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大地を目ざます、春の舞踊

山形に伝わる民俗芸能「田植踊」

2017.05.10

山形在住の美術家・是恒さくらさんが山形市をフィールドワークして、日常風景に潜む「信仰」を紐解くシリーズ。第3回のテーマは「田植踊」です。

古くから伝わる芸能の起源は、神や精霊と交わる行為にありました。舞や踊り、歌を通した非日常的な体験を経て、神の境地に自らの精神を近づけることだったのです。

太古の昔から、大地を拓き作物を育ててきた人たちにとって自然は恵みであるとともに、畏れの対象でした。芸能は、自然のなかの神々や精霊に祈りや願いを捧げるためのものだったのです。

いまに残る芸能のかたちに興味を持つうち、「田植踊」を見たくなりました。

田の神に豊作を祈願する民俗信仰に起源を持つ民俗芸能で、踊りのなかで稲作の過程や田の神の来訪が演じられます。東北地方に固有の芸能で、山形市には11の田植踊があり、この数は全国随一。それぞれの田植踊は地区の名が名称になっています。

大地を目ざます、春の舞踊
山家田植踊保存会の田植踊

大型連休の始まりの4月29日、山家(やんべ)地区に伝わる山家田植踊(やんべたうえおどり)を見学しました。

大地を目ざます、春の舞踊
花笠をかぶった早乙女。もともとは、男性が踊る役割だったそう。
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「テーテー棒」を手にした踊り手の方々。

山家田植踊には、9曲の踊りがあります。お正月の曲にはじまり、田おこし・田植え・稲刈り・米搗きなどの曲を経て、田の神を送るまでという稲作の一年が演じられます。花笠をかぶった「早乙女」たちが後列、馬の尻尾の毛の飾りがついた「テーテー棒(テデ棒)」と呼ばれる棒を持った人たちが前列で、太鼓にあわせて踊ります。

踊り手がテーテー棒で地面を突くことで、田の精霊を目ざめさせ、豊作を願うといいます。

大地を目ざます、春の舞踊
「テーテー棒」は馬の尻尾の毛の飾りつき。

山家田植踊保存会の会長・武田正志さんは、今年で85歳。踊りを始めたのは15、16歳の頃でした。テレビやラジオもなかった当時、田植踊は数少ない娯楽だったと話します。

大地を目ざます、春の舞踊
挨拶をする武田正志さん
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武田正志さん

1965年から、山家町に近い山形市立鈴川小学校で、山家田植踊の伝承がはじまりました。

この日は午前中に、「山家子供田植踊」第53代目の5年生の児童たちが、小学校近くのお寺で田植踊を奉納しました。武田さんは初代の頃から、小学生の踊りの指導に携わっています。小高い山の上のお寺で、家族や近所の人たち、そして武田さんに見守られ、木々を背景に踊る児童たちの顔は誇らしげでした。

大地を目ざます、春の舞踊
田植踊を奉納する鈴川小学校の児童たち

午後になると、今度は上山家町の鈴川公園で、保存会の団員による踊りの奉納がおこなわれました。観客の中に、午前中に子供田植踊を奉納した児童たちの姿もありました。

奉納を観終わった児童たちに話しかけてみると、自分たちの踊りと保存会の大人たちの踊りを比べながら、衣装、太鼓の叩き方、そして踊りのスピードの違いなど、いろんな気づきを教えてくれました。

山形市内では日差しの日々強くなり、季節が冬から春、そして夏へと足早に巡るのを感じます。郊外の田んぼでも、田植えがはじまるでしょう。 田植踊で目ざめた田の精霊、呼び寄せられた田の神は、きっとにこやかに見守っている–−山家田植踊を見て、そんな気持ちになりました。

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参考文献:『山家田植踊歌詞』山家田植踊保存会 『伝統の郷土芸能 山家田植踊』武田好吉著、昭和45年 『東北文芸のフォークロア』居駒永幸著、みちのく書房、2006年

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