山形納豆物語 第四話
連載
山形の人は、納豆が好きだ。
愛知へ嫁にきて20年、山形を離れて初めて気づいたことだった。
まずはスーパーの納豆コーナーをみてほしい。その広さ、中小メーカーがひしめく多様なラインナップ。みんなお気に入りの納豆で、納豆もちを食べ、ひっぱりうどんをすすっているに違いない。そんな山形の、納豆にまつわる思い出や家族のことをつづっていきたい。
第四回目は、「納豆レシピ」について。
納豆を一度に3パック食べてしまう私の母は、納豆以外にも昔から好きなことがある。
それは「発明」である。
小さい頃から生活の中にあるちょっとした困りごとにアイデアを巡らしていた母は、小学生の時に、マヨネーズの空容器を爪切りに装着し、爪を切っても散らからない爪切りを作った。カバー付き爪切りの原型である。
「今はもう爪切りにカバーがついているのは当たり前だけどね。お母さんは、そのアイデアをもう何十年も前に考えついてたんだよ。お母さんが特許とってれば、今頃どうなっていたのかねぇ」などと、晩ごはんの時にちょっと悔しそうに、ちょっと自慢げに話していたのを覚えている。
私が小学生のころは、七段飾りのお雛様をひと箱に収納することができ、楽に飾ったりしまったりできる、名付けて「おひな箱」の発明に取り組んでおり、お菓子の空き箱を使って試作品を作ったりしていた。先日判明したのだが、母はこれで特許をとっていた。あの試行錯誤はまじだったのだという驚きと、こんなビッグニュースを今まで完全に聞き流していた自分に驚きである。
そんな母の発明心と納豆好きを両方くすぐる企画が過去にあった。
それは「納豆レシピコンテスト」である。
ある日の晩ごはんに春巻きが出たことで、母がコンテストに張りきって取り組んでいることがわかった。その春巻きは「納豆春巻き」だった。
これはその名の通り、春巻きの皮で納豆を巻いて揚げる、というとてもシンプルな一品で、ちょっと細めに巻いてあるところが唯一のポイントになっている。
にこにこで山盛りの納豆春巻きを食卓に並べた母は、
「美味しいでしょ」
「お母さん、天才だね」
「いやー美味しいね、これは入賞しちゃうよね!」
と大絶賛しながら、ポリポリ春巻きを食べていた。
納豆好き故に、納豆そのものを味わうことが好きで、その結果ほぼ納豆じゃんというレシピにたどり着いた母。小学生の私たち姉妹は、完全に母の盛り上がりにのまれ
「これは大発明の食べ物だ」
「お母さんってすごい」
と思って納豆が巻かれただけの春巻きを食べ、酒飲みの父は酒が飲めればなんでもよいので「うまいな」と言って食べていた。
それから納豆春巻きは、頻繁に食卓に上るようになったのだが、落選とともに母の中で色あせ、いつの間にか姿を消した。
納豆レシピといえば、私が1人暮らしをしていた大学生のころに発明したものもある。
お腹は減ったがご飯がなく、炊くのも面倒くさく、食べに行くのも買いに行くのも面倒くさかったある日。家に納豆と食パンがあった。
これでいいやと、試しに、納豆に醤油をかけ、食パンにのせてむしゃむしゃ食べてみたら、美味しかった。美味しかったので、食パン1枚じゃすまなかった。
この「納豆パン」のことを何の気なしに母に話すと、納豆好きの彼女は早速試してみて、美味しかったと電話をかけてきた。先日母と電話をしている時も、「そういえば、パンに納豆があうって教えてもらったわよね。ほんとだ、おいしい!って、お母さんびっくりしたわよ。あら〜、いいこと教えてもらったって思ったよね」と再び褒められた。
もう25年以上経つのに、納豆パンのことをまだ覚えているなんて嬉しい限りである。大発明をした気分である。
しかし、ふと我に返ると、これはレシピというよりも、ただ納豆をパンにのせて食べただけであり、納豆そのものが好きな母とその母に育てられた私だからこそ盛り上がれる一品なのであろう。これも、もちろん納豆レシピコンテスト即落選の代物である。
そして、それを裏付けるように、結婚して20年になる私の夫は、納豆パンを食べる私を珍しそうな目でただ見つめるのみで、一度も試そうとしたことはない。