“Toward Build Back Better” (2) いま、妄想的にまち・都市を描いてみる。
こちらはreal localの運営に携わる面々が、つれづれなるままに綴るブログのコーナーです。今回の当番は金沢より、金沢R不動産/real local金沢代表の小津誠一がお届けします。前回からの続き。
【前回の寄稿はこちら】
僕たちが子どもの頃に夢見た未来都市を描いたマンガやSF映画、あるいは建築を学び始めたころに考えた都市や建築への空想や妄想。その頃、感じていたドキドキする気持ちは、いったい何処へと消えたのか?
こんなことを考え始めて随分と年月が過ぎたように思う。
かつて、政治家は日本列島の改造を本気で考え、ロンドンの空想建築集団アーキグラムに影響を受けた建築家は新陳代謝する建築都市「メタボリズム」など空想的な都市像を描きまくり、1964年東京オリンピックや1970年大阪万博などを背景に空想から始まったビジョンを実現化していった。
何かをつくったり考えたりする創造するという行為は、すべて未来に向けてのアクションに違いない。そのクリエイティブな行為のなかで、もっとも大きなモノが都市や建築だと思っていた。だから建築を志したのかもしれない。
けれど、いまはどうか?
高度経済成長期やバブル期を経て、人が減り始め、国や社会が成長から退縮へ向かう中で、コンクリートからヒトへの大合唱のもと都市や建築は徹底的に叩かれてきた。大きな創造物の周辺でうごめく金や利権に対するスローガンが功を奏し、まるでコンクリートや建築が悪者になってしまったかのようだ。大学の学科名からは「建築」の二文字は減る一方だし、都市や建築を目指す才能はすっかり少なくなってしまった。一方で、まちづくりという言葉を誰もが口にする。建築設計や都市計画という画数の多い言葉よりも、まちづくりという丸い平仮名を使うことに、いまの志向性が現れているのかも知れない。
そこに来て、追い打ちを掛けるようなコロナ禍だ。収束の見えない状況で、人が集まることを前提とした都市やまちの話も遠ざかりつつある。
未来へと続く目の前の道は、かつてのような上り坂ではないかもしれない。それでも、紆余曲折の先にしか未来はないし、取り組むべき問題や課題は複雑だけれども、それでも道は目の前に続いている。
だからこそ、問題や課題発見から始まるささやかな空想や、実現不可能そうでもワクワクするようなナターティブな妄想を描いてみたいと思う。暮らし、仕事、遊びなど、人のあらゆる営みの総体がまちであり都市であると考えると、その空想や妄想の舞台もまちや都市になるかもしれない。
前回『「前よりも良くなったね」と言うために』を書いてから、5ヶ月が過ぎた。
この5ヶ月、あるいはコロナ禍の半年以上の間に、働き方改革、リモートワーク、デジタル・トランスフォーメーションなど事業や生業に関わる課題から、移住や複住など生活拠点の新しい選択や、在宅テレワークなど暮らしに関わる課題まで、様々なイシューが顕在化してきている。けれども、都市やまちといった空間の課題解決は、コロナ禍のネガティブな雰囲気の中で、課題解決の先送りで思考を停止させた先に解答は待っていないし、立ち止まったところで、新たなビジョンが向こうからやってくることは決して無いのだ。いま、性急に大きな絵を描いて突っ走ることは出来ないかも知れないけど、みんなが様子を見るために立ち止まっても、きっと状況は好転しないし変わらないだろう。
でも、そんな今、僕たちは、まちや都市、あるいは里山里海の集落まで、以前よりも良くするために歩みを止めてはいけないと思う。空き家やシャッター商店など点在する余剰空間の一粒一粒に光を灯して螢の群のようにシンクロして同期点滅させていくような小さな取り組み、身の回りの空間で仮説検証や試行錯誤を繰り返す近隣スケールのまちづくり、目指したい未来のまちや都市の姿を仮定したバックキャスティングから始まる物語、まちづくりと都市計画の間にあるような社会実験など、実現可能性よりも共感をえられるようなアイデア、幻想的でナラティブな絵を描いてみたい。これまで、実現に至らなかったアンビルトなプロジェクトや、選定されなかったプロポーザルやコンペティション、妄想的なまちづくりを提案してきたけど、より飛距離のあるアイデアとして描いてみたり、次回語ってみたいと思う。