「歴史的建造物の保存と活用」レポート
山形市長と志村直愛氏のパネルトーク
12月9日に「山形市の歴史的建造物の保存と活用」について、佐藤山形市長と東北芸術工科大学教授 志村直愛氏によるパネルトークが行われた。
本イベントの趣旨は、山形市の歴史的建造物の価値を伝え、文化遺産の保存と観光資源等としての活用策を考えること。
歴史好きで知られる市長と建築史の専門家である志村教授がスライドを見ながら山形市の歴史的建造物を振り返り、来場者に問いかけ会場を巻き込みながらトークが繰り広げられた。
歴史的建造物が豊富な山形市
冒頭に市長が「山形市を歩いて楽しい、外から来た人が見て楽しい街にしていきたい」と述べ、「価値のある建物をいかに保存して活用していくかが大切であり、さらに景観については、バラバラ感が逆に統一感を持つ街の在り方がないか」と投げかけてパネルトークが始まった。
志村教授は、小立の石鳥居、羽黒山の五重塔、鳥海月山両所宮、山形市郷土館(旧済生館本館)、やまがたレトロ館(旧山寺ホテル)を例に、山形の歴史的建造物のスライドを見せていった。
山形市内には指定文化財として国が管理しているものが8件、県の管理が6件、市の管理が7件ある(登録文化財は全国で1万516件あり、山形市には19件)。
ほかにも、山形市内には蔵、町屋、農家の建築、小屋、西洋館、写真館、教会、郵便局、看板建築などの歴史的建造物が多く残っており、山形はのどかな自然と歴史的な文化財が“普通に”共存していることが魅力だという。
失われつつある歴史的財産
次に、古い建物が山形に残った理由を、首都圏との比較で紐解かれていった。
・1923年に関東大震災が起こったが、山形は大きな天災をあまり受けていない
・1945年に東京大空襲があったが、山形はほとんど空襲を受けていない
・1980年代から都市部では地価が高騰しバブル経済を経たが、山形では過剰な都市開発をしてこなかった
そんな山形市の歴史的建造物は時代と共に知らず知らずのうちに失われてきており、志村教授は何件か調査を進めてきたという。
たとえば、立石寺にある「山寺行啓記念殿」では、住民が解体予算を用意していたところ、志村教授が調査分析評価をしてこの建物の重要性を市民に訴えることで、解体予算が保全予算に変わり、建物を無事に残すことができた。
蔵についての調査も行われている。1993年に東北芸術工科大学が中心市街地にある蔵の調査をしたところ、190件の蔵があることがわかり、今年、志村教授が4日間かけて地図を見ながら自転車で中心市街地を巡り、過去に調査した蔵の所在を一つずつ確認したところ114件に減っていたことがわかった。
昔の風景と調和したクリエイティブなまちづくり
終盤にさしかかり、山形市内に隠れた歴史的な街並みを『ブラタモリ』のように昔の地図と比較しながら中桜田、前田、内表、陣場を例に分析した。
古い地図と比べてみると、山形には田んぼや畑が多いため、主要な道路を計画する際に、昔の道を壊すことなく新しい道路がつくられ、昔の道路と街並みが比較的残っている。そこが東京と比べて山形のいいところだと志村教授は言う。
ところが、昔の風景が失われつつあるのも事実である。一般的に利便性を求めて街の開発が進められると、多くの機能が配される。そのため昔の街並みが維持できないことが多い。逆に、利便性を求めないとすると風景は維持されるが生活は不便になる。
市長は「山形市で歴史的な街並みを維持しつつ近代的な生活を求めようとするならば、車社会であることも考慮した開発と保全のバランスが大事になってくる」と述べた。
そこで志村教授は陣場を例に挙げた。陣場は明治初期から昭和初期にかけて建てられた豪農や大地主の立派な家、土塀や蔵が並んでいる地域であり、昔はひとつの広い土地ごとに一軒の家が建ち、土地を広く使っていた。
現在は開発が進み、そのひとつの広い土地に複数の建物をつくり、さらに車の動線を考えながら開発していくため、本来の陣場の風景が次第に失われていくという。
古い街並みを壊して開発をすることは避けられない場合があるが、昔の風景になじむように新しい建物を建てることがクリエイティブでないかと志村教授は考え、市長は「残すべきところは残し、開発する場合は周りと調和したデザインを検討していきたい」と述べた。
「今後、市民の皆さんに歴史的な建物に興味を持ってもらう必要がある。まずは山形市の課題を整理して見せていくことが重要で、このようなパネルセッションを通してこれから一緒に歴史的なまちづくりをしていきたい」と市長と志村教授が述べ、パネルトークを締めくくった。
(取材・文:塩真一成)