再生可能エネルギーに取り組む! 株式会社 板垣水道 板垣一紀さん(前編)
インタビュー
まちの水道屋さんが、再生可能エネルギーに取り組んでいる。全国的にもかなり稀有なそんな事例が、山形県鶴岡市にあります。
株式会社板垣水道というその会社は、その名の通りまちの人々の暮らしに欠かすことのできない給排水まわりの設置工事などを生業としてきましたが、それだけにとどまらず、ガスや電気といった暮らしのエネルギーを供給する役割もまた担ってきました。そして現在ではさらに、薪やペレットなどの木質バイオマスを活用したボイラーやストーブの販売、設置やメンテナンスといった事業までをも展開し、さらにその先に、地域の未来のために必要な新たな事業へのチャレンジも模索しています。
というわけで、「山形の自然からエネルギーをつくる、山形のひと」を紹介していくこのシリーズ。(事業主体がどこかの見知らぬ大手資本ではなく、地域のひとであるということがこのシリーズの大きなポイントのひとつとなっています)こんかいは、同社代表の板垣一紀さんにお話を伺います。聞き手は、やまがた自然エネルギーネットワーク代表で東北芸術工科大学教授の三浦秀一さんです。
井戸から水道管へ、
ガス管へ、給湯暖房器具へ
板垣:創業は昭和29年。事業を起こしたのは祖父で、わたしは3代目です。まだ水道のない時代には井戸掘りをしていたそうで、その頃のまちの人たちは井戸水を汲み上げて生活していました。かつて祖父は冬のあいだ出稼ぎに出ていたそうですが、出稼ぎ先で水道の配管工事の経験を積んだことから、水道の仕事をはじめました。その頃から、このあたりの地域でも簡易水道が広がっていきました。
そうして各家庭に水道が普及していき、昭和40年ごろになるとこんどは都市ガスが普及しはじめます。当時は水道管もガス管もおなじパイプを使用したということもあり、先行する水道管で事業をしていたわたしたちの会社は、水道屋でありながらガス屋でもあるという事業形態に変化していきました。そんな流れで、ガス湯沸器の設置やガスストーブの設置などもやるようになっていったわけです。
このような背景から、さらにはガスだけでなく、石油の給湯器も扱うようになり、つぎはエコキュートなどの電気給湯器なども扱うようになり、お湯に携わるすべての熱源をなんでもやる水道屋、というように変化していったのです。
東日本大震災によって
安全をあらためて見つめ直す
三浦:水道屋でありながらガス屋、石油屋、電気屋でもある、というのがすでに面白いですね。そこからどういった経緯で、こんどは再生可能エネルギーに取り組むことになったのでしょう?
板垣:いま振り返ってみますと、わたしたちが再生可能エネルギーに取り組むようになったのは、3つの偶然が重なったからです。
ひとつは、2011年の東日本大震災です。前述の通り、わたしたちはガス給湯器や石油給湯器や電気給湯器など、あらゆるエネルギーを利用した給湯に関わってきましたが、それらは絶対安全なものだとずっと信じていました。しかし震災があり、福島原発事故が起きて、その安全神話というものに対する違和感や不信感が生まれました。そして「本当に安全なエネルギーを供給したい」という想いを強くしました。
ふたつめは、震災後まもない時期に参加した「エネルギーシフト勉強会」という機会のなかで、ヨーロッパの事例を学んだことです。そこで知ったのは「木質バイオマスを燃やして熱エネルギーに換える」という技術です。CO2排出も抑えられ、温暖化対策にもなりますし、「これなら自分の仕事として携わることもできる」と思いました。というのも、薪ボイラーというのは「熱と水」というふたつの要素を高い次元でバランスさせることが非常に重要ですが、薪にチャレンジすることさえできれば、水道屋であるわたしたちにもやれる可能性があると感じたのです。
みっつめは、平成の大合併によってそれまでわたしたちが暮らしていたまちが鶴岡市という大きな行政区に合併されたことによって、じぶんたちが暮らすこの地域は豊かな森林資源に恵まれているのだ、という事実に気づくことができたことです。地域に与えられたこの豊かな資源を活かしながら、未来にとって有益な事業をやる道を探りたい、と思いました。
木質バイオマスを熱に換える
欧州の先進的な技術を手本に
板垣:2012年、ヨーロッパの先進事例を実際に見るため、おなじ志をもった仲間たちとオーストリアへ研修の旅にでましたが、わたしはそこで大きなショックを受けました。というのも、それまで日本のエネルギー技術は世界の先端だと勝手に思い込んでいましたが、その認識はまったくの誤りであると気づかされたからです。むしろ、世界は遥か先を行っていて、日本はガラパゴス化しているようにさえ感じました。
木質バイオマスを燃やして熱に換えるというオーストリアの技術力も考え方も非常に優れたものでした。追いつこうにも不可能なほど、日本との間には高い壁があると感じました。たとえば「瞬間湯沸かし器」という給湯器に代表されるように、日本の場合は熱を瞬間的につくって瞬間的に使うのが常識ですが、木を燃やすことから発想する場合、木は瞬間的に燃えるようなものではなく時間をかけて燃える燃料ですから、その性質を上手に利用するような考え方が大切になってくるわけです。オーストリアで感心したのは、そうした思想に裏付けされた「蓄熱」の仕組みであり、エネルギーを溜めておく「バッファータンク」の技術であり、そうした知恵や経験値の奥深さでした。
それらに触れたことによって、わたしは「できることならすぐにでも真似したい」という想いで日本に帰国しました。しかしまた、国としての方針や法律や背景がまったくちがうという状況の違いもひしひしと感じていました。いつかは日本にも木質バイオマスボイラーの時代がやってくるはずで、その到来まで待ったほうがいいのではないか、とも悩みました。それでもやっぱり、いや、いまはじめよう、と思ったのは、東日本大震災のあとに芽生えた「じぶんではない誰かのためになることをなにかやりたい」という気持ちが強かったからです。いまできるなにかをはじめなければならない、と思いました。
株式会社板垣水道
https://kaiteki-koubou.com/
やまがた自然エネルギーネットワーク
https://yamaene.net/
real local Yamagata 「再生可能エネルギーに取り組む!」シリーズ
photo:根岸功
text:那須ミノル