒に作っていきました。
「人が集まる前は不安の気持ちが大きかったです。「私たちにできるかな〜」って。改修が進むにつれて「きっと出来る!やるんだ!」という気持ちに変わっていきました。」
「集まってくれた皆さんはそれぞれの“できる”ことで他の人が“できない”部分をカバーしていってくれました。私が想い描いている理想の空間でした。」
「お互いが助け合い、違いを認め合って、感謝の気持ちを伝え合える空間って、高校時代にイギリスで目に映った光景そのものでした。」
「違いを認め合う点だと、親子同士でも同じようなことが言えることだと思います。どうしても親って、子供のことを自分の一部のように感じてしまう傾向にあると思うのですが、子供は親とは別の人格であり、相互尊重するべき関係だと思うんです。日本も早くそうなるといいですね。」
「これでいいんだ」と思える場所
『陽のひかり』は今年4月にオープンし、3ヶ月が経過しました。
子供たちの行動から、見守る側の大人も学ぶことが多いといいます。
「先日、ある子が近所のお家のバケツを壊してしまうことがあったんです。すると、壊していない周りの子たちが「一緒に謝りに行こう」と言いました。そして、みんなで一緒に謝りに行きました。“誰かのせい”にするのではなく“皆で一緒に”という姿は大人でも中々できないことだと思います。」
「学校にいると学年やクラスでどうしても区切られてしまいます。そうじゃなく、例えば、団地で近所のお兄ちゃん・お姉ちゃんと遊ぶような感覚で、年齢や性別等関係なく、自分らしく居られる場所って大切だと思うんです。そこで培った感覚は社会人として仕事する時や将来子育てする時にきっと力になるんだろうなって。」
「私は子供の頃にイジメに遭った時期があります。その時に「あなたは、それでいいんだよ」と言ってくれる人や私を受け止めてくれ、「ここにいていいよ」と言ってくれる場所があったらよかったなと大人になった今でも思っています。その経験が助産師になったことや『陽のひかり』の誕生にも繋がっているんです。」
学びは子供たちだけではなく、大人であるスタッフからも。
「リノベーションの作業の現場と同じように一人一人個性が違っていて、パズルのような感じがしてワクワクします。皆で1つのモノを創っているような。」
「誰かが“できない”ことを“できる”誰かが手助けしてくれる。こうやって社会ってできているんだよ。できないことがあってもいいんだよ。そんな風に大人も子供も、ありのままのその人を受け入れる場所になっていきたいと改めて感じました。」
「子供の頃に居心地が良かった幸せな記憶って、大人になって辛いことや困難なことが起こった時に乗り越える糧になると思うんです。だから、そんな記憶を紡げる場所であれたらと思ってます。」
「ありがたいことに地域の人たちとの関わりが増えてきています。子供たちとも接してもらい、それが日常になっていくことで、特性が有る無し関係なく、色々な人が入り混じった世界が少しでも広がっていってほしいと願っています。」
どんな状況でも
自分のことを認めてくれる誰かがいて
一緒に寄り添ってくれたら
それが力となり
少しずつ道が拓けていける。
上野さんの人生や
『陽のひかり』の居心地良い空間に触れることで
大人も子供も年齢・性別等、関係無く
気づかぬうちに自然とお互い助け合い、学び合っていることを再認識できました。
屋号 | 放課後等デイサービス Kids House陽のひかり |
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URL | |
住所 | 鹿児島県湧水町中津川819-3 |
備考 | 通所希望者を若干名募集しています。 施設見学もできますので、お気軽にご連絡ください。 利用可能範囲:霧島市、湧水町 電話番号:0995-75-2888 |