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「本の街」は作れるか? 郁文堂再生プロジェクト日記①

「本で人を結ぶ」クラウドファンディング開催中!

2016.12.06
「本の街」は作れるか?   郁文堂再生プロジェクト日記①
イラストレーション:安部綾

「ナカムラさんって、山形出身なんですか?」……と最近よく聞かれますが、そういう訳じゃありません。2014年に開催された「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」への参加がきっかけ。

まさか自分が、こんなにも山形へ通うようになるとは夢にも思いませんでした。山形との関わりといえば、親戚が酒田に住んでいるくらい。それが山伏の坂本大三郎さんや、東北芸工大の宮本さんと知り合ったことで大きく変わっていったのです。

「本の街」は作れるか?   郁文堂再生プロジェクト日記①
七日町にある郁文堂書店と店主の原田伸子さん

山形ビエンナーレ初日のイベント「BARみちのおく」に出演し、地元のみなさんと語り合いました。テーマは「人が集まる山形のつくり方」でした。面白いことに、学生と話をしてみると、「県外で就職します。山形では、働きません」といった声が多く、とても違和感を感じました。

「なぜ?」僕の質問に誰もが「魅力を感じないから」との答え。「う〜ん」気になる。むしろ「この街でお店やってみたい!!!」そんな気持ちがむくむく湧いてくるきっかけとなったのでした。

それにしても……、山形って一体どんなところなんだろうか。そんな時、東北芸工大が主催する社会人向け講座「みちのおくつくるラボ」のMAPLABO.で講師をやらないかという話が舞い込んできました。芸術祭の一環として「山形の新しい地図をつくる」のがミッション。「おおー、待ってました!」と楽しみに訪れた山形。

まず、歩いたのが山形の中心部にある七日町。かつてデパートや映画館が並び、最も栄えていた場所です。映画館のなくなったシネマ通りを歩いていると、偶然、素敵な本屋さんを発見しました。実は、僕は「本屋巡り」が趣味で、これまでにも新聞やwebマガジンなどで「世界の本屋さん」を紹介するコーナーを連載していたこともあり、いい本屋さんを見つけるのは得意なのです。そして、ビビビ!ときて出会ったのが、この「郁文堂書店」でした。

しかし……、いつ行ってもシャッターは、閉じたまま。「やってないのか?」それにしても美しい佇まい。ていねいに朝顔が育てられ、まるでスタジオジブリの映画のワンシーンのよう。片方だけ少しシャッターが開いている。来るたびにどんどん気になり、通い続けて数回目。ついに中を開けて、声をかけてみました。

「こんにちは〜!!」ようやく店主の原田伸子さんが出てきてくれました。
「あの……、来年秋の山形ビエンナーレの時、ここを貸してくれませんか? 読書会とかワークショップとか古本を販売するイベントやってみたいんです」
「いやあ、倉庫にしてるから、本でいっぱいだからね……」
「じゃあ、半分だけとか」
「半分? まあ、半分なら貸してあげてもいいけど……」
「ほんとに?」
「でも、片付けるのに時間かかるからね……」
「確かにそれもそうですよね」

中はぎっしり本だらけ。これを動かすのはかなり難しいような気もする。しかし、どうしても諦めきれません。山形に来るたび、ここへ遊びに来るようになりました。

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1933年(昭和8年)、郁文堂書店が開店した日

店主の原田さんからお店の歴史について聞きビックリしました。山形の文化と歴史がぎっしり詰まった宝箱のような本屋さんだったのです。

郁文堂書店は、1933年(昭和8年)の冬、雪が降る中でオープンしました。最初は、現在の場所から3分ほど離れた七日町ワシントンホテル近辺にあり、古書なども扱っていました。そして、74年前。現在のシネマ通りに移転したそうです。

当時は、山形県庁も近くにあり、多くの文化人がこの書店に集まって来ました。さらに書店の2階では、書道教室や謡曲の教室が開かれ「街の文化サロン」として知られるようになります。山形出身の歌人、斎藤茂吉さん。「街道を行く」の取材で訪れた司馬遼太郎さん。そして、近くに住んでいた荒井良二さんも子どもの頃からたびたび訪れた思い出の本屋さんだったのです。

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「みちのおくつくるラボ」MAPLABO.の授業の様子

僕はといえば……、正直なところ、最初は山形に馴染めませんでした。授業が終わっても生徒は、誰も話かけてもくれない。山形ビエンナーレで制作する本もなかなか思うように進みません。そんな中、考えたコンセプトが「ブックトープ山形」でした。

「本の街をつくるのではなく、街を本棚にする」

ブックトープとは、「本」と「ビオトープ」を掛け合わせた造語。BIOTOPE=bio(生命)+tope(場所)は、有機的に結びついた生物たちが循環する環境のこと。つまり、ブックトープ(BOOKTOPE)とは、本を使って街の生態系を循環させる仕組みなのです。

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そして、完成したのが、「ブックトープ山形」という「まちなか小説集」でした。この本を持って、作品の舞台を歩いてみると読者は物語の主人公になる。自分の日常が物語に変換されます。山形の街全体が、五感で楽しむ「本のテーマパーク」になるという仕組みでした。そして、その「シンボルとしてぜひ郁文堂を再オープンさせたい!!」そんな願いが強くなっていきました。

街中にも「山」の形をした本棚を配置し、みんなで制作した短編集を持って歩くという企画も進めることになったのですが、「やはり拠点がどうしても欲しい……」と感じつつ「もう秋の芸術祭までに開けるのは無理かな……」と半分あきらめかけていた頃。

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荻窪「6次元」で開催されたプレイベント「みちのおくナイト」

山形ビエンナーレ直前のプレイベントが終了後、芸術監督である荒井良二さんから意外な言葉が飛び出したのです。

「あのさ、ナカムラさんさ。郁文堂の原田さんが、連絡待ってるってよ!」
「えええ! どういうことですか????」
「なんか、本屋さん少しずつ片付け始めてるみたいだよ」
「ほんとですか???」

てっきり諦めていたところにまさかの言葉。さっそく、翌日山形に行ってみると、なんと郁文堂の原田さんから意外な言葉が。

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郁文堂書店に小説集「ブックトープ山形」を届けた日

「いま店、片付けてるから。半分使うんでしょ?」
「ほんとに???」
「秋までにはやる」
「秋ね。わかりました!!」

直前になりようやく手応えを感じ、すっかりやる気が出てきました。
しかし、僕は山形在住ではないということ。芸術祭が終わった後は、街にはあまり来ることが出来ないということ。いろいろな問題が心に引っかかっていました。

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ある日のこと。またまた意外な連絡が来たのです。東北芸工大の建築学科で学ぶ追沼翼くんと芳賀耕介くんからのメールでした。

「あの……、僕たちが郁文堂を運営します!掃除も改装もします」
「おおー!」

なんとも素晴らしい提案。そして、本当に毎日毎日店の掃除をして、気がつけばアっという間に店内も広くなり、昔の郁文堂の佇まいが戻ってきました。
さらに……。

「クラウドファンディングはじめます!!!」

ものすごい勢いで、次々を行動していく2人。しかも、原田さんもとても嬉しそう。こうして、新たな「郁文堂物語」は始まったのです。

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「本の街」は作れるか? 郁文堂再生プロジェクト日記②へ続く