「eAT金沢」って何だ?【後編】
山出保さん、宮田人司さんインタビュー
「eAT金沢」の様子をお伝えした前編に続き、21年前にeAT金沢を始めた「言い出しっぺ」の前市長・山出保さん、「eAT」がきっかけで金沢に移住してきたクリエイター・宮田人司さんと、お2人のインタビューから「eATとは金沢にとって何なのか」を考える後編です。(前編はこちらから)
まちづくりにおける“クリエイター”の重要性。
いまでこそ「金沢は伝統的なものと新しいもののバランスが良い」という褒め言葉が常套句になっていますが、eATが始まる以前、21年前の金沢といえば、歴史や伝統文化など圧倒的に“古いもの”が金沢のキャラクターとして前面に出ていた印象がありました。
その金沢で、なぜ「エレクトロニック・アート・タレント」を掲げた最先端テクノロジーを扱うイベントを、市として主催してきたのか、まずは前金沢市長の山出保さんを訪ねました。
「僕はデジタルのことは知らんがいぞ。アナログ代表選手やから」と、柔和な笑顔で迎えてくださった山出さん。
「僕の好きな言葉にね『伝統を創り得るものはまた、伝統を毀(こわ)し得るものでなければならぬ』という哲学者・三木清の言葉があります。ただ古いものを守るだけでは伝統をつくることにならない、そこにつねに挑戦がなくては。
そういう過程の中で生まれたもののひとつが、『eAT金沢』だったんです。
ただ、新しいことは“入れ方”が難しい。『新しさ』と『珍奇』は違う。例え新しくても、もの珍しいだけのものはむしろ避けていかねばならないと思っています。だからこそ『ほんものとは』『オーセンティックとは』という議論が必要なのです」
eAT金沢では、トークイベントの一方で、子ども向けのプログラムを導入したり、学生や観客がゲストと夜通しで語り明かせる「夜塾」を開催したりと、若手クリエイターの育成にも注力。また、その延長線上として「ITビジネスプラザ武蔵」というデジタルテクノロジーにまつわるスタートアップを支援する施設を市として運営しています。
「eATは未来への投資です。僕は当時市長として、イベントの成功自体よりも“人が育っているか”が何より気がかりでした。
eAT金沢を一緒に始めた東京大学の故・浜野保樹先生に『先生、後は育ってますか?』と尋ねると『しっかり育ってますよ』と頼もしいお言葉が返ってきて安心しました」
実際に、金沢美術工芸大学卒業生など、金沢で学んだクリエイターの活躍も目覚ましい。ゲームクリエイター・宮本茂さんやアニメ監督の細田守さん、米林宏昌さんはじめ、最前線を行く先達に引っ張られるように、金沢でのクリエイティブの裾野は確実に広がっています。
また、金沢市ではクリエイターの事務所開設のための奨励金や補助金が手厚く用意されています。市としてなぜクリエイターにこだわるのか、また山出さんにとっての「クリエイター」の定義とは。
「2015年に北陸新幹線が開業しました。僕は新幹線の役割りは東京から“智慧”を呼ぶことやと思う。では智慧とはなんぞやと聞かれたら、“クリエイター”のことだと思うのです。彼らが土地の人と交流する中で、新しいものが生まれてくる。僕はクリエイターに、文化的価値の創造を期待しています。
クリエイターというのは、僕は『モノマネをしない人』だと思っています。ヨソのマネなんてせず、常に立ち止まらず新しいことを考えている人であれば、ジャンルの如何は問わないのではないでしょうか」
そして、金沢市の手から離れた今も、スタイルを変え、テーマを変えながらも、志を受け継ぐクリエイターによって続いているeAT金沢。「eATが進化しているということは、イノベーションに終着はない、ということの表現なのでしょうね」と山出さんは嬉しそうに微笑みました。
ここで、実際にeATがきっかけで金沢に移住してきて、現在もeATの実行委員を務めるクリエイター・宮田人司さんにバトンタッチ。eATとは彼らにとってどんな存在だったのかをうかがいます。
「eATがなかったら、いま僕はここにいない」
宮田さんが金沢に移住してきたのは2010年。その後、追従するようにクリエイターの移住が増加し、把握している範囲でもベンチャーが17社起業、30人近くが移住してきています。
また、ビジョナリーの育成と創業支援を目的とする「GEUDA(ギウーダ)一般社団法人」を立ち上げたり、若手のクリエイターの育成にも尽力。そんな金沢のクリエイティブシーンのキーマンといえる宮田さんも「eATがなければ、僕は確実にここにいなかった」と話します。
宮田さんがeATにゲストとして初めて招かれたのは、第4回となる2001年から。当時実行委員長だった故・浜野保樹さん(東京大学名誉教授)からの「今度の1月に、金沢にカニ食べにこない?」という一本の電話がきっかけだったそう。
「正直言うと、最初はeATって食べ物のイベントだと思ってましたよ。だって誘い文句が『カニ食べにこない?』ですよ?(笑)でも、ゲストを見ると、よくこんな人達を集められたなと感心するような、時代の著名人ばかりで。よくわからないけど、金沢で年に1回こんな面白いことしてるんだなーとは当初から思っていました」
それ以降毎年ゲストとして呼ばれるようになり、第7回からは実行委員として、そして2005年には総合プロデユーサーとしてイベントの指揮をとるように。
「eATは参加しているクリエイター自身がおもしろがっている部分も大きいですね。ゲスト同士がeATをきっかけに出会って、一緒に仕事をするようになった話はざらで、『eATに呼ばれないと一流のクリエイターじゃない』という雰囲気までありましたから。
それまで、東京で金沢について詳しい人ってあんまりいなかったけど、2006年くらいから『金沢行ったことある?』ってちらほら聞くようになって。だから、実はクリエイターから金沢の良さが伝播していったんじゃないかと思っているんです」
eATをきっかけに、金沢の旦那集からも可愛がられるようになった宮田さんは、その後も足繁く金沢に通うことになり、そして2010年、ついには家族を連れて金沢に移住するまでに至ります。
「金沢市が19年間このイベントを続けて来たことは偉業だと思います。普通、続いても5年とかじゃないですか。
イベント自体より、人にフォーカスしているところが金沢らしいし、山出さんの思慮深さなんだと思います。ダイバーシティーとか、最近よく聞くようになったけど、そういう意味では金沢は昔からその重要性を意識していたんだなと」
eATは「エレクトロニック・アート」というキーワードから始まったイベントですが、宮田さんは自身が総合プロデュ—サーを務めた回で、eAT史上初めて「ビジネス」という概念を取り入れました。
「いわゆるデザインとかアートだけが、“クリエイティブ”じゃないと僕は思っていて。
eATは『エレクトロニック・アート・タレント』が始まりだったけど、1990年代当時はMacが使えるだけで驚かれていた時代だったからこそ、それが一番新しかった。『イート』って言葉自体は残っても、中身はどんどん刷新していくべきだと思うんです。
山出さん達が、10年も20年も先を見据えてeATを開催したように、僕らの世代も未来を考えてそろそろ動いていってもいいのではないかと思っています。僕らは多分、もうそのバトンを受け取っているんです」
20年以上前に、デジタル・テクノロジーやエレクトロニック・アートを標榜し、全く新しい祭典としてスタートした「eAT金沢」。一処(ひとところ)に固執せず、つねにまだ見ぬものを希求するeATのクリエイティブ精神は、新たな世代へと確実に受け継がれている。
2018年はどんなイベントになるのか、全く予想がつかないからこそ、eATはおもしろい。