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19人の村で起きたイノベーション

空き家を宿にした丸山集落の住民に聞く

 篠山の城下町を抜け、北へ向かって車を走らせる。道の左右に広がっていた田んぼはすぐに山に変わり、視界を占める緑の色が濃くなっていく。その道をずっと行くと辿り着くどんつきの村、それが丸山集落だ。

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丸山集落は、篠山城下町に住む人々のための水源地を管理するために、山を一つ超えた集落から約260年前に移住してきたのが始まりだと言われる。住民は「だから、お宮もお寺さんも(同じ谷筋の)隣の集落とぜんぜん違うんですよ。ほんで完全なヨソモノやね。学校も違う。そういう歴史がある」と話す。

 一棟貸しの宿泊施設「集落丸山」については、既に色々なところで文章になっているのでご存知の方も多いかもしれない。10年ほど前までは、全部で12戸しかない小さな集落の、その7戸が空き家だった。その内の3棟の古民家を宿泊施設として改修・再生し、2009年から一棟貸し宿「集落丸山」として運営を始めた。それにより生まれた人々の行き来が集落に新たな風を吹き込み、耕作放棄地が半分を占めていた田畑も全て再生、手付かずだった里山にも人の手が入るようになった。
(※「集落丸山」についてはこちらをご参照ください)

 奇跡のような再生を果たしたとも言われる丸山。その大きなきっかけとなったのが、宿泊施設「集落丸山」の開業だ。接客や朝食の用意などは村人が担い、その他の経理や集客など村の人では難しい業務は篠山市にある中間組織、一般社団法人ノオトが行なっている。村の外部からの開業支援や経営協力があったとは言え、高齢者が多い村が変化を受け入れ、新しいことにチャレンジするのは、そう簡単ではなかっただろう。なぜ、ここ丸山ではそれができたのか。

当時、丸山の自治会長を務めていた佐古田 直實(さこだ なおみ)さん(75歳)に尋ねた。

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お話しを聞いた佐古田直實さん。「丸山は何でものんびり、おっとり。純朴な気質言うんかな。そういう集落。与えられた環境で、純朴に、文句も言わず生活しとったから、結局取り残されて、何にもないままに」

 

■「村を壊すのか!」。そんな声も出た

−村に宿ができるきっかけは、どんなことだったのですか?

佐古田さん「村の将来を話し合おうと2008年に開いたワークショップでした。村人総出で参加して、都市部に移り住んだ元住民も来てくれました。外部からも有識者や大学生、市の若手職員もいて多様な面々でした。半年間で計14回を重ねました」

 

 −ワークショップがなぜ宿の開業につながったんですか?

佐古田さん「いろんな有識者の人がね、村のいいところを言ってくれはったんです。『農村の原風景が残る景観』とか『野花や生き物が多い』とか。最初はそんなことが魅力なのかと疑心暗鬼でした。私らは都市部の便利な生活がいいと思ってましたからね。でもね、毎回外部の人から魅力だと言われるので、だんだん『そうかな』という気になってきた。村には5軒19人しかいなくて、消滅しかかっていましたが、自分たちでなんとかしようという話を村でしたことはなかった。隣村と一緒になったらええやん、と言っていたほど他力本願やったんですね。でもワークショップで、少し村に自信が持てるようになって、自分たちの村は自分たちでなんとかしようという意識改革がスタートしました。当時はそんな意識はなかったですけど、今から振り返るとそう思いますね」

 

−ワークショップで、空き家だった3棟の茅葺き古民家を宿にすることが決まった。改修は、ワークショップを住民と一緒に開いた中間組織の一般社団法人ノオトが手がけた。

佐古田さん「空き家の改修が始まったら、村の長老が『村を壊すのか!』と怒鳴りに来たんです。村に愛着があったからだと思います。外部の人にやってもらうのに違和感があったのかもしれません」

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朝食は村の女性が作ってくれる。食材は魚を除いてほぼ丸山集落産。ご飯はかまど炊き。梅干しや切り干し大根、味噌も村人の手作り。昔ながらの食生活が体験できる。

■「抗生物質」でなく「漢方」がいい

−最初から村一丸で進んだわけではなかったんですね。

佐古田さん「でもね、宿が開業したらだんだん変わってきたんです。村の入り口のお知らせを書く黒板があるんです。ここにね、その長老が毎日、短歌を書いてくれるようになったんです。村を訪れる人を迎える意味でね。私はその時、ここはすごい村だと思いました。自分はどんなことで村に貢献できるか、自然に自分ができることを出し合ってくれる村なんだなと。それがうちの村の良さだと思います」

 

−村の人が宿を運営することに、村のみなさんは最初どんな反応だったんですか?

佐古田さん「最初は私らでできるのかと戸惑いました。でも、ろあん松田さん(15年ほど前に村に開店した懐石そば店)の当時のオーナーが、『朝食はうちが協力します。頑張りましょう』と言ってくれたのが大きな後押しになりました。村の女性が、『じゃあ私はベッドメイキングや掃除ができる』など次々に言い始めてくれたんです。それで自然発生的に役割分担ができました」

 

−宿の経営は、村の人でつくるNPO法人と一般社団法人ノオトがLLP(有限責任事業組合)をつくって共同で行っている。

佐古田さん「金野さん(一般社団法人ノオトの代表理事・金野幸雄)らが、村の現状を理解して組織してくれた。空き家の改修のための申請や資金調達も担ってくれました。本当にこの村は恵まれていると思います。振り返ってみると、ワークショップの中でも押し付けでなく、じっと地元の人の話を聞いてくれた。村の年寄りの居場所をつくりながら進めてくれました。こういう田舎では、せっかちに物事を進めず、漢方のようにじっくりやるのがいいと思う。抗生物質やなくてね。田舎では一度信用したら損得なしに精力的にやっていくところがある」

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人家が尽きた更に奥、そこに、今でも美しい水が溢れる水源地がある。
ほんの200年と少し前、この地にやってきた人々はここで何を思ったのだろう。

 

■変わらない魅力が、村を変えていく

−宿の開業後、村はどう変わりましたか?

佐古田さん「宿の開業と同時期に、神戸の有名フランス料理店のオーナーシェフが村にレストラン『ひわの蔵』を開業してくれました。『ろあん松田』さんと共に、この2店のおかげもあって村が想像していた以上に宿泊のお客さんが来てくれました」

 「さらに予想していなかったのが、都市から来る人のなかで、耕作放棄地や放置林を使いたいという人が現れるようになったことでした。その人たちに無償で農地を提供したことで、村から耕作放棄地がなくなりました。農薬を使わない農法に関心のある若い人がほとんどです」

 

−宿ができてから、佐古田さん自身や村の人の変化は?

「以前は、こんな不便なところ、友達も呼ばれへんからどこか引っ越そうと言っていました。それが郷土に対する愛着が出てきて、村に誇りを感じるようになりました。ワークショップをきっかけに村で夢を共有して、その夢に共感してくれる人に、負の遺産だと思っていた空き家や耕作放棄地、里山を『磨いてもらおう』と開放しました。そうすることで集落外の人から逆にここの良さを教えてもらいました。地元住民が郷土を再発見させてもらったんです。今、村の里山では絶滅危惧種のクリンソウの群生地が見つかったり、オオムラサキのサナギが見つかったりしています。そういうところにも目が行くようになったことが大きいです。この豊かな自然環境をもっとよくして、若い人たちに継いでいきたい。そんな大きな夢を持つようになりました」

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「私は丸山言うんのんは、限界集落と言うか消滅するような集落やけども、人柄だけは昔の農村の気質を引き継いどる、純朴な集落やと、そういうことだけは自信を持って言いたい」

 

(編集後記)

 ある冬の午後8時か9時ごろだったか。その日は雪がちらつくほど寒い日だった。丸山集落を訪れると街灯のない暗がりの中、老夫婦がリヤカーをひいていた。佐古田さん夫妻だった。私はびっくりして「どうしたんですか?こんな時間に」と聞くと、その日に宿泊しているお客さんに湯たんぽを運んでいるという。「あんまり早く運ぶと冷めてまうからね」と佐古田さん。私が驚くと「いや、私らこんなことしかできんでね。せっかく来てもろてるから」と言う。

ある5月の朝。午前7時半ごろ、丸山集落を歩いていると、佐古田さんが田んぼの土をあぜ道に上げていた。そこは、都市部の住民グループが稲を植えた田んぼだった。「何してるんですか?」。聞くと、山から引いている水が冷たいので、田んぼに入る水の温度を上げるために迂回路を作っているという。佐古田さんの性格から考えると、きっと自分の田んぼよりも、そこの田んぼが気になって放っておけないんだろうな。そう思った。

滅私奉公。佐古田さんを見ていると、この言葉が浮かぶ。なかなか誰もができるものではないし、とても大変なことだと思う。そういう意味で「地域の再生はこうあるべきだ」と、私は簡単には言うことはできないけれど、今、奇跡のように再生しようとしているこの村には、とびきり懐の深い村の人たちがいて、そこに多くの人が惹きつけられている。

(2018年8月執筆)

この記事は、小栗瑞紀とWakoが担当しました。

 

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