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山形の伝統を明日へ繋ぐ「古内和傘店」

2019.01.07

山形の伝統を明日へ繋ぐ「古内和傘店」

「開いたときの油の香りと、優しい雨音。日本の情緒に触れられるのが魅力です」

県内唯一の和傘職人・古内清司さんは、山形和傘の魅力をそう語る。

さかのぼること江戸時代、山形藩主が下級武士に奨励し、山形城下で盛んに傘が制作されるようになった。山形は東北一の傘の生産地として産業が栄え、ピーク時には和傘に携わる業者が100件を超えたという。

それから時は過ぎ、現在山形市で和傘をつくる職人は古内さんただ一人となった。200年以上を誇る伝統の技術が、今日も一人の手によって守られ続けている。

山形の伝統を明日へ繋ぐ「古内和傘店」

古内さんの元を訪ね、作業場へと案内していただいた。ガラス戸に囲まれた明るい室内に、制作中の和傘が並ぶ。あたりに散らばる道具はどれも年季物だ。

古内さんが手がけるのは、番傘と蛇の目傘とミニ傘の主に3種類。番傘は雪の重みに耐え切れるよう傘骨が多くたくましい造り。蛇の目傘は600gと軽く、内側に施された糸の装飾と白い輪の模様が特徴で、女性に多く使用される。

山形の伝統を明日へ繋ぐ「古内和傘店」
番傘12000円(税別)/蛇の目傘16000円(税別)

適度な重みと竹や木の質感、そして和紙のやわらかな透け感と油の香り。和傘を持つことで、自然と背筋が伸び、気品をまとったような気分になる。

現代では主に高級旅館での送迎や移動時のほか、インテリアや花笠まつりでも使われている。企業名や団体名などを入れることもでき、最近の注文では旅館の名入れの番傘が多い。

山形の伝統を明日へ繋ぐ「古内和傘店」
紙を貼り終えたら、糊が乾くのを待ち、折り目をつける。
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亜麻仁油と桐油をブレンドしたものを温めて、布に含ませて拭く。
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油をひいたら裏庭で干す。傘作りには日光が必須。

竹を使って骨組みを作り、扇型に切った和紙を糊付けし、油をひいて天日に干す。大きく分けて18の工程があり、その全てが手作業で行われる。約1ヶ月ほどで1本の傘が出来上がる。

山形の伝統を明日へ繋ぐ「古内和傘店」
ネコ好きで穏やかな口調の古内さん

祖父の代から続く古内和傘店は、清司さんで三代目。最初は父であり先代の清一郎さんから家業を継ぐことを反対されたという。

安価で軽い洋傘が主流になり、先代は生活するのに苦労をした。息子に同じ思いはさせまいとの思いからだった。ところが清司さんは、商業高校を卒業して一度は家を出て会社勤めをするも、32歳で和傘の道に入った。

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13年ぶりに東北芸術工科大学とのコラボレーションが実現したミニ傘
山形の伝統を明日へ繋ぐ「古内和傘店」
日本画、洋画、版画の学生の作品を使ってつくられた

きっかけとなったのがミニ傘だ。

ある日旅先でプラスチック製のミニ傘を見て、和傘でもっと本格的なものが作れないかと考えた。先代に提案をし、多くの人に協力してもらいながら試しに商品化し、デパートの物産展で販売したところ、バブル景気の追い風もあり予想以上に売れた。傘は末広がりで縁起がいいと言われ、お祝いやギフトとしての需要があったようだ。

オリジナル商品が認められ、清司さんは本格的に和傘の道へと入っていく。先代は最後まで「やれ」とは言わなかったが、反対もしなくなったという。

山形の伝統を明日へ繋ぐ「古内和傘店」
骨組みの正確さや和紙の張り方など、閉じた姿に職人の腕が現れるという

和傘を作り始めた頃、冬場に傘が売れず収入がないときは、愛知県の自動車工場で出稼ぎをしたこともあった。それも傘作りを続けるため。これまで決して傘作りを辞めようとは思ったことはなく、これからも生涯現役を目標にしているという。

「何年やってもうまくできたときは嬉しいし、失敗すると落ち込む。和傘づくりはおもしろいです」と古内さんは語る。

地元の文化、家族の歴史、伝統技術。古内さんは一人で多くのものを背負っているのだろう。しかし、そうした状況の中でも、シンプルに傘作りを愛し、楽しんでいるように見えた。

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最後に先代・清一郎さんのこんなエピソードを話してくれた。

「昭和35年頃、周りの傘屋が次々と廃業していく中、父は商売を変えず必死で名入れの注文取りに回っていました。今でいう訪問販売です。

かつては完全な分業制で、外交の人が注文をとってきて、職人は傘づくりに専念し、問屋に収めればよかった。祖父が家で傘を作り続け、父は陸前高田や鶴岡など遠方へも出向いて、一軒一軒訪ね歩いて注文をとって回っていたそうです。

当時は宅急便がなかったので、駅止めで傘を送って、それを手で届けてお金をもらっていた。職人のプライドを思うと、父の覚悟は相当なものだったと思います」

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先代・清一郎さんが外回りのときに記録をとっていたノート。

「父が亡くなった後に、当時の手帳が出てきました。訪問先のリストや注文の詳細、電車賃160円、そば40円など事細かくメモに残してあり、当時の様子が鮮明に伝わってきました。

父は家でそんな素振りを見せませんでしたから、こんな苦労をしていたとは知りもせず、手帳を見たときは涙が出ました。この仕事を守っていきたいと思いました」

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年季の入った道具たち。その多くは三代にわたって引き継がれている。

後継者不足で存続が危ぶまれるのは、山形和傘だけではない。2018年末から、技能者が3人未満の伝統工芸技術をサポートする後継者支援制度が動き始めている。山形市がクラウドファンディングを活用して、技の継承を目指す人に3年間給付金を支給する仕組みだ。

その第一号として、山形市在住の横山純子さんが古内さんの門戸を叩いた。ホテルで働きながらダブルワークとして、月間80〜150時間ほど古内さんをサポートしながらその技術を習得していく。

「小さな頃からこの場所で家族みんなが働いているのを見てきましたが、近年ではこの空間でたった一人で作業していました。後継者ができたことで、新たな光が見えた気がします。

横山さんが古内和傘店を継ぐか、独立するかはまだわからない。3年後はいろんな可能性がありますから。苦しみも楽しさも含めて、和傘作りを習得してほしいと思います」

山形の伝統を明日へ繋ぐ「古内和傘店」

山形市では、山形和傘のほか、特技木工(臼、きね、まな板、鍋ぶた)、のこぎり、漆器(権之助塗)の4業種を対象に、技能者の直系の子以外の方で、伝統工芸の技術を継承したい方、伝統工芸の技術を活用して新しい製品を作りたい方を支援する給付金制度(年間最大150万円を最長3年間支給)を実施しています。

古内和傘店ではふるさと納税の返礼品として、もしくは電話での注文を受け付けています(卸販売はありません)。

後継者支援制度へのお問い合わせは、以下のフォームからどうぞ。

撮影:根岸功

屋号

古内和傘店

住所

山形県山形市東原町1丁目4−10

備考

電話:023-623-2052