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表現主義×鉄筋コンクリート造の先駆的学舎「山形市立第一小学校旧校舎」/建築で巡るやまがた(3)

2018.10.31

今から10年ほど前、山形市の中心市街地活性化政策の目玉であった「三つの新名所づくり」の一つとして、「山形まなび館」がオープンしました。山形市の街のどまんなかにある第一小学校の旧校舎として元々は建てられたものです。旧校舎の南側には近年新校舎が増築され、いまも児童たちが日常的に通う学校敷地となっています。

表現主義×鉄筋コンクリート造の先駆的学舎「山形市立第一小学校旧校舎」/建築で巡るやまがた(3)
正門と旧校舎のあいだに設けられた前庭広場では、定期的に産直市などが開催されている

この旧校舎が建てられたのは、前回取り上げた「旧県庁舎及び県会議事堂」の完成から11年後の1927(昭和2)年。旧県庁舎が石張りのレンガ造だったのに対し、こちらは当時国内でも最先端だった鉄筋コンクリート造を山形県の学校建築で初めて採用しています。1923年の関東大震災のあと東京では復興事業の一環として鉄筋コンクリート造を採用した「復興小学校建築」が計画され、翌1924年から十年ほどかけて数多く建設されるのですが、東京でも途上であった最先端の学校建築を地方の山形でかなり早い時期に実現していたことに驚きを覚えます。

この建物はそうした歴史的価値から国の登録有形文化財となっているほか、経済産業省の近代産業遺産にも認定されています。2010年からの3年間、デザイン事務所・コロンが「山形まなび館・MONO SCHOOL」として運営したときには、グッドデザイン賞ベスト100も受賞しています。

校舎は3階建てで、正面中央の塔屋部分のみ一部4階建てとなっています。外からはあまりわからないのですが、地下階があるのも特徴です。東西に長い校舎形状である一方で、山形市は東から西に向かって傾斜する扇状地にあるため、校舎前の地面を見ると西側の方で大きく高低差が生まれています。

表現主義×鉄筋コンクリート造の先駆的学舎「山形市立第一小学校旧校舎」/建築で巡るやまがた(3)
旧校舎の北西角。校舎内部の床はフラットだが、外の地盤面は西に向かって下がっている

建物のデザインには、1920年代に最盛を迎えたドイツ表現主義やアールデコの影響が見受けられます。 ドイツ表現主義(表現派)は主観的・有機的なデザインを基調とし、フランス語で「装飾芸術」を意味するアールデコは円や直線がつくる幾何学模様によって生み出され、共に歴史主義からモダンデザインに至る建築のスタイルの大きな変革期に位置づけられています。

同時期に建てられた先述の「復興小学校」もまたドイツ表現主義の影響を強く受けているといわれていて、この第一小学校の旧校舎との関連性をなおさら感じてしまいます。

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創建当時から残るコンクリート製の門柱や柵からも、表現主義の影響が感じ取れる

外壁はモルタル塗り。縦のラインが強調されるデザインで、所々に単独・連続アーチが出現。開口部はそれまでの木製窓に変わり当時最先端のスチールサッシやスチールドアがはめ込まれていました。2010(平成22)年に完了した改修工事の際に、外壁はきれいに塗り替えられサッシは現代のアルミサッシに更新されたため、現在はだいぶ化粧直しされた状態となっています。

屋根はパラペット(縦三本線の装飾が連続して入っている)の立ち上がった平らな陸屋根。地上から見上げると当然屋根自体は見えず、パラペットの外側のみ見えます。安全上の問題はありますが、広大な屋上空間からは四方の山々を見渡すことができそうです。

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石やレンガに比べるとモルタルは端正な表情に見える
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塔屋内から屋上を見る。テニスコートが何個も入りそうな広さ

建物平面はコの字型で、中央に塔屋のある正面玄関と二手に分かれる正面階段、中庭を囲んで左右対称に廊下が回っていくプランは、旧県庁舎のそれとも似ています。近年完成した新校舎によってコの字からロの字に閉じる形となりました。新校舎は旧校舎の意匠になるべく合わせた形となっていて、一瞬どこまでが旧校舎なのかわからないほど。

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今は芝生の中庭だが、かつてはプールがあったことも
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旧校舎の意匠に合わせて近年増築された新校舎(奥)

内装仕上げは、壁が漆喰塗り、床が地松のフローリングとみられます。天井は高く、各部屋の開口部も大きくたっぷりと採光がとられている印象です。これは鉄筋コンクリート造によって実現できた空間ならでは。一方で、室内装飾は旧県庁舎とは比較にならないほどごくわずかなものとなっていて、構造体であるコンクリートの柱や梁の連続が一つのリズムになっているようです。  

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雑巾がけレースができるくらい一直線に長く続く廊下
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かつての教室は観光情報などのスペースとして開放されている

建物中央の正面階段は、人造石研ぎ出しの手すりがカーブしながら4階まで上がっていきます。よほど手すりを遊びで滑り落ちる子どもが多かったのか、手すりには何個も鉄の鋳物のようなものが付いて滑り防止策となっています。

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手すり壁は表現主義を感じさせる曲線を活かしたデザインになっている
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ここにもアールデコの影響が見受けられる

この第一小学校の旧校舎を設計したのは、山形市の秦・伊藤設計事務所(当時の名称)。事務所の創立は1924(大正13)年と、山形県内では最も古い歴史をもち現在もなお最大規模の所員数を有する設計事務所としてつづいています。その名の通り、秦鷲雄(上山出身)と伊藤高蔵(西川出身)の二人が、東大建築学科教授も務めた建築構造学の第一人者・佐野利器(白鷹出身)の指導・勧めもあり開設したものです。

中学時代に上山の佐野家に養子に入った佐野利器(元の名は山口安兵衛)は、そこで年の近い秦と従兄弟の関係となり特に親しくしていたようです。のちに秦の妹が佐野の妻になるなど、佐野と秦は終生の兄弟付き合いとなりました。関東大震災後、佐野は帝都復興院建築局長、東京市建築局長を歴任し「復興小学校」の陣頭指揮をとっており、当時最先端の鉄筋コンクリート造の学校建築について佐野から秦に多かれ少なかれ助言や指導があったことは想像に難くありません。

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今も残る改築記念のプレートには、設計並びに監督技師として、伊藤高蔵の名が記されている

秦・伊藤設計事務所は初代所長に秦鷲雄、二代目所長に伊藤高蔵が就き、現在の五代目所長に引き継がれています。伊藤高蔵が設計したといわれるものでは、シネマ通りに建つ七日町二郵便局(建設当時は丁子屋)が秦・伊藤設計事務所の創設の翌年(1925(大正14)年)の建設として知られ、十日町の「乃し梅本舗 佐藤屋」本店が1934(昭和9)年の建設であり、大正から昭和初期にかけて優れた建築を多数残しています。

現存しませんが、シネマ通りのシンボルでもあった「シネマ旭」という映画館もその設計といわれ、1955(昭和30)年に建設されました。「シネマ旭」は戦後の建物ですが、すでにその時代では過去のものとなっていたはずの表現主義の名残を感じさせるデザインとなっていたのが興味深いです。

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七日町二郵便局(旧丁子屋)は、歴史主義の残り香のするアールデコがかったデザイン
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乃し梅本舗佐藤屋本店は木造モルタル仕上げの防火建築で、歌舞伎座を思わせる近代和風のデザイン

建築のデザインとしても構造としても当時の最先端をいっていただけでなく、山形に拠点を置く設計事務所が手がけた最初期の記念碑的な建物として、この第一小学校の旧校舎は非常に重要だといえます。現在は1階と地階を活用し「観光文化交流センター 山形まなび館」として、観光情報室やイベントスペース、カフェのほか、教育資料の展示室「紅花文庫」、市の文化財展示室などが設けられています。特に西棟は「交流ルーム」として市民活動や生涯学習の場として広く貸し出されていて、平日の日中に行っても多くの市民に利用されているのがわかります。

現在使われていない2階、3階部分は、今後の利活用が期待されていて、90年前の先駆的な存在であった当時を彷彿とさせるような刺激的な場になる可能性をまだまだ秘めています。

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2階、3階部分の広大な校舎面積が、利活用の時を待っている

 

(参考文献)
・日本の近代建築(下)―大正・昭和篇― 藤森照信著
・~地域創造に意欲を燃やして70年~秦・伊藤建築設計事務所作品集 株式会社建設新聞社発行
・シリーズ都市・建築・歴史9 材料・生産の近代 鈴木博之・石山修武・伊藤毅・山岸常人編
・佐野博士追想録 佐野博士追想録編集委員会発行
・上山郷土叢書(一)異彩ある人物 上山市教育委員会発行

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建築家・井上貴詞インタビュー記事はこちら

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