【篠山】なかったから、じゃあ自分でやろうって。
晩めし屋 よかちょろ
晩ご飯、食べますよね?
近所に食べるところなかったらどうします?
同じこと、地域の周りの人が思っていたら、どうします?
「晩めし屋 よかちょろ」
篠山の河原町にある、古民家を改修したご飯屋さんは、その屋号のとおり「晩めし屋」。
店主の角田大和くん。
広島出身の甘いマスクにワイルドな雰囲気、爽やかさも兼ね備えた人気者。ちょっと下げてやりたいので、先に書いてしまうと、実は彼は飲食店をやる気はさらさらなかったみたい。理由の一つに手が荒れる、とか何とか。笑
もともと野菜の流通に興味があった彼は、大学の後、東京・築地の八百屋に就職し卸として野菜の流通を勉強する。しかし、そこで1番強く感じたことは、違和感。仲卸という業態を知り、「産地直送」とは?実際に野菜が届けられるときのその野菜の本当の価値は?値段は適正か?と疑問を抱く。
そして1年後。その疑問を解決するにはどうしたら良いのか考え、更なる「本当の野菜」を届ける流通を学ぶため、自然栽培・無農薬無肥料の野菜を独自のルートで取り扱う「ナチュラルハーモニー」に転職。当時は2011年。関東大震災の直後、野菜の風評被害もある中、ナチュラルハーモニーでは独自に放射線濃度を独自に整備するなど、安心を前提とした徹底した野菜自体へのこだわり、その野菜を適正に流通、提供させるための姿勢を学び取る。
と言っても、実は、流通を直接担当する仕事ではなく、就職当時、残念ながらキッチンしか空いておらず、キッチンで働くことに。
「しゃあないか」
この感情が大きな転機だった。
大学のころ、バーテンダーとして働いていたこともあり(そこでの経験が料理をする気がなかった感情の背景)、簡単な食事を提供することはあったが、料理、としてしっかりしたバックボーンがあった訳でもないため、料理補助の仕事を行っていた。
が、料理長の女性の妊娠に伴い、当時の社員状況も重なって、大和くんが抜擢されることに。そこからはただがむしゃらに働き、最後はメニューを考えるまでに実力を養ったそうだ。
そうしてナチュラルハーモニーで真摯な野菜の流通、提供と、予想外に料理の修業をした彼は、新しい野望が芽生えた。
「野菜を作るところからはじめたい」
そうして彼は東京を後にし、丹波篠山の農家レストランで畑を始める。そこはご主人が畑、奥様が料理を提供するレストランだったが、またしても。奥様が妊娠され、東京での経験がある大和くんが料理も担当することに。(こうのとり状態…)
この時、またあの感情が。
「しゃあないか」
更に、もう一つ決意をした。「料理をしないことを諦める」。
農家レストランで畑と料理、腕を磨く中でネットワークを広げ、まちに溶け込んでいく中で、一つの同じ声を幾度か耳にする。「晩ご飯を食えるところがない。」
彼自身、篠山は観光地という特性柄もあってが、ランチのお店はとても多いが、移住定住者も増える中、何で夜の店がないのか、と疑問に思っていたそう。かつ、出不精ということもあって、「家で外のご飯食いたいけど、家でたくない」という王族のような発想。笑
そんな要素が絡み合って、レストランでも居酒屋でもない、自然体で自分のもう一つの家のように「晩ご飯」を食える「晩めし屋 よかちょろ」は生まれた。
大和くんの話や経歴を聞いていると、自分に足りないものを補う行動力、疑問を自分の力で消化する回転力がとても高い。篠山においても、その、「ないなら自分が動けばいい」という単純明解な発想が、夜のお店を誕生させ、篠山というまち、まちの人たちが実は抱えていたストレスを解消したのだ。
今では「晩めし何食う?」の延長に、当たり前によかちょろが浮かび、まちの人が集う場所に。
今では畑の両立が大変になり、自身での畑作業は止めた代わりに、信頼できる農家を見つけ、時には友人がバイト感覚でやっていた農業を自分がしっかり適正価格で買い取ることで1本立ちさせるなど、野菜の流通を学んできた経験と真摯な姿勢を活かし、農家にも貢献している。もともとの出発点である流通への意欲も衰えておらず、今では東京の麻布、田園調布、広尾など東京にも直接卸しに出向いたり、農家で出る流通に乗る前のロスを加工品として生まれ変わらせ、販売するなどの取り組みも行っている。
野菜を起点に、様々な繋がりを生み出し、自ずとまちや農家に影響を与えている大和くん。
きっとこれからも「そうそう!こういう店欲しかった〜」の裏には、彼がいる。
<あわせてお読みください!>
よかちょろのお店情報についてはこちら
https://reallocal.jp/19623