real local山形 » 大藏流狂言方の「見る」子育てとは? 映画『よあけの焚き火』土井康一監督×能楽師大藏流狂言方・大藏基誠さん×康誠くん/わたしのスタイル4(後編)【この人】

大藏流狂言方の「見る」子育てとは? 映画『よあけの焚き火』土井康一監督×能楽師大藏流狂言方・大藏基誠さん×康誠くん/わたしのスタイル4(後編)

前編では、映画『よあけの焚き火』と初監督作品に込めた土井康一監督の思いを紹介しました。

ところで本作、すでにご覧になった方のなかには、大藏基誠さん康誠くん親子の共演シーンに心が和んでしまった方も多いのではないでしょうか。特に雪原でのシーンは、隠そうにも隠しきれない二人の関係が浮かび上がり、まさにドキュメンタリーを観る思いです。まだご覧になっていない方のためにあまり深くは言及できませんが、しかしお二人のシーンがどのように演じられていったのか、また狂言という芸能についても、ぜひ聞いてみたいと思います。まずは常時軽妙なやりとりで笑わせてくれた康誠くんに伺っていきます。

大藏流狂言方の「見る」子育てとは?  映画『よあけの焚き火』土井康一監督×能楽師大藏流狂言方・大藏基誠さん×康誠くん/わたしのスタイル4(後編)
映画『よあけの焚き火』より ©桜映画社

狂言が題材にするのは
人の弱さやおもしろさ

大藏親子の親密さに見入ってしまう劇中での雪原のシーン。台本には細かい指示はなく、大藏さんが康誠くんに「とにかくパパの真似をしなさい」とだけ言って挑んだそう。楽しかった?緊張した?の問いかけに康誠くんは「お父さんは大人だから、いろんな事情をわかっていて緊張したと思う。でも僕はただ、雪の上でやっとパパと遊べるなって思っていただけだから……なのでまとめて言うと、楽しかったです」と健気ながら極めて冷静なコメント。大藏さんも、「それまでのシーンには、やはり実際の自分たちとは異なる人物に演出されているところもあったのですが、あのシーンでは、ぱっと僕らを素で出せたんじゃないかなあという気はしていますね」と表情がやわらぎました。

大藏流狂言方の「見る」子育てとは?  映画『よあけの焚き火』土井康一監督×能楽師大藏流狂言方・大藏基誠さん×康誠くん/わたしのスタイル4(後編)
左より、能楽師大藏流狂言方の大藏基誠さん、康誠くん、土井康一監督。フォーラム山形にて。

今回の撮影では、台本に演出面での指示のないところでは、大藏さんが康誠くんに事前に「こうしてごらん」と声をかけ、康誠くんもそのアドバイスを実際にどう表現するか、自分で考えて演じていったと言います。「そこはやはり普段から舞台に立つ狂言方だからこそのありがたい振る舞い」と土井監督。ところで、本作では伝統芸能のなかでも狂言がモチーフとなったのはなぜだったのでしょうか。土井監督は、「それは狂言が喜劇だから」だと言います。

狂言は能とともに能楽と総称され、平安中期に起こった猿楽の流れを受けています。室町時代の成立以来、発展を遂げていく過程において各々の特徴が生まれ、能は歌舞劇として確立し、題材としても貴族的社会を描く荘重なものが多いのに対し、狂言は対話劇として社会における滑稽を描き、多種多様な笑いを含む庶民的な題材を扱ってきました。()狂言には、大藏流と和泉流の2流派を合わせて現在約260もの曲がありますが、大藏さんは、「題材になっているのは、人間の弱さやおもしろさ」だと言います。そして約650年の長きにわたり今日まで受け継がれ、2008年には能楽はユネスコ無形文化遺産にも登録されました。

「これだけの歴史があり、狂言の曲の中では誰一人として死ぬ人が出てこないということを知ったんです。それはとてもいいなと。自分の映画のなかには、何かこの狂言がもっているようなおおらかさや、笑いの要素を入れたいなあと、そんな思いがあったんですね」。

「狂言は楽しくやるもの」という
父からの教え

親子としての親密さの一方で、やはり格式ある稽古シーンは、映画のなかでも特に緊張がみなぎっています。稽古場には、言葉以上の濃密なやりとりがあるからかもしれません。大藏さんは、稽古というのは「自分が鍛錬してきたものを師匠に見てもらう場所」なのだと言います。

大藏流狂言方の「見る」子育てとは?  映画『よあけの焚き火』土井康一監督×能楽師大藏流狂言方・大藏基誠さん×康誠くん/わたしのスタイル4(後編)
映画『よあけの焚き火』より ©桜映画社

「よく『毎日稽古されているんですか』と聞かれるんですが、手取り足取り毎日稽古してもらうのではないんですね。師匠の動きをよく見て盗み、自分で日々稽古して、週に一回先生に見てもらう。そうやって日頃から自分で自分を磨き上げていくんです。そうすると、映画のなかに映っているように、生活のなかでも、何につけても狂言やってるということになるんですけどね(笑)」

そんな大藏さんの言葉を聞いて康誠くんが、「それ、本当です。お父さんは本当に狂言のことしか考えていなくて。キャンプでも木で舞台を作って、狂言をやっていました」と太鼓判のコメント。大藏さんによれば、康誠くんがまだ小さい頃には、一緒にミニカーを動かしながら、「そろり、そろり」と狂言の台詞を口ずさんで遊んでいたそう。「そうやって身近なところから、直接身体に染み込ませていくというかんじで。それは僕自身もそうだったんですね。狂言は楽しくやっていくということは、父から教わってきたことです」

こんなお父さんを、康誠くんはどんなふうに見ているのでしょう。尋ねると「かっこいいお父さん!」と即答。「ずるいよな、お前。そう言っておけばパパの機嫌がいいからって」とすかさず突っ込む大藏さん。「でも子どもって、本当に大人のことをよく見ているんですよね。子育てにおいてこうしようと決めてきたことは特にないんですが、親の側もとにかく常に子どもを見ていないとできないものだなあというのは非常に思います。だからいつも見るようにはしていて」。

大藏流狂言方の「見る」子育てとは?  映画『よあけの焚き火』土井康一監督×能楽師大藏流狂言方・大藏基誠さん×康誠くん/わたしのスタイル4(後編)

作中の稽古場面の張り詰めたものは、大藏さん、康誠くんの互いを「見よう」とする眼差しのなかに、様々な継承の原点にある親子の対話を感じさせるからなのかもしれません。そしてあらゆる親子のあいだのその眼差しこそが、次の時代への希望のようにも感じます。

大藏さんにとって康誠くんは、息子であり弟子であるのはもちろんながら、気持ちとしては「同志」なのだと話しました。一緒に狂言の世界を盛り上げていく仲間としての感覚なのだと。

8月の上映時には、挨拶した舞台上で康誠くんを見つめ、「お前かわいいな」と思わず漏らして笑いを誘った大藏さん。「同志」と語ったその響きにも、気負わない明るさが満ちていました。

参考:小林責監修・油谷光雄編『狂言ハンドブック 第3版』(三省堂)

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映画『よあけの焚き火』より ©桜映画社

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