滝山村の大学/楽しい暮らしのエネルギー07
滝山村
私は東北芸術工科大学でエコロジカル地域論という講義を持っていますが、その講義の中で最初に伝えているのは、この大学は滝山村の大学であるということです。芸工大のある地域は滝山地区と呼ばれているのを聞いたことがある人もいるでしょう。あるいは近くに滝山小学校があるのを知っている人もいるでしょう。
この地区は1954年(昭和29年)の合併以前は滝山村だったのであって、山形市ではなかったのです。現在は山形市の一部にはなりましたが、人口2万6千人、1万1千世帯を抱える滝山地区は山形市中心部以外では最大の地区です。
なぜそんな昔の村時代の話をするのかというと、地域の歴史を学ぶというだけでなく、この村というエリア単位が現代においても地域のリアルな環境を構成する基本であることに違いがないからなのです。
滝山村、現在の滝山地区は、瀧山という山を頂点として、そこから流れる瀧山川の流域で、JRの線路あたりまでの区域になります。滝山村役場は現在の滝山小学校にありました。山の頂から下流域まで8kmほどなのですべては見える範囲にあります。山があり、そこに雨が降り、川となり、その水が田んぼを潤し、その田んぼの土から米ができる。かつての住民はその米を食べて生きていました。だから、川の水がなくなれば米は作れなくなるし、水を汚せば米も汚れ、それを食べれば体も汚れる。そういう山と川と人の体がつながっていることが、手に取るようにリアルに分かる地域だったのです。
身土不二という言葉があるように、体と大地は一体のものということを住民は感じていたと思うのです。今の山形市のシンボル的な川は馬見ヶ崎川ですが、この滝山地区にとっては瀧山川こそが母なる川だったはずなのです。田んぼだけでなく、森も同じで、見えている山の木を伐って家をつくる。家だけでなく、日々使うエネルギーも薪として山の木を伐って冬の暖に使ってきました。いつも眺める山が寒い冬も体を暖めてくれる。山と暮らしが密接につながっていることを常に感じていたはずなのです。
山と川から生まれるコミュニティ
ライフラインというと今は電気水道となっていますが、かつては川の水や山の木が地域で生きていくための生命線であって、本当は今もそれは変わらないはずです。当時は地域で力を合わせて水路を切り開き、山の木を伐り、誰かが独り占めしないように運命共同体としての地域コミュニティが村や集落として生まれていったのです。つまりコミュニティというのは山の木や川の水を利用し、維持していくために生まれてきたものだったと考えられるのです。
こんな環境が芸工大のある滝山地区を眺めることで感覚としても分かるし、だからそこで学生と田んぼや山の調査をし、地元の人たちと田植えをやったりしているのです。今はお金さえ出せばスーパーで米を買い、スイッチを入れればいつでも電気を使える便利な時代ではあるのですが、生活を支える環境とは無縁のものとなってしまいました。環境とのつながりが見えなくなれば環境に害を与えても分からなくなります。
エネルギーや食、農業、森林など環境問題をいくら頭で理解しても、体で実感できなければ他人事となってしまいます。昔のような生活に戻して狭い地域の中で自給自足をしようということではありません。体験的ではあっても、日々の暮らしと環境の関係をリアルに感じる機会がもっとあってもいいのではないかと思うのです。
我がまちの形
ところでみなさんは自分の住んでいる町の形を書けるでしょうか。山形県の顔の形は何となく書けるでしょう。市町村の形も何となく書ける人がいるかもしれません。しかし、その下の町名の形を書ける人はそうそういないでしょう。例えば、東北芸術工科大学の住所は山形市上桜田3-4-5。上桜田は単なる住所としか思っていない人が多いでしょう。確かに住所としての地名は記号のようなものです。しかし、この上桜田もまたかつては村の名前でした。
130年ほど前にはなりますが、先ほどの瀧山村に1889年(明治22年)合併されたのでした。当時は54世帯、人口290人ほど。この上桜田の形は細長い三角形のような形をして、西蔵王の山に伸びているのです。山に向かってこういう形をしている地区は多いのです。
なぜそんな形をしているかと言えば、おそらく山を隣の村々と分けたからだと思われます。山が薪という生きていくために必要なエネルギーを得るための重要な場所だったからです。この細長い三角形の上桜田の中には、食やエネルギーを自給するための資源となる山と川と棚田があったのです。まちには形があり、そこには環境としての意味がありますから、みなさんも一度我がまちの形を見直してみてください。
エネルギーと食の町内会地産地消
山の木がバイオマスエネルギーとして再評価されるようになった今、こんな話を昔話と片付けてしまうのはもったいないのです。町内にある近くの山の資源は使われずに眠っています。これをもっとエネルギー資源としてみんなが使えば、町内会レベルでエネルギーの地産地消、エネルギー自給となるのです。
電気などが寸断されるような災害時の防災対策としても有効です。現に上桜田界隈の新しい住宅では薪ストーブの煙突がかなり目立ちます。古くからおられる地元の方々よりも、新しい若い人の方が薪ストーブを楽しもうとする感覚の人が多いのだと思います。山の木を伐ったり運んだりするのは昔はたいてい共同作業です。今また町内会レベルで共同の薪づくりなんてことができれば、それはまた現代的な意味も出てくるはずなのです。ちょうどそんな仲間も近くにいることが分かり、実際にチャレンジしてみたいと思っているところです。
食も同じようなことが言えて、山形市内は市街地でも畑や田んぼがあちこちにあり、161haにも上ります。我が家の隣の畑で野菜を作っておられる農家はリヤカーを引いて野菜を売りに来てくれます。こんなまちが山形市内にあるとは最初は驚きでしたが、農家の笑顔を見て、もぎ立ての完熟トマトなんか食べれるのは、最高のおいしさと、安心感です。山形の地産地消は、町内会レベルでできるんだと気づいたのです。
市街地の中の農地は、これまでどんどん住宅地になっていきました。しかし、今や人口減少時代です。住宅も空き家だらけで山形市内には1万4千戸の空き家があります。農地をアパートにする例もよくありましたが、山形市は特にこのアパートの空き家が目立ちます。もう新しい住宅はそんなにいらないはず。市街地と言えども農地をむやみに住宅地にするのではなく、上手に農地を残していくことで山形らしいまちをつくれるのではないかと思うのです。実際、今でも山形で自家菜園をやっている人は非常に多いです。
地産地消という言葉はよく使われるようになりましたが、県ぐらいの地域を指すイメージでしょう。市町村も平成の合併で大きくなったところも多いかと思いますが、山形県内をあちこち回っていると、やはり地域というのはもっと小さな単位から構成されていることがよく分かります。山形はもっと町内会や集落レベルで食もエネルギーも地産地消していくことを考えれば、おもしろい地域になっていきそうだと感じるのです。