あなたにとっての「くすり」とは?/山形ビエンナーレ2022体験記「おくすりてちょう」をつくるワークショップ
イベントレポート
2022年9月3日から9月25日まで、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2022」が開催されました。山形市内のQ1や文翔館などを中心に、7つのプロジェクトに紐づいた、さまざまな展示プログラムが行われました。今回は、そのなかの「おくすりてちょうをつくる」というワークショップに参加してきましたので、その模様をリポートしてみたいと思います。
芸術祭そのものが治癒行為である
今年で5回目を迎える山形ビエンナーレ。前回は新型コロナウイルスの流行により、オンラインでの開催を余儀なくされましたが、今回はようやく人と人とが現場に集まることができるようになりました。2022年のテーマは「いのちの混沌を越え、いのちをつなぐ」。分断、分離、隔離といった言葉があふれるなか、芸術やデザインの力を借りて、あらゆる文脈で「つなぐ」ことに挑戦しようとする試みです。山形ビエンナーレ芸術監督の稲葉俊郎さんは、この芸術祭という場や形そのものが、世界の治癒行為になっていくだろうと話しています。
7つのプロジェクトのうちの一つ、「いのちの学校」のプログラムのなかで登場する稲葉俊郎さんと須長檀さんによる「おくすりてちょう」は、私たちがよく知っているあのお薬手帳とはちょっと違います。
薬というと、病気や傷を治すために飲んだり塗ったりするもので、痛い、辛い、苦しいといった症状を改善したりやわらげたりしてくれる治療薬が思い浮かびます。一方で、病気や怪我をしているわけではないけれど、なんだか元気が出なかったり、気持ちがふさぎ込んでしまったり、どうしようもなくイライラしたりしているときに、病院で処方される薬とは別に、自分を癒やしてくれるものもあります。
私たちにとっての「くすり」とは、どんなものがあるのでしょうか。このワークショップを通じて、あらためて考えてみたいと思います。
医療×アート×芸術が融合した
「屋根のない病院」プロジェクト
「お薬手帳はお持ちですか?」病院で処方箋をもらい、薬局に行くと必ずこう聞かれます。だれにでも馴染みがあるお薬手帳ですが、必要のないときはほとんど気に留めることがありません。無料でもらえるものではあるけれど、そこにありがたみを感じたり、気に入って使ったりしている人はそう多くないはず。ならば、このお薬手帳をもっと素敵なものにしてはどうだろう。この「おくすりてちょう」は、そんなふうにして生まれました。
稲葉俊郎さんが院長を務める長野県の軽井沢病院で、稲葉さん発案のもとに〈RATTA RATTAR(ラッタラッタル)〉クリエイティブディレクターの須長檀さんの協力から生まれたのが、「屋根のない病院(hospital without roof)」プロジェクト。「おくすりてちょう」は、医療・アート・芸術が融合し、文化や芸術、自然や生活と結び付いた取り組みの一環です。軽井沢という地域は避暑地として知られていますが、多くの人が癒やしを求めて訪れることから “屋根のない病院” ともいわれています。
須長さんが主宰するRATTA RATTARは、軽井沢にアトリエを構え、クリエイター(障がいのある方)とアトリエリスタ(支援員)がそれぞれの役割を担いながら創作活動を行うデザインブランド。今回のワークショップで使う木製のスタンプはすべてRATTA RATTARのオリジナル。会場にはクリエイターの方が制作した「おくすりてちょう」も展示されていました。
展示とワークショップは9月にオープンしたばかりの〈Q1〉で行われました。手順は次のとおり。
①台紙を5枚選び、それぞれに自分のサインを書く ②椅子に座って「おくすりてちょうのつくりかた」を読む ③好きなスタンプとアクリル絵の具の色を選ぶ ④スタンプに絵の具を乗せ、まずはテストの紙に試し押し。次に台紙に自由なイメージで押す ⑤木のスタンドに立てて乾かし、できあがったものから誰かのもとへ。使うときは、A4用紙を半分にしたものに「くすり」となるものを記していき、台紙に差し込み糸で綴じる。
作品が生まれては旅立っていく
循環する展示プログラム
照明を最小限にした空間のなかに、椅子と机のセットが4席。作業するときはここで、心の奥底の深い井戸に潜るようにして自分と向き合います。次に「山のかたち・いのちの形」をイメージして作られたスタンプと、絵の具を選び、手帳の台紙にイメージを転写。私がああでもないこうでもないと考えていると、隣の席の女の子は、迷うことなくスタンプを押してニッコリ。なるほど、大切なのは直感と楽しむ心。子どもは芸術の先生なのだと感じました。
私が参加したのはワークショップ初日である9月3日。少し時間が経ってから会場をのぞいてみると、たくさんの「おくすりてちょう」がずらりと並んでいました。参加した人は作品を持ち帰ることができるので、作品は生まれては減っていき、この展示には完成形というものが存在しません。さらに、自分の作品ではなく誰かの作品を持ち帰ることで、新しい循環が生まれるのだといいます。
「できあがったものを見ると、本当に素敵な作品が多いんですよね。皆さんじっくり向き合って作ってくださったんだなあと感じました。使い方や “おくすり”の概念は自由でいいと思うんです。だからここで作るのは台紙だけで、中には何も書かれていません。これを処方箋として使っても良いし、言葉を書き留めていくのも良いですしね」(須長さん)
薬と毒は紙一重。
「ことば」の重要性を考える
「僕としては、薬というものを病院や医者が独占していること自体に違和感があるんです。薬局で出されるものだけじゃなくて、もっと自由に考えていいんじゃないかと思っていて。たとえば本を読んだときに、僕はけっこう言葉を抜き書きをするんですけど、それって自分にとって薬になるものだから書いているんじゃないかと思うんです。言葉には現実を動かす力があります。良くも悪くも、言葉から影響を受けているのが人間だと思っているので。ただ言い方を変えると毒にもなるんですね。薬と毒っていうのは紙一重。だからこそ言葉には責任を持たなくちゃいけないし、すごく真剣に扱わなければなりません。それに、薬だって命を救うものもあれば命を絶つものもあります。この展示では、そういったことも考える機会になればうれしいです」(稲葉さん)
言葉は薬。使い方に注意しなければならないというのは、薬のパッケージ裏にある「用法・用量を守って正しくお使いください」と同じこと。もしかしたらSNS疲れなどというものは、言葉の過剰摂取ともいえるかもしれません。言葉にふれて心が病んでしまったら、それは正しい薬とはいえないのです。
この「おくすりてちょう」は、自分にとって力になる言葉を書き込める、ひとつのプラットフォームでもあるといいます。その時々で心に響いた言葉や支えになった言葉は、心に効く「くすり」となって、お守りのような存在になってくれるはず。自分にとっての「言葉のくすり」を、ここにたくさん集めていきたいと思います。
INFORMATION
やまがたビエンナーレ2022 「おくすりてちょう」をつくる ワークショップ
プログラム詳細はこちらhttps://biennale.tuad.ac.jp/program/629
PROFILE
稲葉俊郎
医師/山形ビエンナーレ芸術監督
1979年熊本生まれ。医師、医学博士、東京大学医学部付属病院循環器内科助教を経て、2020年現在、軽井沢病院副院長・総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東北芸術工科大学客員教授などを兼任(山形ビエンナーレ2020 芸術監督)。著書に『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ) 、『いのちは のちの いのちへ』(2020年)(アノニマ・スタジオ)、『ころころするからだ』(2018年、春秋社)、『からだとこころの健康学』(2019年、NHK出版)など。
https://www.toshiroinaba.com/
須長檀
デザイナー
1975年SWEDEN生まれ。王立KONSTFACK大学院卒業後、Sunaga Design Office設立。2008年Nordic Design Award、2009年SWEDEN版ELLE Design Award Year of Furniture受賞。 帰国後軽井沢にSUNAGA DESIGNを設立。 ダンスカンパニーNoismの美術等のデザイン担当。2016年RATTAR RATTARR クリエイティブディレクターに就任。2022年konstを設立。https://konst.jp/
写真:伊藤美香子
文:井上春香