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統一されたモダンな街並み「鈴蘭街防火建築帯」/建築で巡るやまがた(7)

2019.08.20

山形市中心部の繁華街として、七日町エリアと並ぶ賑わいを生んできた駅前エリア(特にすずらん街)ですが、近年は若い世代を中心に多くの飲食店が新規出店している印象があります。

この「すずらん街」(正式には大手門通りすずらん商店街)の街並みは、よくよく見ると統一された端正なデザインの建物の連続になっていることに気づきます。それは、今から60年ほど前にこの一帯が再開発された際に生まれた貴重な景観です。

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建物の高さやアーケードの名残の庇などが統一された街並みが連続する

これは「防火建築帯」とよばれ、1952(昭和27)年の耐火建築促進法制定から1961(昭和36)年の防災建築街区造成法制定までの間、全国84の都市で国からの補助もうけ建設されたもの。震災と戦災を経て戦後急速にすすめられた都市の不燃化と市街地再開発の手段として、主に中心部の沿道商店街で実施されました。

すずらん街では戦後人通りが多い割に道が狭いという従来からの問題をうけて道路拡幅を計画しており、それに伴う建物のセットバックを機に、商店街のおよそ8割を耐火建築化することとなりました。規模的には鉄筋コンクリート造3階建てが主で、その1~2階を店舗、2~3階を住居として使っています。区分所有法ができる以前であり、基本的に各自の土地所有境界をそのままに、建物を長屋形式に連続させて区分所有しています。

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連続した共同建築はそれぞれの境界ごとに区分所有されている

デザイン的には、前回取り上げた「旧梅月堂」と同じ流れを汲む白と直角といったモダニズムのデザインといえます。白い箱と大きなガラス窓という特徴はそのままにして、旧梅月堂は角地に立つ単体の建築ですが、すずらん街の防火建築帯はそれが規格化された沿道の街並みとなって都市に現れています。

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統一されたスカイラインと開口部(サッシ)のデザイン

築60年と、そこまで古い建物でもないのですが、基本的には店舗でテナント貸ししているところも多いため、内外装は1階部分を中心に完成当時の原形をとどめていないところが多いようです。ただオリジナルの共通点として、屋根は陸屋根(屋上テラス)、外壁はモルタル吹付仕上げ、開口部はスチールサッシ、横長窓の両側には戸袋のような突き出た壁、アーケードの名残の庇などがどの建物にも見てとれます。

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時間の経過によりそれぞれ少しずつ手が加えられ外壁色や開口部の形状が変わってきている

この防火建築帯の一角にある旧とみひろ本社ビルが、東北芸術工科大学の協力のもと今年5月にリノベーションされ、カフェ/オフィス/住居の複合拠点として生まれ変わりました。1階にコーヒーショップと共同オフィス、2階に貸しオフィス、3階に賃貸住宅を配し、既存建物を最大限活かした造りになっています。

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老舗呉服店・とみひろのロゴが残る1階まわり。通路奥には駐車スペースも
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1階コーヒーショップ内観。コンクリートの梁が現しになっている

 

2階の貸しオフィスは天井周りがほぼスケルトン状態となっていて、鉄筋コンクリート造の構造体が手に取るようにわかります。通りに面した窓は全面的に開放されていたのに対し、裏側に面する窓はかなり控えめに感じます。

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2階貸しオフィスでは小まめに架けられたコンクリートの梁が見られる
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通りに面さない建物の裏側は開口部もまばら

このすずらん街の防火建築帯を設計した人物は不明ですが、その計画にあたっては当時防火建築帯で先進的な事例であった沼津本通り商店街を模範にしており、当時山形の行政関係者や商店街の人たちが大勢視察に出かけたようです。

沼津の防火建築帯は「沼津方式」と呼ばれ、建物は一階のみがセットバックしてアーケード式の歩道になりその上部に載る形となる2、3階は商店主の住居として利用されましたが、この方式は沼津のみで打ち切りとなり、山形では普通に建物すべてがセットバックした方式の防火建築帯となりました。

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もし沼津方式で建設されていたら、歩道の上部に住居建物が載っかっていたかもしれない

全国の防火建築帯を最も数多く手がけた人物として、建築家・今泉善一(1911-1985)の名が知られています。今泉は工学院建築本科を卒業後、大蔵省営繕管財局に製図工として勤め、山口文象(旧梅月堂の設計者)が組織する創宇社建築会に参加するなど、若い頃から都市労働者のための建築(特に共同住宅)に強い関心を持っていました。

戦後今泉は前川國男事務所やいくつかの組織を経て、1951(昭和26)年 財団法人建設工学研究会に参加し、そこで建築家・池辺陽とともに先述の沼津防火建築帯などを手がけることになります。1957(昭和32)年には日本不燃建築研究所を設立し、各地の防火建築帯を設計していきます。

すずらん街の防火建築帯に今泉が関与したかは不明ですが、建物のデザインを見ると何かしらの影響は受けていてもおかしくない気はします。

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山形市では駅前地区と鈴蘭街が防災建築街区に指定され、再開発が行われた

すずらん街の防火建築帯が建設された後、今度は「鈴蘭街防災建築街区」として国の指定を受け、一帯の整備が進みました。山形市ではその後、山形駅の改築と駅前広場の整備を皮切りに「山形駅前地区防災建築街区」として駅前一帯の再開発が行われました。

この駅前の防災街区造成事業に関与していたのが、日本不燃開発研究所というコンサルティング部門も併設していた今泉善一で、今は解体された旧ニチイ(ビブレ)や旧十字屋をはじめ、今も残る山形駅前の主要なビル群にも数多くかかわったことが記録されています。

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山形駅前防災建築街区で現存する第一ビル(左)と前田ビル(右)

防火建築帯は1950年代~60年代にのみ見られた貴重な建築形態ですが、それは昔の長屋形式の町屋のようでもあり、統一されたスカイラインによる街並みづくりを考えた中低層の建物による再開発は、その後の高層化による大規模再開発と比べても今更ながら地方都市の身の丈に合っていたと感じます。今泉らが手がけた沼津の防火建築帯は、DOCOMOMO Japanにより「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に2017年度選定されています。

再開発から半世紀以上が経過した山形駅前エリアは、近年大型店の撤退がつづき県都の表玄関としての今後の街づくりの方向性が模索されています。半世紀前の人々が直面していた時代変化とは逆の人口減少・都市縮小の流れが明らかな現在、駅前の顔としての美観の向上、環境の改善、都市機能の充実に向け、過去の再開発を振り返るとまた新たな気づきが得られるかもしれません。

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所有者の異なる敷地、街区を越えて高さが統一された街並みの実現は今や奇跡ともいえる

(参考文献)
・山形駅前防災建築街区造成事業の概要 山形市建設部
・山形駅前防災建築街区造成事業について 伊藤善二著
・山形市政夜話 山本竹司著
・建築雑誌73巻854号「商店街の不燃共同化の諸問題」 今泉善一著
・都市の戦後 雑踏のなかの都市計画と建築 初田香成著

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