【鹿児島県日置市】まちの未来を想う一つ一つの灯が、人の心を動かす -後編- / 動く永吉 鶴田修市 さん
インタビュー
前編では初期メンバーや代表の大寺聡さんを中心に『動く永吉』についてお話を伺ってきました。後編では若手メンバーでもあり、農家の鶴田修市さんに活動を通して感じたこと等についてお話を伺いました。
どんなことがあっても、生き抜ける地域であれたら
鶴田さんは高校時代まで、お母様のご実家がある永吉に来ては
おじい様の田植えや稲刈りのお手伝いをされていたそうです。
子どもながら、動物や虫、そして、田園がある風景に少しずつ心魅かれていったといいます。
大学では農学部で森林生態学を専攻。
将来の道を模索する中、頭に浮かんだのは有機農業でした。
「昔から好きだった永吉の田園風景を守っていきたい。目の前の自然を守ることが地球環境全体を守ることに繋がるのではないか。そう思った時、手段として有機農業が出てきたんです。」
「それで大学卒業後は、北海道と霧島の農業法人で修行を積み、2015年に永吉へ移住することになります。移住後、有機農家として就農しました。」
「屋号は“つるさね農園”と名づけました。“つる”は僕の苗字から、“さね”は鹿児島弁で種を意味しています。」
「就農前にお世話になった自家採種している農家さんたちの考え方や生き様が素晴らしいと感じました。そこで、僕も種からこだわる農家になりたいと思ったんです。」
鶴田さんが農家になろうと思った大きなきっかけがもう一つあります。
それは2011年に起きた東日本大震災でした。
“これからも大きな災害は起きていくかもしれない。そんなことが起きた時に、生き抜ける自分でもありたいし、生き抜ける地域をつくっていきたい。”
そんな想いが沸々と湧いてくる中で
辿り着いたものが自分たちが栽培したお米や野菜を食べる“人”であったり
その人たちが住む“地域”でした。
「農家は野菜を食べてくださる人がいないと成り立たないですし、その人たちが住む地域が暮らしやすくないと、人口は減ってしまい、さらに大変になってしまいます。」
「それだったら、僕らが住む永吉や日置市の人口が増えればいいのではないか。住みたいと思えるようなきっかけをつくればいいのではないか。そう思ったのが、今の永吉での活動のきっかけになります。」
消防団や地域活動、アサカツ等を通して、地域の顔見知りや仲間も増え、動く永吉の活動にも関わることになります。
自分たちの役割を、一つ一つ着実に
2020年夏から『夜市』を開催。
当時、新型コロナウイルスの蔓延により、
イベントの開催が厳しい世の中の雰囲気もありました。
しかし、以前から夜市を定期開催する考えであったこと。
「永吉には夜にオープンしているお店が一つのない状態でした。夜になると、本当に暗くて、街灯しかない状態だったんです。」
「そんな商店街に明かりが灯る場所が一つでもあれば、まちの風景が少しでも変わるかもしれない。そう思ったのも、夜市を始めたきっかけの一つでした。」
第1回目から毎月第4土曜日に定期開催(※)。
少しずつ口コミベースでお客さんが増えてきているそうです。
「まだ地域で夜市のことを知らない方もいらっしゃいます。最近は回覧板にお知らせを入れるようにしたりして、周知しています。」
「無理はしないと決めています。やれるときにやれるだけのことをやる。そうじゃないと続きませんし、僕ら自身が楽しむことができないと思うんです。」
(※)2023年4月までは世の中の状況を鑑みながら、開催の可否を判断。
夜市を通して印象的な光景があったそうです。
「近所のお父さんたちが購入した飲み物を“乾杯!”と言いながら楽しそうに飲んでいる光景でした。純粋にそれが嬉しかったですし、そういうシーンがある場にしたかったので、開催してよかったなと思いました。」
「今、永吉にいる子どもたちや外で暮らしている永吉出身の方たちにとって“帰ってきたい”“ここなら、良い人生を過ごせる”と思ってもらえるようなまちを、自分たちがつくっておかないといけない。それが僕たちの役割なんだなと思うようになりました。」
「僕らが活動していることって、結果が出てくるのは2~3年後ではなく、10年後・20年後先の未来だと思います。そこまで続けられるかわかりませんが、とにかく今は一つ一つを着実にきちんとこなしていくことが大事だと感じています。」
朝市もカタチにしたいことの一つなのだとか。
まずは小さく始めて、少しずつ自然に出店者やお客さんが増えていける仕組みを模索中だそうです。
有機的な繋がりが生み出す、まちの景色
活動を通して、自身の中で変化してきたことについて教えてくださいました。
「暮らし始めた時に比べて、永吉のことをさらに意識するようになりました。地元のお店に自分たちの野菜を使っていただいたり、永吉銀座食堂で購入したおかずを一人暮らしの老人の方の家へお裾分けに行ったり。」
「それがツールとしてコミュニケーションがとれますし、何より顔を出すことによって喜んでもらえます。先日、ある老人の方の家に冷やしうどんを持って行ったら“今日はあんたが来ると思っていたよ”と言われて、逆にたこ焼きをご馳走になって(笑)。」
「僕は有機農業をしていますが“やっていることだけが有機的であっていいのか?”と考えるようになりました。活動や日常の関わりを通して、有機的な繋がりをどんどん強く、濃くしていきたいです。」
「地域で僕のことを嫌いな人もいるけど、そうでない人もいます。それでもきっと、それが大きな災害が起きた時に、役に立つはずです。“あ、そういえば、鶴田って奴が消防団に入っていたよな”だったり。ふと思い出せるだけで、僕自身や地域の誰かの命を救うことになれたら嬉しいです。」
インタビュー後、子ども時代のことを改めて、お話してくださいました。
「地域の人から“あんたの爺さんが生きていた頃はすごく良いまちだったんだよ”と言われるんです。僕は高校時代まで年に数回永吉に来ていましたが、実際に住んでいなかったので、それがイメージできてません。」
「どんなまちだったのか。どんな人がいて、どんなことがあったのか。それがわからなくても、穏やかな祖父を思い出すと“きっといいまちだったんだろうな”と思うんです。」
「だから、僕たちもそういうまちにしていきたい。実際には何十年前の見たことのないまちの景色ですが、祖父たち世代の背中を見ている感覚があります。」
「まだまだ地域の先輩たちに引っ張ってもらってばかりですが、“永吉って良い場所だよね”と思ってもらえるようなまちの風景を目指して、これからも地道に活動していこうと思います。」
(終わり)
(前編はこちら)
屋号 | 動く永吉(なかよし永吉) |
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URL | |
住所 | 鹿児島県日置市吹上町永吉14191-4 |
備考 | ●永吉銀座 ●アサカツ ●永吉銀座食堂 ●夜市 |