確固たる点。「フェルメール」塩井増秧さん。
観光客が急増した気忙しい金沢において、“結界”でも張られているんじゃないかと思うくらい静かなトーンを保つ「新竪町商店街」。
その並びに、ひときわ強烈な磁場がはたらく店がある。ある人にとってはどこか入りづらく、ある人にとっては足が惹き寄せられてしまうような。
今回は、金沢に何度か訪れたことがある人は耳にしたことがあるであろう街の御意見番的存在、アンティークショップ「フェルメール」の店主・塩井増秧(ますお)さんをご紹介。
遠くからでもわかる、少し嗄れた声が特徴的で、眼光鋭く、一見すると不機嫌そう。パイプの愛好家で、アロハシャツだったり、赤い革ジャンだったり、 派手な服が似合っている。家にはテレビもパソコンもなく「白熱電球の灯りで、ひたすら辞書を引いて過ごしてる」という、塩井さんはそんな人。
フェルメールは、イギリス18、19世紀のアンティーク・グラス、アクセサリー、小物道具、シルバーパイプなどを扱っているアンティークショップ。遠方からの来客も多く、芳名帳には全国各地の地名が踊る。
アンティークには全くの門外漢の私だが、フェルメールで作家さんの小粒の金のピアスと、珍しいハエのブローチを購入したことがある(つまり私でも買える手頃な値段のものある)。
けれど、あとはとりとめのない世間話をしに、時折顔を出させてもらう。(塩井さんは金沢の事情にもとても詳しく、素敵なバーから美味しいかぼちゃ饅頭のお店まで、色々教えてもらった)。そういうお客さんがフェルメールには多い印象で、学生からスウェット姿のおじさんまで、属性はバラバラ。アンティークショップだが、そういう意味では入りやすい店と言えるのかもしれない。
塩井さんはアンティーク店を営む傍、いくつかの「言葉にまつわる活動」を長年続けている。全国的にも知られている小冊子『そらあるき』の編集長であり、編集部の原稿の取りまとめから、自身で取材・執筆まで行っている。
》『そらあるき』の詳細はreallocalのこちらの記事にて
とても読書家で(塩井さんが話すヨーロッパの作家や哲学者の名前のほとんどを私は知らない)、時折ギャラリーや店の奥で小さなトークショーを開いては、その思考の底にたまった言葉の一部を、皆と共有している。
トークショーでは、まるで目に見えないものに目を凝らすように慎重な調子で話す姿が印象的で、「凡夫を啓蒙する」といった上から目線は微塵も感じない。いつかの会で聞いた「みんな自分の中に、小さくていいから、他人の貰い火ではない、青い炎を燃やし続けなくてはいけない」といった主旨の言葉を、私は折に触れて思い出す。
塩井さんの教養の広さと深さには到底ついていけないので、彼自身が何か思考を深めるとき、一人で深く深く潜っていく方が速そうなものを、まるで「みんな、ついて来てる?」と後ろを振り返るような活動を続けるのはなぜか、ずっと不思議だった。
「単純にいろんなことって共有した方が楽しいし、なにせ僕ももう50代だから。20代30代の頃、僕自身面白い大人達からいろんなことを教えてもらった。だから、ある程度の年になったら僕も若い子に還さなきゃいけないと思ってる。その循環が止まっちゃったら、ダメなんだよ。今の日本が面白くないのは、良い大人達がいまだに指をくわえて“僕もホチイ”って言ってるからなんじゃないの」
『そらあるき』のコラムの中に、塩井さんが書いたこんな一節がある。
人生、『他人』に興味を無くしたら、もうそれは死である。その最後の日まで何時までも『とびきり』を探して、歩いて回って、笑い怒り、眺め見詰め、ていたいものだ。(そらあるき17号より)
美味しい料理だとか、工芸品だとか、金沢を訪れる理由は色々あるけれど、結局私たちはその対象の中に“人”を見ているのだと思うし、旅とはつまるところ人に会うことだ、と思う。
「個性的な店主」という月並みな言葉では収まらない、確固たる点のような存在。こんな強烈な人達が点描画のように存在して「街」という実体のないものを形づくり、そして次の代へと繋いでいる。
金沢を訪れたら、ぜひ「フェルメール」の扉を開いてみて欲しい。