地域企業のクリエイティビティとは?(Q1プロジェクト)/フォーラムシネマネットワーク専務取締役 長澤純 × アイハラケンジ(後編)
映画分野でのユネスコ創造都市に認定された山形市が、第一小学校旧校舎をクリエイティブ拠点として再整備することをめざす「Q1プロジェクト」が動き出しています。その連動企画であるこのシリーズは、地域のユニークな企業経営者の方たちにお話を伺い、山形の企業に蓄えられているクリエイティビティとそのポテンシャルを探るというもの。
今回ご登場いただくのは、山形の映画文化を牽引してきたフォーラムシネマネットワークの専務取締役 長澤純さん。聞き手は、Q1プロジェクト・ボードメンバーのひとりであるアイハラケンジ 東北芸術工科大学准教授です。
アイハラ:フォーラムがその後、山形市以外の多くの都市に展開するのはなぜでしょう。
長澤:「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が大ヒットした1985年、フォーラム山形は連日賑わいました。しかし福島のまちで公開されたのは、さらにそれから半年も後になってからのことでした。上映する劇場がなかったのです。
それで福島にフォーラムをつくれば映画ファンに喜ばれるだろうということで進出したのが1987年。状況は盛岡も似ていて、待っている人がいるのに面白い映画をやる劇場がないから、ということで盛岡にもつくりました。
こうして山形、福島、盛岡の3都市に劇場ができるとフォーラムの存在がチェーンとして認められ、配給会社からのフィルム提供の条件が良くなりました。さらには人口の多い大都市・仙台にも展開して4館体制になると、作品の上映をさらに早いタイミングでスムーズにリレーしていくことが可能になりました。
アイハラ:どのまちでも市民の皆さんから資金を集めてスタートしたのでしょうか?
長澤:そうです。劇場をつくるときに会員を募集する、というやり方ですね。福島と盛岡ではいずれも500~700人くらいの方が会員になってくださいました。
アイハラ:それだけ人とお金が集まったのは「映画を愛する人のための映画館」というフォーラムのブランド力が他のまちにまで波及していた、ということでしょうか。
長澤:どのまちにも共通していたのは「話題の洋画作品を自分たちのまちで見られない」ということでした。「バック・トゥ・ザ・フューチャー、めちゃくちゃヒットしているらしいよ。なのに、なんでうちのまちでやってないの?」という状況ですから、見たいのに見られない、けどどうしても見たい、というシンプルな飢餓感がありました。
そこに「新しい映画館をつくります、建設資金をいま集めているのであなたも会員になりませんか、会員になるとお得に見られますよ」と募集をかけたら、結果として多くの皆さんが会員になってくださったのです。現在では、さらに八戸、那須塩原、東根を加えた7都市に全部で58のスクリーンを展開しています。
2000年には山形市内にソラリスをオープンさせていますが、これは1990年代にワーナーマイカルシネマズといったシネコンが進出し、まちの既存館が潰れていくという状況が各地で進行するなか、私たちも生き残りを賭けてシネコンに業態転換しなければならなかったからです。
このときにも市民出資で資金を集めて新会社を設立し、6スクリーンのシネコン、ソラリスをつくりました。2003年の八戸フォーラムも、2006年に移転したフォーラム盛岡も、2009年の那須塩原も、いずれもシネコンです。昔ながらのタイプの劇場は福島と仙台にあるのみですね。現在は香澄町にあるこのフォーラム山形も、大手町にあった初代の劇場から移動してきたときに、5スクリーンのシネコンに変えました。
アイハラ:大手町から現在の場所に移ってきたのは、シネコン化の必要があってのことだったわけですね。
長澤:そうです。昔の劇場のやり方というのは例えば、1本の映画をひとつのスクリーンで朝から晩までずっと回すのを1ヶ月間やる、という非常にシンプルなもの。しかしこの方法は、プログラムの柔軟性が乏しいだけでなく、わずかしかないスクリーンに対して受付や映写の人員を要するので経営効率が悪いのです。
これに対してシネコンは、たくさんのスクリーンでも受付はひとつでいいので人件費の割合が相対的に下がります。また、朝から晩まで同じスクリーンで同じ映画をやるのではなく、当たってる映画は大きいスクリーンでたくさん回し、お客さんが少なくなってきた映画やコケ気味のものは小さいスクリーンで回数を減らして上映するということができるので、全体としての収益を安定化できる。そういう理由で現在の香澄町に移ってきたのが2005年のことです。
アイハラ:シネマ通りやまちなかにあった映画館の多くが姿を消すなか、フォーラムが生き抜いてきた理由もその辺りにあるのでしょうか?
長澤:スクリーンの少ない映画館の経営効率が厳しいのはまちがいありません。上映作品が少なければ大ヒットするか大コケするかの博打に経営が左右されてしまうので、非常にリスクも高い。売上を安定させるためには、スクリーンの多い状態でいろんな映画を細かく柔軟に編成するやり方が必要なのです。
また、私たちの場合はたまたま山形駅周辺にシネコンをつくったわけですが、市の郊外に別のシネコンができたときには、もうソラリスも終わりかなという気持ちになったものです。
それでも、郊外の巨大なもの対まちなかのコンパクトなものっていう構図の厳しい争いのなか、幸いにもなんとかやってこれた理由を考えてみると、ソラリスとフォーラムを合わせた計11スクリーンを使っての上映プログラムの多様性ということがひとつにはあるかと思います。また、配給会社からの信頼というのも大きいと思います。経営のやり方がシネコンへシフトしても、アート系もロードショー系もごちゃ混ぜにしてやる、という創業の精神は変えずにやってきました。
アイハラ:シネコンというのは合理的経営手法であり、そちらにうまく転換できたことが大きかったわけですね。山形から始まって7都市にまで広がっているというのは本当にすごいことだと思います。これまでの経営判断はすべて創業者であるお父様がなさってきたのでしょうか。
長澤:そうです、ずっと父が判断してきました。でも、とにかく映画が好きな人なんですね。現在はほぼ東京にいて、試写室を回って映画を見るような生活をしています。経営的な仕事は最小限の時間で終わらせ、あとはとにかく東京行っては映画を見ている。
アイハラ:映画を見る合間に経営をされてきたわけですね。
長澤:天才肌の人で、私には真似ができませんね。数字はすべて頭のなかにあって、プログラムもすべて頭のなかにあるから、紙に書くなんて面倒だよっていうタイプ。これまでも「教えてください、1ケ後のプログラムはどうなっているんですか ?!」と必死にお願いしてようやく紙に書き出してもらえたりしました。経営することより、とにかくいい映画をどんどん発掘したい人なんです。このごろは私に対しても「経営的なことはお前に任せるから、俺は映画を見に行ってくるよ」という感じです。
アイハラ:創業者の後を継ぐ次世代の経営者として、これからのフォーラムの展望についてお聞かせください。
長澤:日本のシネコンのクオリティは、設備的な豪華さもサービスの質もシステム的利便性もすでに相当に高く、世界有数のレベルに達しています。その反面、上映プログラム的にはまだまだというか…、客入りの良さそうな話題作だけをやるとか、どんなに質の高い作品であっても客が入らなそうなものはやらないという方針のところが多い。
そんななかで私たちフォーラムは、一方ではシネコンとしての設備や利便性のレベルをしっかりと保つこと。もう一方では映画を愛してやまない映画ファンを大切にする姿勢を貫きながら「ごちゃ混ぜ」で多様性にあふれた上映プログラムを組むことという、このふたつのことをやっていきたいと思います。
フォーラムのスタッフは不思議と映画好きの人ばかりが集まってくるので、配給会社の方々から「フォーラムの人はみんな丁寧に愛情をもって作品に接してくれるから嬉しい」というお褒めの言葉をもらいます。配給会社の方たちも映画好きな人たちばかりなので、フォーラムの姿勢に強く共鳴してくれたり深い理解を示してくれたりします。「映画好きは商売できない、好きだと思い入れが邪魔するから好きじゃない方が商売はうまくいく」なんて時代もあったそうですが、それは過去の話です。
映画館業界の市場規模はだいたい2000億円前後で、それはここ15年ほぼ不変です。動画配信サービスが登場したり景気の浮き沈みがあるのというのに意外と左右されていないのは、どこかで時間を過ごしたい余暇のイベントとして根強い人気がある証拠です。だから、どんなに時代が変わり技術が変わろうとも、人が集まる映画館は廃れないだろうと思っています。劇場で働く私たちも、配給会社の方たちも、そして製作に関わる人たちも、みんな昔よりも今の方がずっとずっと映画好きな人ばかりになっていますから、未来を明るいものと感じています。
アイハラ:多様で深い映画への愛がフォーラムという映画館の周りにますます増えているわけですね。
さて、最後に質問というか、お聞きしたいことがあります。映画文化の創造都市としてユネスコに認定された山形市は、第一小学校旧校舎をその象徴的な場所として再整備化するためのQ1プロジェクトを進行中です。あの場所でこんなことがやれたら面白いんじゃないか、映像文化都市らしいこんな取り組みはどうだろうか、というようなこと、パッと思い浮かぶものはありませんか?
長澤:例えば大学で映画の勉強をしてきた人で、社会人になってからも映画の勉強を続けたいという人や、地元で仲間と集まって映画作品をつくってみたいというような人のための場所というのはどうでしょう。
経験ある指導者やコーディネーターがいて、作品づくりに必要な機材や道具もあって自由に使えたり、安価で借りることができる。世代を超えて交流しながら映画づくりにチャレンジできる。そんな場所になったらいいなあなんてことが、今おぼろげに思い浮かびました。
また、映画の世界では「こども映画大学」というのも流行っています。本物の映画監督が先生役で、子どもたちはシナリオと役者と撮影スタッフといったように役割分担して、ロケして編集して仕上げて、3日間で1本の映画をつくって発表会をやるという教育プログラムです。そういうのを山形で継続的にやるのも面白いかもしれません。
アイハラ:面白いですね。
長澤:音楽も美術も、芸術の多くは表現と鑑賞がバランスよく両立できてるような気がしますが、映画だけはどうしても制作の敷居が高すぎるからか、鑑賞に偏りがちですよね。だからこそ、そういうことにチャレンジできる場になるといいですね。
アイハラ:あの場所が映画制作の拠点になれば、さらにはシアターもやれるよねとか、ワークショップできるよねとか、空間活用の幅も広がりそうですね。
ありがとうございました。
(おわり)
フォーラムシネマネットワーク Webサイト
Q1プロジェクト Webサイト
2020.2.10
text : Minoru Nasu
photo: Haruko Miura