かき氷屋であるということ。鵠沼海岸「埜庵(のあん)」
藤沢市 埜庵
かき氷ブームと言われて久しいが、かき氷好きを自認する人間で、「埜庵」の名前を知らない人間はモグリだ。
過激な言い方を許してもらえるのなら、私はそう信じているし、おそらく全国のかき氷ラヴァー達も、この発言には頷いてくれるものと思っている。
鵠沼海岸商店街の中ほどに位置する、
かき氷の店「埜庵(のあん)」
一年通してかき氷を提供し続け、今年で開業15年になる。
「かき氷ブームは、湘南から。鵠沼から始まったんだ、と思っていますよ」
と、語ってくれたのは、「埜庵」の店主であり「かき氷文化史研究家」でもある石附浩太郎さんだ。
『氷を伝える』
開業のきっかけを尋ねると、石附さんは「氷ありき」と話す。
「天然氷に出会ったのがまず最初。当時は今ほど温暖化という言葉は知られていなかった。でも、知り合った天然氷の蔵元の人は、すでに大きな問題。なくなるかも。作れなくなるかも。と、ずっと言っていた。天然氷の危機だと」
その人は「かき氷」で、それを皆に伝えようとしていた。
「その姿に共鳴しました」
ビジネスとして店舗を営業することよりも、伝えることが前提にあった埜庵にとっては、天然氷も、手作りシロップも、冬の営業も必然。
「何かを流行らそうとか、目新しさを狙ったわけではないんです」
『必要がないものは、売れない』
冬でもかき氷屋をやる。開業当初は無謀とも思えるチャレンジ。
「いくら美味しいものを作っても、食べてくれる人がいないと商いは成り立たない。言葉は悪いけど、まずは、冬でも食べに来てくれるお客さんを作る必要がありました」
鵠沼で営業が始まったのは、偶然だった。けれど、結果的に埜庵は定着していくことになる。
「鵠沼海岸商店街には、大手の飲食チェーン店が無いんです。東京資本から見ると『儲からない場所』。でも、それは言い換えれば、独自の文化があるってこと。むしろ数の原理に流されないから、効率とか合理性じゃなく、ちゃんとやらないと残れない。続かない」
「スポーツやファッション、湘南から発せられたものって沢山あると思います。一年中かき氷を食べる、っていうのも、湘南の人が受け入れてくれたから、今のかき氷ブームにつながっているのは間違いない。でもこの辺では、もうブームじゃなくて、生活の中のスタイルになっていますね」
『かき氷屋を続けていくために』
業務は、店舗でかき氷を提供する以外にも広がっている。イベントへも参加する。依頼されて、アメリカの大学で食品、料理関係者の前で削ったこともあるそうだ。本を書いたり、映画の食監修もする。
石附さんはそれを「食べていくため」の一言で片づける。
「かき氷を作るのが仕事じゃなくて、かき氷を仕事にしているから」
かき氷屋であり続けるため。石附さんの、時に無謀とも思えるチャレンジは、続いていく。
これらのお話を伺った上で、改めて私は言いたい。
かき氷好きを自認する人で、埜庵を知らないとしたら…、
それはやっぱりモグリですよと。