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山形納豆物語 第七話

連載

2024.10.21

山形の人は、納豆が好きだ。
愛知へ嫁にきて20年、山形を離れて初めて気づいたことだった。

まずはスーパーの納豆コーナーをみてほしい。その広さ、中小メーカーがひしめく多様なラインナップ。みんなお気に入りの納豆で、納豆もちを食べ、ひっぱりうどんをすすっているに違いない。そんな山形の、納豆にまつわる思い出や家族のことをつづっていきたい。

第七回目は、「納豆ご飯は凄い」について。

山形納豆物語 第七話

お腹が減って、体がざわざわする。とにかく何かお腹におさめたい。
久しぶりにそんな感覚になった夕方5時。末っ子を保育園にお迎えに行き、台所でうろうろする。晩ごはんを作ればいいのだが、もうそれまで自分のお腹が待てない。

そんな時に皆さんだったら何を食べますか。
色んな選択肢がある中で、私は納豆ご飯を食べることが圧倒的に多い。ご飯がない時は、一度に納豆を3パック食べてしまう私の母にならって、パックから直接ずずずっとすする。
納豆ご飯は、本当に簡単に食べられるところが良い。プラスチックの蓋をあけ、ぐるぐる混ぜてご飯にのせるだけ。もちろん美味しいし、罪悪感もない。そこがまた良い。むしろ、まぁこれで晩ごはんを終わりにしてもいっか、と軽く振り切れる存在であるのも頼もしい。お菓子やパンでは、こうはいかない。

私が中学生の頃、ただでさえすぐお腹が減る年頃である上に、その日は部活が長引いたのか、学校行事の準備があったのか、帰りが遅くなってしまった。お腹が減りすぎて、手が震えている。体が「なんかくれーーーー!糖分がないぞーーーー!」と訴えているのがわかる。とにかく早く家に帰って何か食べたい!その一心で通学路を急ぎ、玄関に着いてもほっとすることなく、ダッシュで茶の間に突入し母に爆発した。
「お母さん!お腹が減ってもう駄目だよーーー。手が震えてるよーーーー」半泣きである。こんな時、母がさっと出してくれたのが、味噌をぬっただけのまん丸の大きなおにぎりか納豆ご飯で、その日は大盛の納豆ご飯だった。

その光景が今でも忘れられない。ほかほかの山盛りご飯に醤油でとろっとした納豆がのせられたお茶碗。そのお茶碗を前に、私は自然とよだれをだらだら垂らしていた。驚きだった。どらえもんがどら焼きを目の前によだれがとまらない漫画の一コマがあるが、あくまで漫画の表現でしかないと思っていた。本当に自分の意識がないところで体が反応することってあるんだ!という衝撃を教えてくれたのも納豆ご飯である。

昔から私の小腹を満たしてきた身近で大切な存在である納豆ご飯だが、時々イラっとさせられることもある。

夕暮れ時、あー今日の晩ご飯は何にしようかなぁとぼんやり考え始める。思いつかないときは、山形の母に電話して「今日何食べる?」と話しついでに聞いたりすることもある。そうやって絞り出し、ぐずる末っ子をなだめすかしながら何とか作った晩ごはんの時に限って、上の子どもたちの反応が悪い。各々学校から帰宅し「お腹減った~。晩ごはん何~」と言いながら、おやつを食べ、食卓を一瞥する子どもたち。その視線で、一瞬にして、今日のおかずはいまいちと判断したことが伝わってくる。そして彼らは、静かに納豆とキムチを冷蔵庫から取り出し、もりもり食べ始めるのだ。
「おかず!おかずも食べて!せっかく作ったんだから」という半ば押しつけに近い私の声は完全にスルーされ、こちらも負けじと小鉢におかずを取り分け配り始める。配りながら「納豆め~」と思う。納豆ご飯が美味しくて思わずお替りする子どもたちの姿に「ちくしょーーー」と思う。納豆ご飯に完敗である。

山形に帰れば、台所の隅で立ったまま、パックから直接納豆をすすっている母がいる。おやつのような感覚でぞぞぞっとほおばりながら「ちょっと食べたくなっちゃって~」とはにかむ母に、私のルーツを感じるのであった。

山形納豆物語 第七話