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中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5

2018.12.14

2018年、東北芸術工科大学では全国で展開されているアートフェスのディレクターとともにフェスの魅力と可能性を探る「ぼくらのアートフェス」というトークシリーズを開催。今回は、シリーズ第5回の模様(後編)をお伝えします。

前編はこちら

中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5
左より東北芸術工科大学中山ダイスケ学長、KYOTOGRAPHIE共同ディレクター仲西祐介氏

 

中山ダイスケ(D):さきほどから仲西さんは「ぼくら」とおっしゃいますけど、KYOTOGRAPHIEはどういうグループでつくっているんでしょう?

仲西祐介(Y):ぼくとルシール・レイボーズというフランス人の写真家のふたりがディレクターです。かなりフラットに、なるべくスタッフの意見は吸収してやるようにはしているんですけど、最終的なディレクションや決定はすべてぼくらがやります。

D:写真家であるルシールさんが、世界中の写真家から寄せられてくる作品のセレクションをするのでしょうか?

Y:そうですね、だいたいは一緒にやるんですけど、分担としてはルシールがプログラム、ぼくが展示会場や展示方法を担当する、ということが多いですかね。

中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5

D:仲西さんは以前、テレビというメディアや照明の仕事をされてきました。そうした前職の経験というのはKYOTOGRAPHIEに活かされていますか。

Y:ぼくは若い頃から本当にいろんなことをやってきました。同じ職業を長く続けたことはなくて、違うなって思ったらすぐやめてまた別の違うことをして、自分の感覚だけを信じて生きてきたんですね。何も考えずにそうしてきたんですけど、それがたぶん全部、今に活かされている気がします。

D:なるほど。KYOTOGRAPHIEを見ていると、すごく、ふつうの道を歩んできたひとには発想できない、仲西さんのような生き方をしてきた人にしか発想できない展覧会だなって感じがします。

Y:なんというか、知らない街に旅に出て、知らない街で知らない人と友達になって…という感覚というか。京都もぼくにとっては知らない街だったんですけど、そういうまったく知らない街で自分のやりたいことをやる、その交渉の仕方というのは、旅から学んだような気がします。

D:相手がどの国の人かということも関係なく、ね。

中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5

Y:そうですね。日本はずっと、経済もアートも、日本でウケることしか考えずにモノをつくってきたけど、やっぱり今の時代は世界で通用するものをつくらないといけない。だから、世界のマーケットを知った上で取り組むべきだし、KYOTOGRAPHIEも「国際」という名前をつけた写真祭にしたわけです。このイベントのためにわざわざ海外から人が来て、こっちからもアーティストを海外に出してっていう交換がちゃんとできるようなフェスティバルにしないといけないと思ったんです。

ぼくらはスタッフも多国籍で、ミーティングも英語です。ぼくは全然英語が得意じゃないけど、ダメでもなんとかするというコミュニケーション能力を培っていく。それに外国人が何を面白がるかを知らないと、国際的なモノはつくれないんです。そういうやり方でずっとやってきました。

D:そういえば、KYOTOGRAPHIEで京都に行くと、毎回、海外のアートフェスに行っているような気分になりますね。京都という街が日本人にとっても海外都市みたいなところ、ありますよね。

Y:そう。京都の人たちにとってはもはや普通で全然面白くないことでも「これが面白い!」とかぼくらが言えるのは、外国人的な目線でやっているからかもしれません。

D:写真と日本建築の風合いが本当によく似合いますよね。ぼく、すごく好きなんですよ。KYOTOGRAPHIEで、靴を脱いで畳に上がって、木造の階段をのぼったら、でっかいモノクロの写真があるみたいなのが。

Y:京都の古い建物というのは、門をくぐると細いアプローチがあって、また門があって、その先にある玄関をガラガラって開ける、というように、人を誘い込んで驚かせたり感動させたりというつくりになっているんですね。だからぼくらも作品を感動的に見せるような仕掛けをすごく考えていますね。

中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5

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D:KYOTOGRAPHIE、本当にいいですよね、規模が大きくて、京都中をマップ片手に歩き回る感じで。写真展を全部見ようとすると京都のいろんな名所を巡ることができたみたいなお得感もあるし。「KYOTOGRAPHIE」の黒地に赤のロゴもいいですよね。

Y:実は京都って、景観条例で赤黒の組み合わせは禁止されているんです。

D:禁止?

Y:だけど、これも「赤は日本の赤で、京都の赤。赤じゃないとダメなんです」って言って、その代わりにのぼりの幅を小さくしたり。そういうことも全て交渉しないといけなくて。本当にフェスティバルって、細かいことがたくさんあるんです。だから関わっている人の数もものすごく多くて、学生の力を借りないと本当に運営できない。学生は大事なんです。若い人にこそ見て欲しいという想いもありますし。

中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5
KYOTOGRAPHIE webサイトより

 

D:2018のテーマは?

Y:KYOTOGRAPHIEでは社会問題や環境問題など、世界で起きている様々な問題に触れています。2018年のテーマは「UP」です。世界も日本もみんな問題だらけだけど、上を向いていこうっていうメッセージを込めました。

展示作品としては、東日本大震災後、東北の太平洋沿岸に建てられた高さ15メートル長さ400キロの巨大な防波堤の是非を問いかけた作品とか。1968年にパリで起きた五月革命という学生運動の若者たちを捉えた作品とか。アフリカを代表する現代アーティストによる作品とか。1960年代に成田空港建設に抵抗し地元農家や学生らが壮絶な闘争を繰り広げた千葉県三里塚の現在を捉えた作品とか。世界中で起きた洪水災害に直面した人々の局面を捉えた作品とか。独創的ないけばな創作を続けた中川幸夫の写真作品とか。

それこそ、コマーシャルの権化のようなものもあれば、まったくのアンダーグラウンドだった作家も登場しています。約1ヶ月間、京都の美術館やギャラリーだけでなく、町家や寺社などの歴史的建造物、さらには廃屋のような場所までも使って、展示しました。

中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5
ローレン・グリーンフィールド展 ©Takeshi Asano – KYOTOGRAPHIE 2018
中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5
中川幸夫展 ©Takeshi Asano – KYOTOGRAPHIE 2018

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Y:KYOTOGRAPHIEは、世界的アーティストを海外から呼ぶ一方で、若くても世界に通用するような日本のアーティストを海外に発信していきたいという想いがあります。けれども予算上、メインとして展示できるのは15会場くらい。そのうち日本の作家はバランス上3人くらいで、これでは若いアーティストを多く紹介できません。

そこで第1回から同時開催で「KG+」というサテライトを立ち上げています。メイン会場の周りのカフェの壁とかフリースペースなど70ほどの会場で、アーティストが自由参加で自主的にやるものです。

D:そういうところからもアーティストが育っている?

Y:ええ。KYOTOGRAPHIEに来ていた世界的なギャラリーやキュレーターに見出されて、海外での展示が決まったり、出版が決まったりというアーティストも出て来ています。また、KG+から毎年ひとりを選んでアワードをあげていて、そのアーティストは翌年のKYOTOGRAPHIEのメインプログラムで展示できる、というシステムを作っています。

D:なるほど、若い作家にチャンスをあげて、賞を取ればまたひとつ上のステージに乗せて、というシステムがしっかりとできあがっているわけですね。

Y:やっぱりアーティストのための写真祭でもあるので。

中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5

D:ところで、今日は、山形ビエンナーレ開催中の東北芸術工科大学に来て頂いて「100ものがたり」などの展示をご覧いただきましたが、いかがでしたか。

Y:東京とは違って、中央から離れた開放感があり、作品のなかにもそういう自由さがある感じがしました。ある意味ブッとんだ作品も数多くあり驚きました。先生と学生の師弟対決のような作品展示もあって、よく似通って来ちゃうものなんだけど全然そうじゃなかったり。とても面白かったです。

D:ありがとうございます。山形の若い学生たちに何かメッセージを頂戴できれば。

Y:そうですね、最後にぼくからみなさんにお伝えしたいのは「自分の頭のなかで想像できたものは、頑張れば絶対に形にできる」ということ。それはものすごく大変なことかもしれないけど、イメージさえできたならそれは間違いなく形にできるんです。だから、それを信じて頑張って欲しいです。

D:来年、また、京都行きます。

Y:ぜひ。今日はありがとうございました。

中山ダイスケ × 仲西祐介【後編】/ぼくらのアートフェス5

2018.9.14

中山ダイスケ(Daisuke Nakayama)/1968年香川県生まれ。現代美術家、アートディレクター、(株)daicon代表取締役。共同アトリエ「スタジオ食堂」のプロデュースに携わり、アートシーン創造の一時代をつくった。1997年ロックフェラー財団の招待により渡米、2002年まで5年間、ニューヨークをベースに活動。ファッションショーの演出や舞台美術、店舗などのアートディレクションなど美術以外の活動も幅広い。山形県産果汁100%のジュース「山形代表」シリーズのデザインや広告、スポーツ団体等との連携プロジェクトなど「地域のデザイン」活動も活発に展開している。2018年4月、東北芸術工科大学学長に就任。

仲西祐介(Yusuke Nakanishi)/1968年生まれ、京都在住。照明家。世界中を旅し、記憶に残されたイメージを光と影で表現している。映画、舞台、コンサート、ファッションショー、インテリアなど様々なフィールドで照明演出を手がける。アート作品として「eatable lights」「Tamashii」などのライティング・オブジェを制作。また原美術館(東京)、School Gallery(Paris)、「Nuits Blanche」(京都)でライティング・インスタレーションを発表する。2013年よりルシール・レイボーズと共に「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」を立ち上げ主催する。
https://www.kyotographie.jp/

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