めがねを売る、まちの歴史資料館
〈メガネハチヤ〉蜂屋孝司さん
3月25日、写真の技術を学びながら、まちについて学ぶ「ローカルラーニングツアー in 山形」が開催され、七日町の老舗眼鏡店〈メガネハチヤ〉の店主・蜂屋孝司さんのもとを訪ねました。
蜂屋さんは、眼鏡店を営みながら、ライフワークとして、新聞の切り抜きや写真など、七日町周辺の歴史をまとめたスクラップブックを作成しています。その数は何十冊にもおよび、お店の棚の中には資料やファイルがところせましと並びます。
蜂屋さんはご自身が生まれる前のことでも、正確な年号まで詳細にまちの歴史を説明してくださる、まさに七日町の歴史の“生き証人”のような方です。
まずは、七日町の繁栄のシンボルだった映画館について、お話をうかがいました。
シネマ通りは、かつて通りに6つも映画館があったことからその名が付けられ、シネマ通りを代表する映画館が「シネマ旭」でした。
大正6年に、芝居小屋「旭座」として創業。昭和30年には東北で有数の大型映画館として、県内の民間事業では初となるコンクリート製のビル「シネマ旭」が建てられました。
シネマ通りは旭座を中心に発展してきた商店街であり、旭座はこのまちのシンボルでした。
蜂屋さんは当時のことをこんなふうに振り返ります。
「明治42年の大火で七日町はすべて焼けてしまいました。
でも山形の市民は火災に打ちひしがれることなく、新しい山形をつくっていこうと立ち上がり、映画館と料亭と飲食店街が次々とできていきました。
旭座はわたしが中学三年生の頃に建てられました。新しくできる映画館への期待を胸に膨らませながら、受験勉強をしていたことを覚えています」
山形のNHKが開局したのは昭和34年くらい。そこから各家庭にテレビが普及するまでは映画が全盛で、山形市の中心街には16もの映画館と6つのデパートがありました。
平成に入って郊外型のシネマコンプレックスが主流となり、お客さんが減少していきます。2007年に多くのファンに惜しまれながら「シネマ旭」は閉館し、老朽化のため、4年前に解体されました。
七日町から映画館がすべて消えてしまったのは、いまでも不思議な気持ちだと、蜂屋さんは話します。
続いて、昭和の七日町の日常光景をうつした写真の数々を見せていただきました。
当時カメラは高価なもので、一般市民にとっては縁遠いものでした。さらに、その時代を生きる人にとって、まちの日常風景はあまりに当たり前のものであり、積極的に写真に残そうとしませんでした。
つまり、スクラップブックにある当時の写真はとても貴重なもの。「写真一枚で原稿用紙10枚以上を物語ります」と、蜂屋さんは愛おしそうに、ページをめくっていきます。
ところで、蜂屋さんはなぜこのようなスクラップブックをつくろうと思ったのでしょうか。
きっかけは、2000年につくった商店街の記録集にあるといいます。
「わたしが還暦をむかえた当時、なにかまちに貢献がしたくて商店街の記録集をつくることにしました。
原稿をつくるため、旭座さんに『旭座の歴史がわかる資料をください』と相談したところ、『ない』といわれたのです。そこで、初めてまちの記録が残っていないことを知りました。誰かが記録に残さないといけないと思い立ち、まちの情報を集め始めました」
蜂屋さんは、山形南高校、山形大学と進学し、それぞれ新聞部に所属していたそうです。何冊にもわたるスクラップブックや記録集のすべては、蜂屋さんの編集力による賜物です。
だけど、これだけたくさんの資料を集めるのは簡単なことではないはず。どのようにして、長年この活動を続けているのでしょうか。
「わたしはカメラを持っていませんし、定休日がないお店なので、365日このカウンターにいます。集めに歩いたわけではないし、持って来てとお願いもしていません。
わたしが資料を集めていると聞いて、まちのみなさんが自主的に持って来てくれた集積なんです」
蜂屋さんは、このまちをつくってきたのは「意思のあるまちの人だ」と断言します。
明治42年の大火の後、大正2年に料亭の〈千歳館〉の先々代のご主人さんが、紅花通り商店街に飲食店街をつくると、女中さんたちに小さな店を持たせました。そうしてできたのが「花小路」だそうです。
「七日町には夢を持つ素晴らしい市民がたくさんいました。民間が先導して動いたことで、七日町をこれだけ発展させることができたんだと思います。
だけど、あんなにいい時代を知っているからこそ、このまちのこれからの未来が心配でもありますね」
七日町の将来について、懸念する場面もありました。
「なぜ、映画館のない通りを『シネマ通り』というのだろう」
「あの建物にある、チグハグな看板の意味はなんだろう」
蜂屋さんにお話をうかがうなかで、日頃から疑問に思っていたことがすっと解かれる瞬間がありました。以前より、まちを見る解像度が少しだけ高くなった気がしました。
街角の小さな眼鏡屋さんに保管されてきた七日町の歴史。
最新のスクラップブックには、ローカルラーニングツアーのチラシが挟まれていました。
「まちのことなら、いつでも聞きに来てくださいね」と蜂屋さん。
カウンターの奥では、今日も鳩時計がカチカチと時を刻んでいます。