エネルギーを求めて里山に入る/楽しい暮らしのエネルギー 02
楽しい暮らしのエネルギー 02
エネルギーって、地球温暖化や原発などむずかしいテーマにも絡む問題だけれど、課題解決の糸口はふつうの毎日の暮らしのなかにもたくさんあります。
山形のローカルライフをいきいきと楽しみながらエネルギーをやさしく考え実践につなげていく、地域エネルギー研究者による連載コラム、第2回です。
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春、山笑う
春がきたー!
山形に来る前はそんなこと思いもしなかったし、感じもしませんでした。でも今は春の日差しを感じると、うきうきしてしまう。やはり山形の冬は長く、太平洋側の地域と違って雪も多いし、晴れる日が少ない。
そんな中、ようやく年度が終わる3月頃、雪が消えはじめて間もなく、まだ色味のない土や植物の風景に、最初の色をつけるのがマンサクの花。ちらちらとした頼りない黄色の花ではありますが、冬が終わったこと、春がやってきたことをはっきりと告げてくれます。
そして、日本の春と言えば桜が代名詞のようになっていますが、山形で桜の前にまず咲くのは梅。庭や畑に桜は植えていなくとも、梅を植えている家はそこら中あるでしょう。田畑の農作業がまだ本格化する前、黒っぽい土を背景に梅の花がちらっと色を付けるのです。桜の花もきれいなのですが、山形に来て春を感じさせてくれるのは梅の方。梅は食べるためのものですが、桜は観賞用。梅の花は地味ながらも実用の美を感じさせてくれるものなのかもしれません。
そして、この春の色づきが、里から山へと一気に登っていくのが山形。幹と枝だけの山に、若葉が芽吹き、花が咲き始めると、薄茶色の山の中に小さなピクセルのように黄緑、白、ピンクのドットが表れ始めます。これが実に繊細な色で美しいのです。でも若葉が大きな葉っぱになってしまえば山は緑で覆われて、繊細なピクセルは消えてしまいます。1週間ほどしか見れない新緑の風景です。
都会の人は、山は秋の紅葉がいいと言います。しかし、ぼくは山形に来て、断然春の山が好きになりました。春になって、どんどん山が色づいていく様子を俳句の世界では「山笑う」と言うそうです。春、山笑うとは、山の草木が眠りから覚めて動き出し、人の心も踊る、自然界のダイナミズムを実によく表した言葉だと実感するようになりました。
雑木山
こうして色づく山形の山。どこの山もそうかというと、実はそうでもありません。新緑や紅葉が見られるのは葉っぱが枯れ落ちる落葉樹だからです。
山間部や少し年配の人はこういう木々を雑木と呼んだりします。雑木はその言葉通り雑多な木のことですが、いろんな種類の木をざっくり一まとめにした呼び方です。雑多な木が生えているのは今風に言えば生物多様性の高い森です。考えてみれば山が自然なら木は雑多なはずで、それをあえて雑木と呼んだのは、そうでないものがあるからです。それは人工林。つまり人が植えた木で、同じものが植えられた。その多くが杉だったわけです。
自然だと思っている山も、実は人が植えた畑のようなものが人工林として相当あるのです。日本の森林全体の41%が人工林で、九州あたりでは6割を超える県も多いのです。そして、この人工林は杉やヒノキのように紅葉はしない、新緑もない常緑樹なのです。
山形県はこの人工林率が27%と低く、その他は天然林と区分けされますが、雑木ということになります。この雑木のほとんどが紅葉し、新緑を見せる落葉広葉樹なのです。
日本の山がこんなに人工林になったのは戦後。戦災復興と高度経済成長によって住宅需要が急増し、それをまかなうために雑木を伐って成長の早い杉が植えられました。雑木はそれまで薪や炭に使われていたのですが、ちょうどそのころから石油が家庭でも使われるようになっていたので、価値がなくなっていたのでした。それでも山形の雑木は結果的にかなり残されました。昔ながらの薪、炭、つまりエネルギーのための里山が今も山形では身近にあるのです。
里山エネルギー
かつてこの山は日本最大のエネルギー源でした。木を伐って、まさかりで割り、薪で暖を採って、風呂を沸かし、飯を炊いていたわけです。ぼくが生まれた50年ほど前はそんな人がまだまだたくさんいたはず。
山形市内でも軒下には山高く薪を積む民家が立ち並び、木を運ぶ橇(そり)が列をなしていたといいます。そして、山形市内の身近なシンボルでもある千歳山には、こども達が松ぼっくりを拾いに行ったそうです。
山形市から見える遠くのシンボル月山。月山の頂は春になっても白く雪が残っていますが、そこに広がる雄大なブナ林の美しいこと。白く広がる残雪にそびえ立つ白い幹のブナの淡い新緑のコントラストはまばゆいばかりの輝きを見せてくれます。このブナの中には人の手にかからなかった原生林もありますが、その多くは炭焼きなどのために伐られてきたものです。
薪や炭のために雑木を伐るというと、自然破壊ではないかと考える人も多いかもしれません。伐ってそのまま禿山になるようだとそうでしょう。
しかし、雑木の中でも特に薪や炭の木として重宝されたナラなどは、伐ればその切り株から芽が出て、再び木として成長していく萌芽更新と呼ばれる方法で再生していくのです。
伐って、また成長を待つというサイクルは2、30年の周期。これがいわゆる里山と呼ばれる森の姿であり、人の手が入りながら自然が保たれる状態がつくられていたのです。なんと合理的なエネルギー利用を昔の人は編み出していたのか。
薪ストーブライフのはじまり
山形にいて、目の前の美しい山が、こんなエネルギー源だと知って、しかも、それがヨーロッパではどんどん技術的にも進化して、重要な自然エネルギーとして利用されていると聞いて、じっとしていられなくなりました。
そして、訪れたヨーロッパの山岳国オーストリアで見た光景は驚くべきものだったのです。木をエネルギー源に地域丸ごと暖房していたり、農家が大きな薪割り機で一気に薪をつくって、電子制御された薪ボイラで悠々と暖房を行っている姿は衝撃的なものだったのです。
そして、そんなことをやってのけている農家や林家がなんと楽し気であったか。そして、ぼくは薪ストーブを入れることにし、森のエネルギーは観念的な世界を越えて、ついにリアルな生活の中に入ったのでした。
薪づくりで体験するリアルな里山
山に入って木を伐るための仲間は幸いすぐに見つかり、いろんなところでいろんな木を伐ってみました。そしたら、なんと木が重いことか。日常的に使う割り箸や板は軽く、木は軽いイメージがあります。でも、それはしっかり乾燥されているから。伐りたての木は水気をたっぷり吸い込んでいて、非常に重いのです。
そんな水いっぱいの木は燃やしても燃えるはずがありません。乾燥が重要なのです。割って1年以上乾燥しなければ薪としては使えません。だから、春は薪もなくなり、次の冬の薪の用意を考えることになります。便利になった日常生活の中でそんな先のことを考えることはありませんでしたが、本当はそういうサイクルが生活や社会には必要なんだと気づかされるのでした。
新緑の頃は木が若葉を付けて水を吸い始めるタイミングでもあります。だから、昔の人は、冬の農閑期に山仕事をしましたし、水を吸わなくなった水気の落ちた木を雪の上を橇で下ろすのは、重い木を運ぶ運搬作業上も、燃えやすい薪をつくる上でも重要なことだったのです。なんと合理的なと思わずにはいられません。
そして、なんとそんなことをやったことがあるという方に出会ってしまったのです。橇がまだあるというので、雪山の中、実演イベントをやりました。
木という重いものを人間の小さな力で、山の地形や雪を活かして運ぶ。これほど山をリアルに感じられる体験はそうそうありません。実に楽しいイベントでしたが、こうした体験は現代社会にも応用できる基本的な素養を身に着けるものになり得るとも感じるのです。