【岐阜】街の記憶と食をつなぐ「enso 玉宮」 円相フードサービス代表取締役 武藤洋照
そこは玉宮という街の記憶そのものだった。戦前のこの街の風景をとどめる数少ない顔「旅館山口屋」。
かつての連れ込み宿としての役割はとうに終わっているが、建物の存在は変わりゆく通りの表情をぎりぎりで繋ぎとめる役割を担っていた。
この街で、八十八商店を始め様々な業態の飲食店を運営する円相の武藤は、ここが解体されて駐車場になる、という噂を耳にした。
10代をドイツで暮らした武藤は、数百年変わらぬヨーロッパの街並みに対して、物凄い速度で古い建物が解体され街がいびつに変容していく地元岐阜の景観を絶望的な思いで眺めてきた。
「2年程前にドイツに行って家族が暮らした家を見てきたけど、何も変わっとらんかった」岐阜弁で話す武藤がドイツを離れて30年は経過している。
そんな武藤にはその解体を指をくわえて眺めるという選択肢はなかった。そこで何を行なうかも決まらない内に所有者と交渉を始めたのだ。最終的に、建物の補修も設備もすべて借主の円相が負担するならば、という条件で賃貸借が決まった。
これまでも一筋縄ではいかない物件を借りて店舗を開業させてきたが、木造で至るところ増築や改築が繰り返されてきた建物。しかも一棟まるごと。さすがの武藤もはじめての経験だった。
ともに店づくりを進めてきた仲間たちと床壁天井の解体をしたとき姿を現した小屋裏の梁と柱。日本の伝統工法の軸組みは美しい。しかし今、もはやその材料も大工の技も簡単に手に入れることはできない。 建築の材料はひたすら規格化が進み技術が失われていく。
食の世界も同じようにいつしか効率ばかりが優先されて、地産地消という本質が見過ごされるようになっている。
武藤は、この店の名に創業の思いを込めた「円相」冠し「enso 玉宮」と名付けた。食にマジメでありたいと考える武藤の思いが街とようやく繋がったのだ。
地場野菜と肉料理のビストロ居酒屋「enso 玉宮」は開業後ずっと賑わいが続く。岐阜市の景観奨励賞も受賞した。
岐阜を訪れるとき、いや、わざわざでも行ってもらいたい店だ。食も建物も街も、ほんの少しの手間を惜しまないことではじめて味わえる何かがある。