ハードコアな能登を魅せろ。『NOTONOWILD(能登のワイルド)』
「正直、能登に住んでる人って全然スローライフなんかじゃない。むしろ、めちゃめちゃハードコアライフですよ」
3年前、不意にSNSで流れて来た写真。
荒っぽい祭りの写真に、殴り書いたような「NOTONOWILD」というロゴが印象的で思わずフォローした。その後も、“見たことない能登”が次々流れてくる。
どちらかというと、メディアでは「スロー」「ほっこり田舎暮らし」的トーンで語られがちな能登において、圧倒的異質さ。そして、小さなスマホ画面からも伝わってくる熱量。
「NOTONOWILD」って何だ。それは奥能登・能登町出身の青年が、当初たった一人で立ち上げたメディアだった。
今回は、バイブス漲る能登町最大の祭「あばれ祭り」初日に、「NOTONOWILD」発起人である辻野実さんのインタビューを敢行。金沢から車で2時間。能登町、やっぱり遠い。
DIY精神溢れる、能登の“ハーコー・ライフ”
−−「NOTONOWILD」を見つけたとき、「こんな能登があるのか」と衝撃を受けました。
辻野実さん(以下辻野):ありがとうございます。田舎暮らしはスローライフとかって言われますけど、正直住んでいる人は全然スローじゃない。むしろハードコア、“ハーコー・ライフ”です(笑)。
例えば僕の実家は、山から水引いてて、水路に草が詰まると水が止まっちゃう(笑)。それに、能登のじいちゃんばあちゃんのDIY精神がたくましくて、例え大震災が起きてインフラがなくなったとしても、あの人たちは生きていけると思う。それってめちゃめちゃカッコよくないですか?」
ーーメディアを立ち上げた経緯をお聞かせください。
辻野:とはいえ、僕も中高生の頃は、能登町に住んでることがものすごくコンプレックスで。外にで出てはじめて気づいたんですよね、“能登ってスゲーとこだった”って。
だから、“俺ら住んでたとこってカッコいいよね”って、若い人たちに誇りに思ってほしいし、カッコイイ先輩に憧れるとか、リスペクトの感覚も持ってほしくて。だから、能登町出身の友人達に声をかけて、“ワイルド”って切り口からメディアを立ち上げました。
ーー外に出て気づいた“能登町のカッコよさ”とは。
辻野:能登町って、人口1万7千人しかいないところで、年間170以上祭りがあるんです。もう狂ってますよね(笑)?
例えばここは宇出津で隣は鵜川って言うんですが、それぞれの祭りが全然違って、めちゃめちゃスタイルだしまくってるんですよ。それがすごくおもしろくて。
これは僕の憶測ですけど、こんなにも祭りが多いのは、昔は暮らしが苦しい土地だったんじゃないかと思うんです。「あえのこと(※1)」なんて、はたから見たらかなり異様な光景ですよね。あそこまで神頼みしないといけないほどだったんじゃないかって」
マイノリティとアイデンティティ
辺境を生きる、ヒップホップ精神
ーー「NOTONOWILD」では、オリジナルトラックやグラフィック、言葉の細部にヒップホップを感じます。辻野さんにとって“ヒップホップ”とは?
辻野:僕は、ヒップホップは精神性だと思ってて。「マイノリティ」と「アイデンティティ」、少数派であることと自己を表現すること。その手段が例えばラップだったり、グラフィックだったりするだけで、アウトプットは何でもいいと思ってます。
ーー「能登町」というローカルへの強い愛というか、“マイメン”精神も感じます。
辻野:「NOTO」とついているから、よく能登半島の他の地域の方からも「うちの町も撮ってほしい」とお声がけいただくのですが、全て丁重にお断りしています。「NOTONOWILD」は能登町出身の人しかメンバーに入れないし、能登町のことしかやらない(笑)。
あと、一切の資金を自分たちの手出しでやってます。どこからかスポンサート受けてると、そのスポンサーがいなくなったら活動できなくなる。それって誰かに依存しているってことで、カッコ悪いじゃないですか。
祭りは魂。祭りが消えると「土地が死ぬ」
ーー「NOTONOWILD」でも「祭り」が主題となっています。能登に生きる人にとって、祭りの存在とは。
辻野:能登町の祭りって、「フェス」じゃなくて「神事」なんですよね。我が家と町内の繁栄を願って粛々と行うもの。「あばれ祭り」にも県内外からたくさんの観光客が来てくださいますが、地元の人にとっては全く関係ないこと。
初日は割と賑やかなんですが、2日目の神輿は本当に神聖なもので、選ばれた男たちしか担げないんです。そこにも壮絶なドラマがあって。でも、それくらいの強い気持ちがないと、火の中にも入るし危ない。もし何かあって神輿から肩抜くことなんて絶対に許されないわけで。
初めてその光景を見た時、ワケも分からず涙が溢れ出たんです。神輿を担ぐ中に同級生もいて、いつもは普通に喋ってるヤツが、神様みたいに神々しいものに見えて。もう、女の子やったら、絶対キューンってなってます(笑)。
辻野:祭りがなくなっても、その土地で変わらず生きていくことはできる。けど、祭りがなくなるってことは、土地の魂がなくなるってこと。抜け殻の土地で生きていたって、活力がないし、おもしろくないじゃないですか。それを僕は「土地が死んじゃう」って表現してるんですけど。
「伝統だから残さなきゃいけない」じゃなくて、この土地で生きる上で絶対に必要なんですよ、祭りは。インフラが整備されるとか、新しい店ができるとかとは全く別の次元なんです。
ーー能登出身の人は、仕事を休んでまで祭りのために帰省することで有名ですが、祭りに参加しているときの当事者の感覚とは?
辻野:重てーーーーっすよ(笑)。重たいんですけど、一回キリコに肩入れて、あの重みを何時間も担いで、それをみんなと共有して酒飲んでっていう。その達成感を味わったら一瞬でトリコになると思います。もはやナチュラルドラッグですよね(笑)。
「能登で生きるのは難しい」
覚悟を持った移住者求む
ーー「NOTONOWILD」から派生して、現在では能登町の移住促進にまつわる様々な仕事も手がけておられますね。
辻野:ぼくが担当させてもらうまでは、「能登町に移住しましょう!ウェルカム、ウェルカム!」って感じの移住政策だったんですけど、移住後の離脱率が高かったんです。そういうのって、何よりも受け入れ側が疲弊して、次の受け入れのハードルが高くなる。
だから、「本当に覚悟を持ってきてくれた人だけ受け入れる政策に変えませんか」と提案しました。サイトの序文も「能登で生きるのは難しい」という一文から始めて。批判の声もいただきましたが、この方向に変えてから移住者が増えたんですよね、おもしろいことに。
辻野:そういう意味では、この町が本当に欲しているのは、能登町で育った人に帰ってきてもらうこと。みんなが「あいつが帰ってきた」って喜ぶので。
だから今度はUターン向けの特設サイトもつくりました。「仕事もないし、帰ってこんでいいわいや」という時代が長かったけど、今は違う。僕らが出てった頃のイメージとのギャップを埋めたくて。
ーー県内外問わず、能登出身で活躍されている方は多いですが、“能登で育つ”ことは大きかったと思いますか?
辻野:それこそ、鳥の声で起きて、虫の音に変わって、草木が揺れる音が聴こえて。人工物がない中で思春期をすごすって大事やったなと思いますし、何もないから考える時間は山ほどあった(笑)。大人からは“嘘つかない”とか“人を信じる”とか、人間としてあたりまえのことを教えてもらいました。
今、能登高校でたまに授業持たせてもらってるんですけど、そこでは「情報の受け取り方」を教えてるんです。これだけインターネットが普及していると、情報に対する格差ってもはや全然ない。けど、情報なんて報道の仕方ひとつで全く別のものになる。だから多角的に情報をとることと、その真贋を見分ける目が大事やなと。それさえあれば、どこに行ってもヨユーですよ。
ーー最後に、「自分たちの街をなんとかしたい」と思っている全国の若い方にメッセージを。
辻野:ありきたりでカッコわるいですけど、つまるところ「自分がやらないと誰がやるの」だと思ってます。勝手に責任感もってるバカになっちゃってください。