中田さんちに、おじゃまします。
陶芸作家 中田雄一さん
金沢では、生活の中での作家さんとの距離感が近いんです。
陶芸家の中田雄一さんに初めて会ったのは、たしか5年前の花見宴会だったかと思う。(「吞みの席で作家さんによく会う」は、金沢あるある)
その後、何度か工房兼自宅におじゃまさせてもらっているし、我が家で器も愛用させてもらっている。今度、マイ抹茶碗をお願いしたいとも思っている。
金沢では作家さんとの距離感はそのくらい近くて、「職業:陶芸家」は、「職業:会社員」くらいに普通のことだと、ここに来て価値観が変わった。
その中田さんの暮らしぶりが豊かだなと、常々思っていたので、ここでご紹介したい。
中田さんは北海道出身。2005年に山形の東北芸術工科大学を卒業後、金沢の卯辰山工芸工房の研修生として陶芸を学ぶ。陶芸家のアシスタントを経て、2011年に独立。「ねんどスタジオ」を構えた。
陶芸を選んだ理由を「土が伸びたり、ろくろの上で回転したりしているのが、何よりまず楽しかったから」と、子どものように目を輝かせて話す。
「火や空気や水や土。単独ではそこに立ち上がらない素材感が、むすびあって一つのものになる。どれも古代から人間の営みを支えて来たものというところにも興味がある」とも。
工房の2階は自宅になっていて、現在は奥様の美帆さんと息子の寛太郎くんの3人暮らし。
朝7時半に家族揃って朝食を食べて、美帆さんと交代で子守りをしながら制作をして、夕方17時半には寛太郎くんをお風呂に入れる。夕食には友人を招いてにぎやかに食卓を囲むことも多い。
「料理も陶芸の延長線上。暮らしの全部が、ぐるぐるまわってつながっているから」
金沢に来て得たものはと尋ねると「色々あるけど、まずは嫁と子ども」と笑顔の即答。
「自分ひとりで考えられる物事の量って限りがあるから。結婚して、子どもが生まれて、3人で見えてくるものって、ひとりとはまた違っておもしろい」と中田さん。
中田さんの自宅兼工房は元畳屋だった町家を購入して改修したもの。改修は大工さんや職人さんに入ってもらいながらも、オリジナルの配合を考えて自分で土壁を塗り上げたりと、細部にまでこだわっている。
「その土地その土地が人に与える、芽吹き方や感性の開き方があると思う。どこも『住めば都』に違いないけれど、じゃぁ『どう住むのか』が、僕の人生のテーマ。
そういう意味では、環境の最小単位って『家』だなと。だから、家を建てるときは、決めつけじゃなくて、自分が本当に好きか嫌いか、いちいち立ち止まって考えました。僕の仕事は、そういうことでもあると思うから」
その「環境」を少し拡張した、金沢という街はどうだろう。
「金沢は、小さな学校、ないしは会社だなと思う。人と人とのお付き合いの中で自分が生きていることを実感できるというか。
料理であれ和菓子であれ、人が一生懸命つくったものにも、日々刺激をもらっています。そういう意味では『伝統』もそう。誰かが最初に心を込めてつくって、それを皆が美しいと感じて、信じてきたものだから」
独立したときは、「手探りするにも、何を探ればいいのかもわからない状態」だったそうだが、「今ようやく、この5年間に自分で実験してきたことが、クレヨンの色数みたいに揃った感覚」。
現在はシェフから直接オーダーをもらって器を制作したり、同世代のクリエイターと食と工芸のインスタレーションに参加したりと、伸びやかに活動範囲を広げている。
「ものをつくるって、結局自分に素直になること意外にないんだと思う」と中田さん。
いちいち立ち止まって、手触りを確かめ、本当に好きか嫌いかを考える生活の中で、芽吹く何か。金沢の暮らしで、中田さんは心の水面にじっと目を凝らしている。