あんこの個性を守ることは、“人のつながり”を守ること。
「あんこの美味しい街に住めてよかった〜」なんて、呑気に思っていた。
出先の近くに和菓子店があれば、まんじゅうやおはぎを1つ2つ買っておやつに食べる。あんこを色々食べ比べる。そんなささやかな楽しみが、近い将来、消えてしまうかもしれない。
危機感を抱き始めたのは、前職で地域情報誌の編集をしていた頃、あんこ好きが高じて「あんこ特集」を組んだ6年前。「金沢の和菓子店はあと10年で半減する」というショックな予言まで聞いた。
ところが「現実のペースはもっと速い」という。今回は「戸水屋」店主で、「金沢生菓子専門組合」の前会長・戸水健司さんに“あんこ危機”の情勢をうかがってきた。
金沢人はあんこが大好き。なのに…?
もともと、金沢は和菓子店が多い街だ。そして金沢人は無類の甘いもの好きで知られる。家計調査(※1)では世帯ごとの購入額が菓子類総合1位、和菓子類も1位にランクイン。観光客も金沢に「和菓子」のイメージを抱き、期待してくる人は多い。(※1)総務省統計局家計調査。品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(2016年~2018年平均)
だからこそ、全国各地で和菓子店が減少している中でも、「金沢だけは大丈夫」なんて、高を括っていたのだけれど…。
「『金沢は茶道が盛んだから和菓子消費量が多い』といわれるけれど、それはひとつの表向き。もちろんお茶を習っている人も多いけれど、みんながみんな、毎日抹茶を点てているわけじゃないでしょう。金沢における庶民文化としての和菓子は、『朝生菓子』の“やったりとったり”で成り立ってきたという側面がある」
“普段のあんこ”=「朝生菓子」。
「朝生菓子」とは、通称“あさなま”と呼ばれ、饅頭やおはぎ、大福といった「朝つくってその日中に食べる和菓子」のこと。一口に「和菓子」といえど、本来は「和菓子屋」と「朝生菓子屋」は棲み分けされてきたそう。
「もともとのいわゆる“和菓子屋”は、お客様をもてなす茶菓子や、進物用のお菓子をつくる店のことでした。餅やまんじゅうといった“日常の菓子=朝生菓子”は和菓子店ではつくらなかったんです」
金沢特有の「校下」という概念。
また、エリアの住み分けにも特徴があったという。
「金沢では『校区』のことを『校下』と呼びます。『城下』と同じ考えで、“学校の下に広がる町”という捉え方やね。これはどうも金沢だけらしい。学校単位で、そこに住んでいる人たちが公民館をつくったり、消防団をつくったりしてきた。生菓子店も、校下ごとに1〜2軒あって、地域行事にまつわるお菓子はその地域の生菓子店が一手に引き受ける。それに対して、和菓子店はエリアを超越しているというか、校下に関係なく広く商売をしていました」
朝生菓子店の戦国時代。
「でも、だんだん地域という形が崩れてきて、住民同士の菓子のやりとりが少なくなくなった。もちろんネットの普及も関係してます。そうなると、朝生菓子店の方も、校下を超えて、和菓子屋と同じような商売のやり方をしなければいけなくなった。つまり、“まんじゅうのブランド化”が求められてくるわけです。そして今度は和菓子店の方も、朝生菓子をつくるようになってきた」
長い間「地域」を相手に商売をしていた朝生菓子屋さんが、今日ではジャンルやエリアといった住み分けが何もない広野に立たされることに。まさに和菓子店の戦国時代である…。
切っても切れない、朝生菓子と地域行事。
“和菓子ってあんなに手間暇かけて一個100円ちょっと。どうやって商売が成立しているのだろう…”とずっと不思議だったけれど、朝生菓子店の主たる売上は、店頭の小売ではなく、祝い事などの“注文菓子”なのだという。
しかし、地域の解体によって冠婚葬祭や地域行事は簡略化され、地域行事と切っても切れない関係にある朝生菓子も、例外なく打撃を受けた。
金沢の祝い事には「五色生菓子」
金沢で慶事の進物としてつかわれる和菓子といえば「五色生菓子」が代表格。しかし、今ではその風習も薄れつつある。
「お嫁さんの実家から、嫁ぎ先に五色生菓子を贈る。そこに飾り蒸篭(かざりぜいろ)も一緒についてきて、それが手形の代わりにもなり、軒先にいくつ箱を積み上げられるかは、家のステータスの現れでもありました」
菓子が伝える、ご近所近況。
「近所にお菓子や餅が配られるから、昔は何も言わなくても、どこそこの家にお嫁さんが来た、赤ちゃんが生まれた、ということは一目瞭然だった。お菓子が配られたら、今度はお祝いのお菓子が届く−−。そういうお菓子の“やったりとったり”がずっと続いていたんです。そのやりとりが消えた今、どこに誰がきたのかもわからなければ、隣の家に子どもが何人いるのかすらわからない。コミュニティが、自分の家族だけという閉ざされたものになった」
減少の一途をたどる朝生菓子店。
石川県菓子工業組合に加盟する和菓子店の半数以上は「朝生菓子店」が占める。その朝生菓子店の多くが、現在の店主が引退すると、後継者がいないという。
戸水屋も後継者はいない。「自分で選ぶのなら別だけど、親として子にこのジレンマを背負わせることはできない」と戸水さん。また、和菓子は設備コストがかかる割に、単価が安いので新たに起業するのも難しい業種といわれる。
和菓子店はなくならない。けれど個性は失われる?
「和菓子屋がゼロになることは、さすがにないと思う。けど近い将来、大手何社かと数軒かがのこる程度…という時代は来るかもしれない」。
あんこはなくならない。しかし“あんこの多様性”のようなものは失われてよいのだろうか。
困る、私個人としては非常に困る。「氷室饅頭」の食べ比べなどは、初夏の一興だし、人も街もあんこも、多様性が失われた一強状態で、おもしろくなるはずがない。
朝生菓子の命綱は、「人のつながり」。
「時代はもう戻らないから、昔のままの近所付き合いが復活することは難しい。けれど、自分の家族だけにとどまらない、“人のつながり”さえ生きていれば、なんとかなるのではないかとも実は思っていて。今、新しい形のコミュニティも生まれています。その発展が、私たち朝生菓子店にとってひとつの希望ではあると思ってます」
“金沢らしさ”なるものを求めて、今日観光客はひっきりなしにやって来る。けれど、その“らしさ”を支えているのは、朝早くから餡を炊き、毎日同じ時間に暖簾をあげる小さなお店や、それを買い求める市民の、名もなき日常の堆積でしかないはずだ。
ほんとは事業承継とか、もっと明快な解決策が提示できる記事にしたかったけれど、現実はそれほど単純じゃないようだ。あんこ好きの一人として、金沢のあんこが瀕する静かなる危機を、せめてここに記述しておきたいと思う。