山形納豆物語 第十二話(最終回)
連載
山形の人は、納豆が好きだ。
愛知へ嫁にきて20年、山形を離れて初めて気づいたことだった。
まずはスーパーの納豆コーナーをみてほしい。その広さ、中小メーカーがひしめく多様なラインナップ。みんなお気に入りの納豆で、納豆もちを食べ、ひっぱりうどんをすすっているに違いない。そんな山形の、納豆にまつわる思い出や家族のことをつづっていきたい。
第十二回目は、「いっぱいの愛」について。
山形納豆物語は今回で最終回となる。
この連載を通じて、納豆好きの母と話す機会がぐっと増えた。
納豆の食べ方、YouTubeで仕入れた情報、今日は何パック食べた等を報告してくれる中で、「あれは本当に美味しかったなぁ」と何度か話してくれたのは、小学生の頃の思い出だ。
「おばあちゃんって、豪快な人だったじゃない?
普通だったらね、納豆って、家族で一つを、醤油でのばしたりして食べてたと思うのよ。昔のって大きかったから。木の薄い紙みたいなのに包まれていて、一つに今の納豆4パック分くらい入ってたんじゃないかな。
それをうちのおばあちゃんは、3つも4つも開けて、いっぱいいっぱい、大きいどんぶりに入れてね。青菜(せいさい)漬けの葉っぱのところを刻んだのも入れて、どんって食卓の真ん中に出してくれてさ。
それは、それは、美味しくて、もうそれだけしかいらないの」
ちょっと得意げに、うっとりと話す母の声から、私も情景が浮かんでくる。
雪が深々と降る山形の冬。家族5人で掘りごたつを囲んで、ほっぺをまっかにした母は、どんぶりの大盛青菜納豆に目を輝かせて、もりもり、わしわし、食べていたんだろうな。
その一方で、家族5人とはいえ、現在の納豆でいえば、12~16パックをいっぺんに食べていた事実に若干ひるむ。さすが「一度に3パック食べてしまう」母が誕生した家である。
「あとね、ほら、納豆ごはんをいっぱいほおばると、喉につまることあるじゃない?ごくってしたら、もう、うーっぷっぷっぷってなって、それを、うんってのんだときのあの美味しさ!そういうのもあったわねぇ~」
コロッケではわかるけど、納豆ご飯でもなる?と笑いつつ、相当ぱんぱんに頬張っていたことが想像できる。納豆でこんなにも喜んで、一生懸命に食べていた子どもの頃の母が、可愛らしくて仕方なく思えてくる。
「それと、お正月の納豆餅も!それぞれの家で納豆餅って色々だけどね。醤油をたくさん入れてしゃびしゃびにするとこもあれば、砂糖をいれるとこもあるし。おばあちゃんはね、納豆餅にも、いっぱいいっぱい納豆を入れてくれて、それはおいしかったんだよね」
いっぱい、いっぱい。そう話す母の声は、やっぱりちょっと得意げで、幸せそうだ。
母の思い出には、祖母がくれた“いっぱい”がたくさん詰まっている。
“いっぱい”の祖母の豪快さは「育った環境が違ったから」と母は言う。
1928年生まれの祖母は、お付きの爺やがいる裕福な家庭で育ち、10人兄弟の末っ子として、みんなにむちゃくちゃ可愛がられ、甘やかされた。そんな環境で成長した少女は、大雨で川が溢れそうなときに泳ぎに行ってしまう向こう見ずなところや、駄菓子屋に行ってつけでお菓子を買っては、みんなにあげる面倒見の良い親分気質を持ち合わせていた。
19歳の時、戦後の混乱から何故かご縁が繋がって、山形でも雪深い、田舎町の、農家の長男のところへ、嫁にくることになる。
家のこともしたことがなければ、土なんてもちろん触ったこともない。そんな祖母が、嫁として、妻として、母として生活していくには、計り知れない苦労がたくさんあったに違いない。けれど、そんな中でも、裕福にたっぷり甘やかされ、自由に育った祖母の根っこは、少女のころのまま変わらなかった。
困っている人がいると、家計を顧みることなく、お米や物をあげて面倒を見る。そうかと思えば、お金が入ったからと何も考えずに、自分の鞄を買ってしまう。そもそも、家計のことなど計算できる人ではないし、する気もないのだ。
食べ物も、「おばあちゃんがそういう人だったから、貧しかったという意識や感覚が一切ないの」と母が言うように、決して豊かではない環境の中で、子どもたちに、好きなだけ、もりもり食べさせた。それは、幸せな記憶として母の中にずっと残っているし、母も同じように、いっぱいいっぱい、私たち姉妹にご飯を作ってくれた。
クリスマスのごちそうに並んだ2段重ねの納豆巻き、恥ずかしかった豪華三段弁当、コロッケが丸ごとはいったおにぎり、私たちの記憶には、山盛りのご飯がちりばめられていて、思い出す度にくすっとあったかくなる。思わず自分の子どもたちに語りだす私の顔は、案の定得意げになっていることだろう。そして、自分も高校一年生の息子に、蓋が閉まらない大盛り弁当を作っている。
“いっぱい”は、私たち家族にながれている愛情表現なんだ。母の納豆の思い出を聞いて、そう思った。
「いっぱいやりたいと思ってるんだけどね。もう年とってきちゃって、できなくなっちゃってさ~」
母が、やれやれといった感じで笑っている。
私だって、もう50歳目前の娘なんだよ。それなのに、まだまだやってくれようとして、本当にありがとうしかない。気持ちだけで十分だから、母には、いつまでも納豆を食べて元気でいてほしい。「納豆そのものを味わうには、やっぱり塩が一番ね!」と一度に3パックをすすりながら。