「暮らしにドキュメンタリーを」 阿部啓一さん×髙橋卓也さん/わたしのスタイル2(前編)
西蔵王のはらっぱ里山保育園で定期開催されている「里山上映会」をご存知でしょうか。自然の豊かな環境で、赤ちゃんからお年寄りまでが自由に集って映画を楽しむことを目的に、2017年4月から始まった無料上映会です。上映するのは、食や芸術、家族のつながりなど、日々の生活に近いテーマが中心のドキュメンタリー作品。
この上映会を企画したのは、はらっぱ保育園園長の阿部啓一さんと、山形国際ドキュメンタリー映画祭理事およびプロジェクト・マネージャーの髙橋卓也さんです。「映画は自分の仕事を考えるうえでも背中を押してくれる存在」と話す阿部さんは、このはらっぱ里山保育園をつくったこと自体、保育をめぐるある一本のドキュメンタリー映画がきっかけだったと言います。阿部さんのお孫さんが駆けまわる日曜日のはらっぱ里山保育園で、お二人にお話を伺いました。
はらっぱ里山保育園を
映画で市民の集う場に
はらっぱ保育園は、山形市吉原に本園をかまえる認可保育所です。そのうち約30人の年中・年長クラスの子どもたちは、保育園のバスで西蔵王山中にある分園・はらっぱ里山保育園へ移動し、日中の時間を過ごします。四季折々に変化する自然のなかで、身体を動かしながら豊かな心と感性を育んでほしい、そんな思いから分園が誕生しますが、そのきっかけとなったのは、阿部さんと髙橋さんが複数の仲間と一緒に企画した、映画「里山っ子たち」(原村政樹監督、2009年公開)の自主上映会での出来事でした。
上映会には、市内外の様々な人たちが駆けつけるなか、山形県の森林整備課の職員も参加。意見交換するなかで、里山を活用した幼児保育・教育の可能性を探る動きへと発展します。それは「実際に山形市で里山保育を実践してみることはできないか」という気運へと高まり、待機児童を解消する一策としての目的も兼ねて、はらっぱ里山保育園が分園として開設されることになったのです。
「この場所ができた以上、週末はいろいろな交流の場としての活用もできるんじゃないかと考えた」と言う阿部さん。「そもそも歴史的に見ても、この分園がある場所周辺は、龍山信仰や蔵王権現の信仰をもつ三百坊というお寺が密集しており、修行僧や参詣者たちが日々行き交っていた場所なんです。この場所の住所は『大字土坂元草矢倉』というんですが、旅人が足を休められるよう、草でつくった矢倉があった場所ということに由来するそうで、ここで上映会を開くことは、この土地のもつ特性ともぴったりだなあと。『現代の新しい草矢倉』として、映画を切り口に集いの場が広がっていったらいいなあと思ったんですね」。
髙橋さんも、映画館で企画する上映会のような、集客できる作品選びといった興行的な制約から、もっと自由に、自分がいいなと思う作品を豊かな自然のなかで上映したい気持ちを持っていたと言います。里山上映会は、こんなかたちで、二人の雑談からスタートしたのでした。
実際に里山上映会に参加してみて感じることは、どの参加者も映画とその場での交流を心から楽しみにして訪れているということ。そしてこれはこの上映会の特徴の一つでもありますが、まだ立つことのできない乳児だって、一緒に参加できるということです。阿部さんや髙橋さんが大切にする「自然豊かな環境」とは、蔵王の森の緑だけでなく、人が集まることで生まれる多様性をも含むもの。赤ちゃんが現れると、その場にいた人たちが代わる代わる抱いて、誰もが自然にあやすようすは、見ているこちらも思わず微笑んでしまうものでした。
「高齢者と子どもというのは、もうメダルの裏表でね。だいたい同じなんです。そりゃあ人生経験のある人と、まだ始まったばかりの違いはあるけれど、生きてる中身は同じっていうかね。どんな人も世の中に自分はたった一人しかいない存在なんだって胸を張ろうとするけれど、お世話をしてもらわなければ生きられないときがあって、そんなときはまわりに手をつないでもらう必要がある。映画はそういった裏表のなかを、いろいろなかたちで切り取ってくれるものだと思うんですね」と阿部さん。はらっぱ保育園の開設前には、地域住民からの要望を受けて署名を集め、介護施設も立ち上げている阿部さんは、日々の仕事場で、映画に通じるたくさんの物語に出会っていることを感じるひとときでした。
ドキュメンタリー映画は
日々の暮らしから立ち上がる
山形市は2017年に、ユネスコが掲げる創造都市ネットワークの映画分野に加盟することが認められ、本年度も山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、映像文化に親しむ機会が様々に企画されています。髙橋さんは、山形国際ドキュメンタリー映画祭が市制100周年を記念して1989年にスタートしたときから、映画祭の現場にかかわってきました。現在は、理事およびプロジェクト・マネージャーとして地域で行われる上映会活動を支援し、映像文化の普及のために、日々各地を駆け回っています。
山形国際ドキュメンタリー映画祭というと、世界中から選ばれた作品が上映される特別な機会といったイメージに集約されがちですが、「実際にはドキュメンタリーというのは日々の暮らしから立ち上がってくるもの」だと髙橋さんは言います。「だから私は、映画祭の運営と、こういった地域での上映活動というものを分けて考えていなくて、どちらで上映される作品に対しても、同じセンスを持っていたいと思いながらやってきました。アート系の質の高い作品を環境の整った映画館でじっくり観るのももちろん好きですが、暮らしの近くで映画に親しむような、里山上映会のようなカジュアルな機会は、意外性があってやっぱりおもしろいんですね。地域での上映会って、観客とすごく近いところにいるので、『映画ってこういうものなんじゃないか』と常に問い返されることになる。それは自分の映画に対する捉え方の幅をつくってくれるものなんです。地域でたくさんの人たちと映画を分け合うということは、私にとっては常に新しく、居心地がいいことで、私がイメージする映像文化創造都市というのは、まさにそういう雰囲気なのですね」。
「映画とは、個人や社会からの声を受けて常に問い直され続けていくもの」だと髙橋さんは言いますが、それは山形国際ドキュメンタリー映画祭のあり方とも通じるもの。報道とは異なり、作者の視点で現実を切り取るドキュメンタリーとは、一体どんなものなのか。そのことを常に問い、現実と向き合いながら作品を制作する作家たちを応援する場が、山形国際ドキュメンタリー映画祭なのだと思います。
里山上映会では、常にドキュメンタリー作品を上映していますが、阿部さんにとってドキュメンタリーは、課題や困難に向かって行く際の支えになるものだと言います。「ドキュメンタリー映画を観ると、こんな暮らしがあったんだとか、こんなことやって生きてる人がいるんだとか、そういうことを実際に見ることができる。そしてそれが、自分の生活の新しい支えになったりするんですね。力が湧いてくるというか。そういう体験にこそ、ドキュメンタリー映画のおもしろさがあるんじゃないかなって思いますね」。
次回の里山上映会は、7月28日(日)で、「タイマグラばあちゃん」(澄川嘉彦監督、2004年公開)を上映する予定です。ぜひこの機会に、ご家族やご友人と西蔵王へ足を伸ばしてみてください。
さて後編では、阿部さんと髙橋さんがこれまで上映してきた作品や、ご自身の映画体験などについて熱く語っていただきました。引き続きご紹介します。